第32話 火祭の覚悟
放課後、ひたすら火祭を探して校内を巡る。火祭が来ているとは思えない。けど、じっとしておれず、こうやって歩を進めているわけだ。
「やっぱ、いないよな……」
もしかしたら火祭が学校を辞めてしまうのでは。そんなことを想像すると、いてもたってもいられない。そんなの嫌だ。そんなお別れは絶対に嫌だ。
「火祭……どこにいるんだよ……」
誰もいない二組の教室へと戻る。……そういえば、ここで火祭に勉強教えてもらったりしたよな。つい最近のことなのに随分と昔のことのように懐かしい。数学がてんで駄目な俺に懇切丁寧に教えてくれた火祭。知り合ってまだ一ヶ月。でも火祭との思い出はたくさんある。俺の足は自然と動いた。
食堂。ここで宿題を終わらせた記念に火祭と缶ジュースで乾杯した。あの時のメロンソーダは最高に美味しかった。今でも忘れない。
中庭。一緒に掃除をした。水川の策略で火祭とは頻繁に組んで掃除活動したものだ。二人で和気あいあいと楽しく。
中央広場。……不良にカラまれた矢野を助けようとした俺を助けてくれた火祭。何もできなかった俺。無力な俺。あの日以来、彼女を見ていない。
「……火祭」
最後にたどり着いた場所は図書室前。……ここで火祭と初めて会ったんだよな。コジローって猫に餌をあげていた火祭と意気投合して仲良くなって………ん、あれは、
「コジロー……」
黒ぶち猫のコジローが物陰からひょこっと現れた。いつも火祭から餌をもらっていたよな。図々しい奴だという印象しか残っていないぞお前には。
「なぁ、コジロー。火祭の居場所知らないか?」
俺の問いかけにも一切の反応を示さずに、コジローは外へと出ていった。あの野郎……ガン無視しやがって。少しは猫らしくニャーと鳴いたりゴロゴロしたりしてみろよ。
「火祭が言ってたな、猫は不思議な生き物だって。まったく何を考えているか分からないし、自由気ままに行動。ホントに自由で……はぁ」
……帰るしかないのか。また明日……明日には会える。そんな曖昧で不確かなものにすがるしかない情けない俺。表しようのない虚ろで煩わしい気持ちが胸の中を燃え滓のようにぢりぢりと燻る。歯がゆいまま建物から出る。と、出たすぐ傍にはコジロー。まだいたのか。早くお家に帰りな。というかお前の家はどこだ。そしてこっちをジロッと見てくるな。なんだこれ。
「……何こっち見てんだよ」
思わずガンを飛ばすが、猫にそんなもんは通用しない。ただコジローは俺をずっと見つめる。視線を外さないコジロー。俺を見据えて、じっと動かない。……なんだよマジで。猫と対峙したのはこれが初めてではないだろうか。しばらく両者見つめ合い、膠着状態が続いた後、コジローは校舎の方へと歩いていった。なんとなく、なんとなくだけど……コジローがついて来いと言った気がする。いつも俺を無視するコジローが何か訴えかけたような……そんな気がした。もしかして、火祭のところに案内してくれるのか?
「火祭がここにいるのか!?」
藁にも縋る思いで、コジローのあとを追う。
コジローに案内された所。それは体育館の裏側だった。ここも火祭と掃除した場所である。ちょっとした事故で火祭と抱きつくことになった俺にしたら良き思い出の残る場所だ。そんな場所で起こっている出来事に驚愕した。
「火祭……!」
この数日、探しに探した火祭がいたのだ。赤みがかった長髪が風になびく。いつもと同じ姿。しかし、その表情はあまりに悲しげだった。俺があんな顔にさせてしまったのか……。俺のせいで……。
「待たせたな、火祭さんよぉ」
そして体育館裏には火祭の他にさらに他にも四人の男がいた。うち三人は見覚えがある。この前学校にナンパしに来ていた不良ABCの三人。そしてもう一人、長身でゴツい体格をしたゴリラのような男。丸坊主で激太の眉毛が一際目立つ。とても同世代には見えない。不良Dと呼ぶことにしよう。とっさに体育館の陰に隠れて、火祭らを覗き見る。何が起こっているんだ……?
