第33話 一発ぶん殴る
目の前にはゴリラ。とにかくゴリラっぽい。今このゴリラこと不良Dを殴る宣言をした俺。これといって緊張はしてないし、恐くもない。そりゃ本当のゴリラだったら、びびるけどさ。いやいや、これも一応は人間だから。
「おーおー、カッコつけてくれるな。俺のことを殴るのか」
「殴る」
だから殴るっての。これもう絶対。火祭を殴ったお前は許せない。はらわた煮えくり返る思いだ。握りしめる右拳に自分の爪が食いこむ。痛いし、なぜか熱くなってきたし。頭の中はなんかごちゃごちゃしていてまともに機能していない。頭に血がのぼるとはこのことか。自分で言うのもアレだけど、俺今すげーキレてます。
「と、兎月君……」
「心配するな火祭。お前の殴られた分は俺が返す」
視界の端に映る地面に崩れ落ちた火祭の姿。その表情は何とも言えなかった。心配、驚き、恐れ……なんか色んな感情が入り混じったような複雑な表情。それよりも何より目にとまる赤く腫れた頬。不良Dに殴られた痕……はい許せねぇ!
「へへっ、かかってこいよ。俺は何も手を出さねぇからよ」
両腕をぶらりと下げる不良D。何もしないから殴ってこいよ、ということなんだろう。下賤な笑みを浮かべやがって。随分と余裕だな、と言ってやりたいところだが、こいつがそうなるのも分かる気がする。県トップの腕っ節を誇る奴が俺みたいなごく普通の高校生に負けるはずないもんな。俺だってこんな奴に勝てるとは到底思えない。まともに闘っても間違いなくボロ雑巾にされておしまいだ。実力差は見ただけで一目瞭然。俺なんかに勝ち目はない。
「どうした、かかってこないのか?」
「うるせー。今からやろうと思ってたんだよ」
俺の負けは確定。それがどうした。そんなこと分かって俺はこの場に立っているんだろうが。……やってやる。勝たなくていい。ボロ雑巾にされたって構わない。ただ一発、こいつを一発殴ってやる!
「うおおおおおおぉぉぉぉっ!」
考えなしに不良Dに突進。右手を握りしめて大きく振りかぶる。狙うは顔面。ただその一点のみを睨み、不良Dに突っ込む。近づく奴の汚ねぇ顔。俺を馬鹿にしたようにニヤリと笑っていやがる。そうやって笑っていられるのも今のうちだ。その顔ぶっ潰してやる。足を踏み込み、不良Dめがけて飛び上がる。振りかぶった右拳がゴリラの顔面を捉えようとした瞬間、
「やれ、お前ら」
ゴリラがさらにニヤリと歪んだ。それを見れたのは一瞬のこと。その声とともに右腹に強い衝撃が走った。
「ぐっ!?」
横っ腹を突き破り、全身の勢いを持っていかれた。謎の攻撃に俺は抵抗もできず地面に転がりこむ。微かに視界に映ったのは不良Bの姿。そうか……あいつが蹴ってきたのか。不意打ちすぎて全くガードができなかった。モロにキックを食らったようで地面に倒れこんだまま起き上がることすらできない。腹が捻じ曲がるように鈍く痛み、頭がガンガンと内側から叩かれるようにひどく揺れる。
「がっ!?」
さらに不良AとCも加わって、殴る蹴るのボコボコ祭り。全身を激しい連撃が豪雨のように襲いかかる。痛ぇ……本気で蹴ってきやがって。
「ダッセー! ざまーねーな」
「おらおら、この前の続きといこうか!」
「泣いてもしらないよ~?」
やりやまない殴打の嵐。これじゃあ、前回の二の舞じゃないか。不良ABCに囲まれてただ無抵抗にリンチされる。視界の隅に見える火祭の姿。ひ、まつ、り……!
