第61話 ふらりとエスケープ
ショッピングモール内のとあるコーヒーショップ。ブルーマウンテンだかキリマンジャロだか知らないが、とにかくコーヒー独特の強みある香りが漂う店内の一角、簡易なテーブルで俺と前川さんは向かい合って座っている。手元には二つのカップ。湯気がユラユラと舞う。
「やはりコーヒーはいいですね。私、カフェインを取らないと調子が出なくてですね」
「はあ……」
「これは失礼。連れのお方を待たせてありますね。では単刀直入にお話します」
連れのお方とは火祭のことか。前川さんは俺に話があるらしく、火祭には席を外してもらっている。今は本屋でトリップしているであろう。あとでまた引き剥がすので苦労しそうだ。それにしても俺に話ってなんだろう………この人との接点は春日だから間違いなく春日関係のことだとは推測できる。つーか俺は前川さんとこうして話をしていいのか? いやまあ、春日に会ってはいけないというだけで春日家の人とは会ってもいいのか。
「あの……どうして俺がここにいるって分かったんです?」
先程の遭遇は偶然ではない。意図的に会いに来ている。しかしどうやって俺の居場所を知ったんだろうか。
「大変失礼だとは承知の上で兎月様のご自宅に訪問させていただきました。そこでお母様からここにいるとお聞きしまして」
なるほどね~。母さんにショッピングモール行ってくるって言ったからな。普通に考えたら分かることだったよ。
「貴重なランデブーのお時間を割いてしまって申し訳ありません」
「いやいや、そんな頭を下げないでくださいよ。どうぞお構いなく」
つーかランデブーって……表現古くないっすか?
「で、話ってのは?」
「はい、実は……」
そこで区切って前川さんはコーヒーを一口啜る。ちなみに俺のコーヒーは砂糖とミルク入れまくりです。苦いの苦手なんで。
「恵様についてなのですが……」
予想通り春日関連。なら溜める必要ないよ。スパッと言ってください。こっちに推測する時間をあ与えないでほしい。色々考えちゃうから。
「ここ最近、恵様が元気なくてですね……」
「はあ」
金田先輩とうまくいってないのか? 駄目だよ、結婚前にそんな感じだと。もう早くも赤信号みたいな。
「以前のように楽しげにお話することがなくなりまして、いつも寂しそうにしているのです……。もう兎月様に頼るしかありません。お願いします、どうか……どうか今一度また恵様と並んでもらえないでしょうか!」
「う、うわっ!? ちょ、頭を上げてくださいよ!」
いきなり椅子から下りて頭を床につける前川さん。いわゆる土下座というやつ。いやいや! 勘弁してくださいよ。周りからすげー見られてますって! さっきまでコーヒーを満喫していたお客さん達がこちらを興味津々に見てくる。見世物か俺らは! ぐああぁぁ、こっち見ないでぇ。皆さーん、俺は何もやってないですから! どうぞコーヒー豆をご堪能してくださいましぃ!
「あ、頭を。どうか頭を上げてください! 周りからの視線で悶え死にそうですので!」
前川さんを立たせて、椅子に座らせる。な、なんだよマジで。こんな年配の方に土下座させるなんて心苦しいどころか心死ぬわ。
「す、すみません」
「いえいえ、とにかく座って話しましょうよ。……えっと話に戻りますけど、春日と並ぶというのは?」
コーヒーをまた一口啜る前川さん。落ち着きました?
「恵様の隣にもう一度立って、恵様と一緒にいてもらえないでしょうかというお願いなんですが……」
……つまり俺にまた下僕をしろってことだろ。……何を今更。前川さんに言ってるわけではない。俺自身にだ。何を今更また未練タラタラと。
「事情は重々承知しております。それでも! どうか恵様の傍に……!」
「無理ですよ」
「そこをなんとか」
だから無理なんですって。俺に何ができる。何もできないし、何もすべきじゃない。ただそれだけ。
「事情知っているんでしょ。俺は春日と会ってはいけないんですよ。そう約束されています」
金田先輩にね。
「それは分かっています。しかし私にはもう恵様の悲しそうな姿を見るのは耐えられません。恵様の笑顔を戻すには兎月様が必要なのです。どうか……」
………。
「そもそも間違ってません?」
「え?」
「春日が元気ないこと、俺がいれば春日が元気になること。それ自体間違っているんですよ。俺がいようがいまいが春日に何の影響もないですよ」
俺がいなくて春日が悲しいんでいる? そ~んなわけないっしょ。別に恋人でもなければ許婚でもない。俺はただの下僕なのだから。いや、下僕だったのだから。
「そ、そんなことないですよ。恵様はいつも兎月様のお話ばかりされています。兎月様といるようになってから恵様は一段と明るくなりました。兎月様がいるからです」
「それが違うって言っているんです。俺に何ができます? 鞄持ちとパシリですよ。そんなの誰にでもできます。俺が春日にしてやれることなんてありません」
