第56話 偽りの屋上
「起立、気をつけ、礼」
ありがとうございました、と。帰りのホームルームも終わり下校時間となった。最近の授業はとてつもな~く面白くない。故に眠い。でも居眠りすると怒られる。なんてひどい仕打ち。江戸の拷問を思い出すね。拷問されたことないけどさ。とにかくしんどい、だるい、面倒くさい。
「じゃあな将也」
さっさと教室から出ていく米太郎。もうすぐ弓道の大会があるらしく気合いが入っているみたいだ。あれでも一応真面目にやっているのだろう。一応ね。
「兎月、今日は部活どうする?」
「お、マミーか」
「マミー言うな」
言うのは久しぶりだけどな。久しぶりといえば部活も最近活動してなかったな。部室でゲームしたり雑談したりはしているが、まともな会議は一つもやっていない。
「そうだな、今日は話し合いでもしよっか」
「分かった。ボランティア部の皆に伝えておくね」
そう言って水川も教室から出ていった。本来は部長の駒野先輩が決めることだが先輩は受験で忙しいので代わりに俺と水川が活動の有無を決定しているのだ。火祭のイメージアップ運動の掃除と挨拶活動以来何もしてなかったからな。そろそろ新たなボランティア活動を始めないと。
「ちょっと君」
「へ?」
またも声をかけられた。今日の俺って人気者? 待ちに待ったモテ期到来!?
「君だよ、君。恵さんの下僕をしている君に呼びかけているんだ」
……なんだ、金田先輩か。後ろに立つのは白い肌に眼鏡をかけた三年生の金田先輩。春日の……婚約者。この人が春日の旦那さん、ねぇ……。あのワガママお嬢様をちゃんと相手できるのかねぇ。あの人はそんな簡単に言うこと聞かないからさ。というか聞く気もないぞ、あれは。その春日のパートナーがこの人……大丈夫なのかよ。
「はぁ」
「な、なんだその態度は。こっちは一学年上だぞ」
「その一学年上の先輩が何の用ですか?」
わざわざ二年生の教室にまで来てよ~。あ、春日か。……ん? 『春日を迎えに来た→( )→俺のところに来た』……これから導き出せる( )に入る言葉は……
「春日は俺のところに来てませんよ。残念でしたね」
「違う。勝手に予想しないでもらいたい」
じゃあなんですか。ご用件を述べてください。受験生がこんな馬鹿の二年生に何の用だよ。春日関連のことでしょうね。下僕の俺に何を聞くのやら。
「君の名前は?」
「兎月です」
「兎月君、君に話がある」
金田先輩に連れられて向かった先は、なんと屋上!
「うほーっ! 高い、怖い、風が気持ち良いー!」
高校で屋上に来たのは初めてだな。へー、こんな感じかぁ。風が吹き抜け、いつも見上げる校舎を見下ろす新鮮なこの景色。グラウンド全体を上から見渡せるこの視点の高さと視野の広さ! パネェです。おっ、あれは弓道場かな? 米太郎が頑張って練習しているのだろう。うおおおぉぉ、また風がキター!
「きゃっほーい。空が近いぜ!」
「静かにしてくれないかな」
あ、すいません。屋上で思わずテンション上がっちゃいました。それって仕方のないこと。どうしようもあ~りません。
「というより、どうして屋上があいているんですか?」
普段、まあいつもというか基本的に屋上は立入禁止となっている。開放されるのは卒業写真を撮る時ぐらいのものだ。だから屋上で恋人と二人きりでランチというラブラブ展開なんてのは漫画や小説でしかありえないのだ。おいおい、これも小説だろうがってツッコミは言わないでねっ! ……はっ? あ、あれ何言っているんだ俺は?