「ヒャハハハ! 俺を殴るんじゃないのかよ? カッコつけた割にその程度か。情けねえな~。お前ら、適当にやっとけ。俺はこっちをヤッとくからよ」
「分かりました内海さん」
こ、の……! おい、待てよ不良D。火祭に近づいてんじゃねぇよ。待ちやが…
「おらおらぁ!」
「ぐあっ!?」
「逃がさないよ~」
くそっ、モロに顔面蹴りやがって。口の中に広がる血の味。全身を襲う痛みに吐き気すらしてきた。吸いこむ息はなぜか冷たく、全身は砂まみれ。まさにボロ雑巾状態だ。
「情けないな~。前回と何も変わってねぇぞ」
「ひゃはっ、マジでダッセー」
「何もできなかったね~。おー、可哀想に」
消えゆく意識の中、耳に届いたのは不良どもの俺を馬鹿にした声。情けない、ダサイ、何もできない……全部が俺に当てはまっている。結局、俺は何もできなかったのか……。口では偉そうなことほざいたのに俺は何一つ実行できなかった。こうやって不良どもにボコボコにされ、火祭を助けられなかった。俺は……俺は火祭を守れなかった。…………おいおい、どうしたよ俺。
「……はっ」
なぜか笑えてきた。自分が惨めとか情けないとかそういうのもあるけど。だけどそれ以上に、俺は自分の自己完結に嘆いた。なんだよ俺……もう過去形にしちゃってるよ。何もできなかったって、過去のことになっている。今、目の前には俺がすべきことがあるってのに。俺は勝手に終わらせていたようだ。そんな自分が笑えてくる。
地面に座り込む火祭。その火祭にどんどん接近する不良D。このまま終わっていいのかよ。守ると言って、不良にボコられて、それで終わっていいのかよ。そんなのよくねぇだろうが。このままみすみすゴリラを見逃すわけにはいかないだろ! 俺が守らないと……。気合い入れろ俺! このまま行かせてたまるか!
「う、うおおぉぉぉああああぁぁぁ!」
俺は弱い。喧嘩なんかほとんどしたことない。それにヘタレだ。ヘタレで馬鹿で情けなくて何の取り柄もないただのガキ。だけど一発、渾身の一発をあいつにぶち込まないと気が済まない! 絶対の絶対にだ!
「な、なんだこいつ!?」
「た、立ちやがった……!」
不良にリンチされただけで立てないとか俺の勝手な思い込みじゃい。そんなの気合いで跳ね飛ばせよ。口の中が血の味がするだぁ? 知るか。我慢しろ。全身が痛い? だから我慢しろ。蹴られているとか関係ない。無理矢理強引にボロボロの体を奮い立たせ、不良ABCを払いのける。
「おらあっ!」
立ち上がり、視界に映るのはゴリラの背中のみ。あいつには火祭のことしか見えていないのだろう。さっき俺がテメーに言った言葉、忘れてないよなぁ。全身から力が溢れだす。体中ボロボロなのにまだ立ち上がれる。まだ拳を握りしめることができる。まだ走ることができる! そう思った時には自然と足が地面を蹴っていた。
「う、内海さん危ないっ」
「は?」
今頃振り返っても遅い! 不良Dとの距離数メートルを一気に詰め、右拳を振り上げる。空気を切り、砂塵が舞い、全てが肌を駆け巡った。握りしめた右拳に全身全霊を込める。俺の思い、火祭の決意、こいつへの怒り、自分への怒り、全て。今の俺を突き動かす全ての感情を拳に注ぎ込む。その一撃は見事に不良Dの顔面を捉えた。鼻下をえぐり、メキメキと骨が軋む音が耳に届き、拳に伝わる感触がなぜか心地好い。そのまま一気に腕を振るい、拳を振りぬく。
「ぐはっ!?」
強襲に何の抵抗もできなかった不良Dは背中からぶっ倒れる。ズドンと巨体が地面に叩きつけられる音と奴の口から洩れる呻き声。そして訪れる静寂。聞こえるのは俺の荒い息遣いのみ。
「はぁ、はぁ……どうだこのゴリラ野郎が! ざまーみやがれ!」