「それこそ間違いです!」
バンッと立ち上がる前川さん。びっくりするわ。周りも人もこっち見てくるし、恥ずかしいです。コーヒーの湯気に視線を落として周りの目を回避。
「たとえ鞄持ちだろうとパシリだろうとそんな些細なことでも兎月様がするから意味があるのです。兎月様ではなければならないのです!」
土下座された人に今度は熱く語られるなんて……俺って変な奴ぅ。コーヒーの水面に浮かぶ自分の顔が変に歪んでいた。なんつー顔してんだよ、俺は。
「……第一、金田先輩から言われてますもん。春日に近づくなって」
「それは」
「これ大事ですよ? 金田先輩は俺が邪魔だそうです。そりゃ自分の婚約者に近づく男は排除したいでしょうに。そして俺がそれに対して意地になる必要なんて全くないですし。それに春日が元気ないとかはあなた方の問題であって俺は関係ありません」
春日が元気ないのは俺じゃなくて金田先輩に相談にしてください。元下僕の俺に相談するのは筋違いだ。まるで俺が原因みたいな言い方。そしてそうであってほしいと思っている自分が腹立たしい。
「で、ですが」
「それにこの相談は前川さん個人のものでしょう?」
「……はい」
「本人からの相談であれば乗りますが、そうでない人からそんなこと言われても、って感じですよ。それに春日自身は望んでいないかもしれませんよ?」
「それはありません! 恵様は口では言わないだけで本当の気持ちは間違いなく……」
そんなことよく分かりますね。春日っていつも無表情だから何考えてるか分かんないでしょ。
「前川さん、さっき言いましたよね、春日の笑顔を取り戻してくれって。俺は春日が笑っているところなんて数回ぐらいしか見たことないですよ」
「た、確かに恵様は感情をあまり表に出しませんが身近にいる人には分かるはずです。恵様が笑っていることを……兎月様も分かっているはずです。最近の恵様が元気ないことも」
「っ!」
そ、そんなこと分かるかよ。最近廊下ですれ違う春日の姿は寂しげだったなんて……思うはずがない!
「……俺には分かりません。分かりたくもありません。そんな俺に春日を励ますことはできません。ではこれで失礼します。わざわざ俺なんかに相談してくださってありがとうございました。力になれなくてすいません。今度は婚約者の金田先輩に相談することをお勧めします」
自分のコーヒー代をテーブルに置いて、逃げるように前川さんから離れる。後ろから何か声が聞こえるが無視だ。俺には関係ない。……関係ないんだから。本音を言う必要もないし、本音を言う勇気もない。だから俺はこうやって逃げたんだ。前川さんかも、自分の気持ちからも……。
前川さんから逃げて、本屋に向かう。さすがに追ってきてはいないみたいだ。かなりの速度で逃げ回ったのは意味なかったみたい。いやまあ少し頭が冷めた。……何を頭に血を登らせる必要があったのやら。……そうだよな? って、駄目だ駄目だ! もう何も考えるなっ! はい思考停止、強制終了だ。とりあえず火祭を探さないと。まだ本に夢中になっているはず。
「……お、いた」
本を立ち読みする火祭。本をめくる指と文字を追う目以外はピクリとも動かない。すごい集中しているなおい。
「火祭」
「ん?」
あ、意外と早く反応してくれた。
「お話はもういいの?」
「ああ、大丈夫。そんな大した用件じゃなかったよ」
「……そうなの?」
え、何か疑ってますかい? ヤバ、俺って顔に出やすかったかな。
「元気ないよね……」
げ、元気ない? 俺が? そうかな? よく分かんないけど火祭に心配にかけちゃ駄目だ!
「全然っ、ボクチン超元気だもん!」
「元気ない」
うぅ、ぴしゃりと言われちゃ返す言葉もないよ……。
「元気ないのは最近ずっとだよ? だ、だから私とで、デートしたら喜ぶって真美が言うから……」
……そっか、火祭と水川にそんな心配をかけさせていたのか。
「火祭……ありがとうな」
「う、ううん! 君が元気になってくれたなら私も嬉しいし……」
「ヤベ、火祭のことマジで惚れちゃいそうだよ」
「!?」
ついでに水川にも惚れちゃうかもっ。周りにこんな心配してくれる良い人達がいるなんて……俺、幸せ者だなぁ。
「わ、私も惚れてるよ……」
「ん? 何か言った?」
ちょっと感慨深い思いに浸っていて聞いてなかったんだけど。
「ううん、なんでもないっ!」
「? とりあえず服でも見に行く?」
ずっとここにいるのもアレだし。
「う、うん」
火祭と本屋を出てショッピングモール内をぶらぶらと歩く。……さっき火祭が言っていたけど俺って元気なかったのか……それっておかしくないか? だって、春日のパシリをしなくていいんだから喜ぶべきはずなのに……。どうして元気がないんだろ……モヤモヤしたものがじりじりと胸を焦がすような苦しい気持ち……何だろうこの感じ……。