「屋上をあけるなんて、僕にかかれば造作もないことさ」
フッと小さい微笑みを浮かべる金田先輩。あ、もしかして……
「先輩がピッキングしたんですね」
「違う、そういう意味じゃない! 鍵をあける職人さんを呼んで、あけてもらったということだ」
鍵をあける職人ってなんすか? 鍵屋さん的なやつ? つーか勝手にこんなことしていいのかよ。学校サイドにバレたら大変ですよ。俺を巻き込まないでね。
「へー、やっぱ凄いんですねー。おっ、俺ん家見えるかな!? あっちの方角なんだけど……」
「こっちを向いてもらおうか。話があると言っただろう」
あ~、そんなこと言ってましたな。もうちょい屋上を満喫したいんだけど。その屋上にまで呼びつけたのだ。何か重要な話でもあるのだろう。
「話ってのは?」
春日じゃなくて俺に用事なんて一体………はっ、
「ちょ、先輩やめてください!」
「え?」
「俺、そっちの趣味はないんです。ボーイズ的なやつはホントに苦手で……」
「ち、違うっ! 君は朝からそういう話しかしてないぞ!」
しょうがないでしょうよ。だって思春期だもん。
「BLじゃなかったらなんですか?」
「……君に尋ねたいことがある」
だったら早く言ってもらえますか。部活もあるんで。
「君は恵さんのことをどう思っている?」
………はい? 急に何を言ってるんですかい。春日のことをどう思っている?
「いや、どうと言われても……」
「正直な話、君の存在が邪魔なんだよ」
えぇ~……いきなり邪魔宣言かよ。何にもしてないぞ俺。今日の昼だって二人の邪魔にならないよう気を遣ったりと頑張ったんですけど!? その俺を邪魔者扱いって……少しは今日のナイス判断についてもっと評価してもらいたいものだ。
「今朝、恵さんを迎えに家まで行ったら車には乗らないと言うんだ。バスで行くと聞かなかったんだよ」
「そうなんですかー。春日は車での送迎は嫌いらしいですよ」
「そうらしい。けど、それだけじゃないんだよ」
え?
「バスには君が乗っているんだろ? だから恵さんはバスに乗ると言ってきかなかったんだ」
え~? そんなことないッスよ。別に俺がいるいないは関係ないでしょうが。単純に車の送迎が嫌なだけだろ。
「恵さんのお父さんが説得してくれてなんとか車に乗ってくれたけど……とにかく君のせいなんだ」
おいおいおい、俺悪くないよ? とばっちりにも程があるやい! 理不尽だろうがおらぁ!
「いやー、それは勘弁してくださいよぉ。ちょっと俺には対処の仕様がないと言うか」
本音をぶちかますなんてことはしません。相手は年上だしね。でもイラつくよね。俺は何もしてないってのにこの理不尽な当たりよう。お金持ちってのは理不尽な輩しかいないみたいだ。庶民をイラつかせるのが上手いのが金持ち。ここ大事。俺が今学んだこと!
「それで君に一つ提案をしようと思っている」
何がそれでだ。勝手に思ってろ、この色白眼鏡がよ。と言うのを年上敬語翻訳機にかけて口に出すことに。本音は言いませんって。
「それは何でしょう? 教えてもらえますか?」
「……恵さんと会うのを今後一切なしにしてもらおうと思う」
……はぁ? えっと、それってもう二度と春日と会うなってことだよな………マジかよ。何をこいつは言っているんだよ。
「もちろん僕にそんなことを行使する権力はない。君の意思に従おうと思う。そこでだ」
「そこで?」
「兎月君、君が恵さんのことを何とも思っていないのなら、恵さんに好意がないと言うのなら、もう恵さんに近づかないでもらいたい」
……はぁ。俺は関係ないだろ。春日が思うように、アンタが思うように勝手にやればいいだろうがよ。無理矢理俺を巻き込むな。俺が何を言おうとアンタらの結婚に何の支障も出ないだろうが。
「正直な話、僕はなんとしても恵さんと結婚しなくちゃいけないんだ。会社のためにも……。君にその気がないなら一歩引いてほしいと思っている」