「お前が火祭だな。可愛いじゃねぇか」
重く低い声が響きわたる。予想通りの声の低さだな、不良D。いかにもって感じだ。
「気をつけてくださいよ、内海先輩。あいつ見た目と反して超凶暴ですから」
「マジで怪物っスよ」
「おらぁ火祭! この内海さんはなぁ県で一、二を争う猛者なんだぜ。覚悟しやがれ!」
あいつら自分が負けたからって強い先輩連れてきたのか。ちっちゃい奴らだな。そして内海先輩とかいうあのゴリラは県で一、二に強いのか。そんなのどうやったら分かるんだよ。何か大会でもあるのかコノヤロー。
「……」
「どうしたよ火祭さん~? 内海さんにびびって口も開けないのか~?」
「ギャハハハ! あの時の恨み晴らさせてもらうぜ」
下劣な笑い声あげやがって……俺が助けないと!
「おいお前らぁ!」と口を開きかけたが、寸前で閉じる。っ、待てよ。待てよ俺! ……ここで俺が出て何ができる? 俺が助けに入ったところでそれは助けにならない。前みたいに不良達にボコボコにされて、また火祭が手を出すことになる。それじゃ駄目だろ! また火祭を傷つけることになるじゃないか。俺は……何もできない。俺がすることは火祭を傷つけることにしかならないんだよ。火祭を守ることはできない……ここで大人しくしておくしかない……なんて無様で情けないんだ。
「来週はテストらしいな。部活動も休みで誰もこんなところに来ないぜ」
「思う存分暴れたらどうだ?」
「暴れられるなら、な」
あいつら何言ってるんだ? 言っている意味がよく分からない。
「……テストのこと、うちの学校の生徒に聞いたんだね」
「察しがいいようだな」
不良Dがニヤリと汚い薄笑いを浮かべる。な、何がだ?
「火祭ぃ、無関係の生徒を巻き込むのは心苦しいよな? だったらお前がするべきこと、理解できるよな~?」
あ……そ、そういうことか。火祭が手を出せば、他の生徒を傷つける。汚い手口だな……! 他の奴らも巻き込みやがって!
「無論、お前程度なんか内海先輩にかかれば一捻りだがな……こっちは無抵抗のお前をボコボコにしたいんだよ」
こいつら許せねぇ……! こんな奴らが火祭の姿を捻じ曲げた。こんな奴らのせいで火祭のイメージは歪んでしまった。こいつらのせいで……こいつらの…………違う、俺のせいで火祭をこんな目に……!
「その前に一回ヤラせてもらおうかな……へへっ」
「マジっすか内海!? ここでしちゃいます?」
「あぁ、野外ってのもいいだろ?」
なっ、ふざけるなっ! そんなことあってたまるか! 阻止しないと! でも、俺に何ができる……何が………くそ……!
「……私は何の手だしもしない」
火祭? 何を言って……
「私は何の抵抗もしない。だから他の生徒には手を出さないで」
「ほぉ、見上げた根性だな」
火祭、駄目だ! お前は自分のことを考えろって。自分を大切にしないと。
「……私はずっと一人だった」
「あ?」
「暴力女と呼ばれ、化け物扱いされ誰も近寄らなかった。『血祭りの火祭』だなんてあだ名もつけられて周りは私を忌み嫌っていた。孤独。私は本当に孤独だった。ずっと一人ぼっち。……でも最近、友達ができた」
火祭……?
「その人はね、私のことまったく恐がらなかった。普通に私に接してくれた。私がどんな人間なのか知ってもその人は何一つ態度を変えず私に笑いかけてくれた。それどころか私の為に色々と頑張ってくれた。私のイメージを変えてくれようとしてくれたんだよ」
俺のことなのか……?
「何言ってんだお前」
「私を変えてくれるって。すごい嬉しかった……。周りの人も優しくて、たくさん友達ができた。つい最近まで一人だったのが嘘みたい。自分は変わったんだと思えた。その人の隣でずっと笑っていけるんだと思っていた。けど……それは勘違いだったみたい。結局私は何も変わってなかった。昔のように人を殴ってしまった」
そ、それは俺を守るためにしたことじゃないか。火祭は何も悪くないんだって。
「変われなかった私。私はやっぱり暴力女の『血祭の火祭』だった。人から恐れられ忌み嫌われる醜い存在。皆が私を恐れる。恐がられるのには慣れているよ。でも、あの人には……あの人だけには恐がられたくなかった。私を変えようとしてくれたあの人だけには……! もう手遅れだけど……」
違う! そんなことない! 俺は……俺は火祭のことを……!
「だから決めたの。もう暴力は振るわない。誰も傷つけない。何よりも私自身が傷つかないために」
火祭、そこまで考えていたのか……。火祭は苦しんでいたんだ。自分の噂、評価、印象。周りの批判、声、悪口。それら全てに。そして俺のことを……。なのに俺は自分のせいだとしか思わず自分のことしか考えていなかった。火祭の気持ちをこれっぽっちも理解していなかった!
「私は手を出さない。だから他の人を傷つけないで」
「……わけの分からないことダラダラ喋りやがって……黙れよ」
ドゴッ
空気が弾けた。視界がぐにゃりと捻じ曲がるような感覚。目の前で起こったことが許せなかった。体中から熱が溢れる。
「っ……」
地面に倒れる火祭。その頬は赤く滲んでいる。不良Dが火祭を殴ったのだ。いきなり、強く、冷酷に。
「うお~、やりますね内海さん」
「ためらいもなく女子を殴るなんて」
「しっかりしろよお前ら。相手は火祭だぞ。このくらいの制裁は受けて当然だ」
ゲラゲラ笑う不良ABCの声がガンガンと耳に響く。視界は相変わらず歪んでおり、手先が異様に震えてきた。駄目だ……もう我慢できない。体が燃えるように熱い。肩が自然と震える。恐怖じゃない。悲しみじゃない。単純に怒っているんだよ。火祭を殴った不良Dと、そして何もしない自分に怒っているんだ!
「じゃあ大人しくしてろよ、へへへっ」
俺が出たところで足手まとい? 火祭を傷つけてしまう? 何もできない無力な存在だぁ? そんなこと知ったこっちゃない。
「ふざけんじゃねぇ!」
火祭が殴られたのを見て何もしないなんてふざけんじゃねぇぞ俺! そんなの許せるわけねーだろうがっ!
「なっ!?」
「誰かいるのか?」
「で、出てきやがれ」
うだうだいつまでも考えてんじゃねぇよ。火祭を守るんだろ? 不良からも周りの批難からも何もかも全部引っくるめて守るんだろ!? だったらここでうじうじしてんじゃねぇよ。守れないだの傷つけてしまうだのそんなの関係ないだろ。行動もしないうちに諦めてんじゃねぇよ! 考える前に動けよ。考える前に叫べよ。考える前に守れよ! ヘタレはヘタレなりに覚悟決めやがれ!
「俺が……俺が守るんだろうが!」
「あっ、テメーはこの前の」
黙れ不良A。お前なんか眼中にない。物陰から見るのはもうやめだ。堂々と不良どもと向き合ってやるよ。びびってる? そんなの分からない。今の俺には火祭を見つめることで頭が一杯になっているのだから。
「火祭……」
視線の先には驚きで目を見開いた火祭の顔。どうしてここにいるの? と言わんばかりの表情だ。そして次に目についたのは殴られた痕。赤く腫れ、なんとも痛々しい。もっと早く助けに入ればよかった。馬鹿だな俺。あとで自分で自分を殴らないとな。俺のせいだっての。うじうじヘタレな俺のせい。
「兎月……どうしてここに?」
「助けにきた」
「な、なんで?」
「火祭を守るのは俺の役目だからだ」
それしか言うことはないです。理由なんていらない。もう何も考えることはない。というか勝手にそういうことにした!
「誰だテメー?」
不良Dがこちらに近づいてくる。真正面で見ると、こんなデカイのか。顔一つ分は高い。1m90cmぐらいあるぞ。そして屈強な体つき。伊達に県トップを名乗るだけのことはあるようだ。
「大丈夫っスよ内海さん。こいつ、この前俺らがボコボコにした奴ですから」
「雑魚ですよ雑魚」
「おらぁ、雑魚は引っ込んでろ」
俺に近寄るな不良ABC。話したい相手はお前らじゃない。こっちのゴリラだ。ゴリラの通訳をしてくれるのならそこに立ってろ。馬鹿。
「おいお前、よくも火祭を殴ったな」
「テメー! 俺らを無視してんじゃねえ!」
うるさい、雑魚に用はない。ただこのゴリラ。火祭を殴ったこの不良Dが許せない。何も悪くない火祭を殴りやがって……絶対に許せねぇ。
「そうだが。それならお前はどうするんだ?」
ニヤニヤしやがって、完全に俺のこと見下してんなぁ。馬鹿にしやがって。
「殴る」
「……ぶはっ、何言ってんだお前?」
「ギャハハハ! お前みたいな雑魚が内海先輩を殴るだってぇ?」
「馬鹿だろお前」
笑うなら笑えよ不良ABC。言ったからにはマジで殴るからな。俺はヘタレだ。それに喧嘩なんてクソ弱い。この三人相手にリンチに遭って泣きそうになるくらいにだ。で、それが? そんなの知るか。殴る。俺は今そう決意した。絶対に不良Dを一発ぶん殴ってやる。そう決めたんだ。
「上等だ。殴れるもんなら殴ってみろよ」
そして俺はゴリラと対峙した。