だ、か、ら! アンタらの結婚に俺は何にも関係ないだろ。俺はただの下僕だろうが。結婚に何の支障が出るって言うんだ。…………それに俺が何か言ったところで結婚の話はどうにもならないんだろ。俺の意思とか何の力も持たないんだからさ。もし……もしも俺が結婚を止めてほしいと懇願したら、それが通るのか? そんなわけない。俺が何言おうとどんな抵抗をしてみようとも覆るわけがない。俺はどうすることもできない。……だったら最初から言わない方がいい。春日に迷惑をかけたくないし、この結婚が春日にとって良いものなのかは俺には分からない。少なくても俺は何も手を出すべきじゃない。俺の意思なんて表に出さない方がいいんだよ。
「……君は恵さんのことをどう思っている?」
「……別に?」
本音なんか言うべきじゃない。俺みたいなクズ庶民がこの金持ち相手に何ができる。この金持ちに勝てる要素なんてあるのかよ。身分の違いならもう分かっているさ。俺の意思どうこうじゃないだろ。こんなの適当に流したらいいんだ。
「俺はなんとも思ってないですよ。春日とはただの知り合いだし、別に特別な感情はありません。逆にいつも人を下僕扱いしやがって、ちょっとイラついてるくらいですよ」
……そ、そうだ。毎日毎日、登下校には鞄を持たせて、休み時間にはパシリ。無視するくせして、不満があったらローキック。何を考えているか分からないし、理不尽なことばっかり言いやがる暴力女。そんな奴といて楽しい? …………そんなことを思うはずがない……そうだろ俺? そうだよな………?
「今の言葉、君の本当の気持ちなんだね?」
「……そ、そうです………その通りです。お、俺は春日と一緒にいたいと思わないですし、春日がどう思おうが関係ないです。俺の存在が邪魔とおっしゃるなら喜んであなた方お二人の前から消えますよ。それが先輩のためになるのでしょ」
「なるほど……君は思ったより聞き分けのいい人だったようだ。わざわざこんなところにまで呼んですまなかった」
金田先輩はそう言うと扉の方へと向かう。一歩一歩遠ざかる人影。
「ではこれで。じゃあ、行こうか……恵さん」
……………えっ? 今、なんて……? 遠くに映る影が一つ増えた。後ろを振り返れば、金田先輩ともう一人……別の人物がそこにはいた。
「か、春日……!?」
「……」
な、んで……ここに春日がいるんだ? いつから?
「兎月君は内緒で恵さんには物陰に隠れてもらっていた。今までの会話は全部聞いてもらっている。君の思いもね」
聞いていた? 全て? さっき言ったこと全部? な、何を……!?
「これで彼の気持ちが分かったでしょ、恵さん」
「……」
春日は俺をじっと見てくる。っ……今朝見た、あの寂しげな悲しい表情で俺を見てくる。何も言わず、ただずっと……。
「……」
「か、春日……」
声が震える。手も足も体全体が震えて動けない。聞かれた。さっきの俺の言葉を聞かれた……俺の………
「さ、行こうか恵さん。下僕なんていらないさ」
金田先輩に手を引かれ春日は扉の向こうへと消えていく。一歩一歩遠ざかる。闇の向こうへと沈んでいく。
「っ、待っ」
……っ! 馬鹿か、待つのは俺の方だ。伸ばしかけた手を止める。完全に扉の向こうへと消えていった春日の姿。足音も何も聞こえない。二人は去ってしまったのだ。屋上に残ったのは俺一人だけ。さっきまでは二人もいたのだ。金田先輩と……春日が。
「今更……遅いだろ」
何を今更取り繕うってんだ……今の聞かれたら、もう取り返しがつかないだろ。あれが……………あれが嘘だなんて言えるはずがないだろ。
「……あぁ、そっか」
やっぱ嘘だったんだな。自分自身の気持ちに嘘ついていたんだ俺は。春日といて楽しくない。そんなこと……微塵も思ってもないのに……。嘘をついた。気持ちを隠した。それが何を意味するのか。それはこの風を一つも感じない屋上で一人突っ立っている俺が物語っている。正門前に停車したリムジンが物語っている。今日、俺は……春日と別れたのだ。主人と下僕の関係はここで完全に崩れてしまった。冷たい風も吹きつけないのに、心が異様に寒く感じた……。