第29話 血祭りの火祭
「ど、どうしてここに……?」
な、なんで……なんで火祭がここにいるんだよ。下の中庭で待っていたんじゃ……。
「あぁ? 誰だテメー」
不良Aが火祭を睨みつける。しかし火祭は一切動じない。冷たい目で不良を睨み返す。
「ほらケンゴ、さっさと起きろよ。いつまで寝てるつもりだ」
不良Cはケンゴこと不良Bに近づくが不良Bはピクリとも動かない。体を揺さぶる不良C。何の反応も示さない不良B。
「おい、ふざけるなよケンゴ! ただが女の蹴り一発でダウンとかギャグでも面白くねーぞ」
不良Bの上体を無理矢理起こすC。いや……ケンゴ君…だっけ? 白目剥いてるけど……。白目を剥いて口は半開き、両腕はダラリと垂れ下がっている。
「け、ケンゴ?」
不良Bの異変に気づいたAとCは顔を歪めてお互いに見つめ合う。不安げな瞳を振り払い再度火祭を睨む不良達。
「お、お前誰だ………あっ!」
頓狂な声を上げたかと思いきや不良Aは後退りする。さっき以上に顔が歪んでいる。
「こ、こいつ……火祭桜だ!」
「ひ、火祭!? あの『血祭りの火祭』の異名を持つ噂の!?」
不良Cも大声を上げ、不良Bを捨てて火祭から離れる。またも訪れる静寂。辺りを一睨みして、不安げな表情を浮かべて俺に駆け寄ってきた。それを見て不良Aが慌てて俺の傍から離れる。
「大丈夫?」
火祭は俺の上体を起こして俺の腫れた左頬に右手を添えてくれた。ひんやりして気持ちいい。頬の熱が冷めていく感覚がくすぐったく感じた。
「げほっ、げほっ……お、俺は大丈夫。それより矢野はどうした? 会ってないか?」
「矢野さんは先に帰ってもらった、ってそれより君は自分の心配をしないと」
腹とか背中とか体の節々が痛むけど……なんとか大丈夫。とにかく矢野が無事で良かった。いててて……。
「っ、俺は大丈夫だって」
「……本当に?」
そ、そんな詰め寄らないでよ。心配そうな火祭の瞳に映る俺の情けない姿。ボロボロでなんて不様なんだ。
「大丈夫だって」
無理に笑顔を作って見せる。が、体中が痛いので満足に笑うことなんてできない。痛みで顔が引きつっているのが自分でも分かる。これじゃ信じてもらえないかもな。俺の予想通り、火祭は悲痛な表情を浮かべる。
「ここで休んでいてね」
もう一度俺の頬を撫でて火祭は立ち上がる。ゆっくりと。瞳を閉じて。その瞬間、火祭の纏うオーラが変わったような気がした。さっきまでの優しい温もりは消え、ひどく冷たく肌を突き刺すような空気が伝わってくる。
「お前ら……よくも私の大切な友達を傷つけたな」
火祭……怒ってる? 俺がボコボコにされたことに怒っているのか……。閉じた瞳をゆっくりと開く。憤怒に満ちた、どす黒く光る目が激しく燃え上がっている。
「ひぃ!?」
「び、びびるな! ケンゴは不意打ちでやられただけだ。二人がかりでかかれば倒せるはずだ」
まるで自分に言い聞かすように不良Aは叫ぶ。
「お、おう」
不良Cも立ち上がって火祭に接近する。火祭の前に不良A、後ろに不良Cの挟み撃ち。なっ、ふざけるな。火祭は女の子だ。喧嘩なんてさせるわけにはいかない。ましてや一対二だなんて。危険すぎる。
「俺が守らないと……ぐっ」
全身がひどく痛み立ち上がることすらままならない。ふ、ざけんな……! 俺が守らなくてどうする! 動け俺の四肢! 痛いだなんて思うな!
「私は大丈夫だから」
しかし火祭が諭すように言った言葉に思わず動けなくなる。体から力が抜けて地面に倒れてしまう。なんてみっともない……ここで見ることしかできないのか俺には……!
「お前らの相手は私だ。その人に手を出すことは許さない」
火祭はそれだけ言うと鋭い眼光で不良ACを交互に睨みつける。そして静寂。空気は張りつめて誰一人として動かない。不良Bは気絶し、俺は地面にのたれ、AとCはためらい、火祭は二人を睨む。
「……」
「……」
「……」
何時間にも感じられた数秒の空白の後、
「うおおぉぉぉ!」
右腕を大きく振りかぶって不良Aは火祭に突進する。不良Aの拳が火祭の眼前に迫る。ま、まずい……火祭が危ない。
「ひ、火祭!」
しかし火祭は半歩身を引くだけでパンチを躱して素早く不良Aの懐に入る。次の瞬間、
「がっ!?」
キレイなくの字の形に曲がって不良Aの体が宙を舞った。火祭の拳が不良Aの腹を撃ち抜いたのだ。凄まじい轟音が一気に跳ね上がり、空気が乱れる。
夜天・真空極拳流『昇竜烈波』
俺の頭に技名が浮かぶ。こんなカッコイイ技名だったらいいなという願望。丸々一秒間、空中に投げ出された不良Aは勢いよく地面へと打ちつけられて倒れこむ。腹を抑えて悶えているのを見る限りだと、まだ意識はあるようだ。
「う、うわ」
不良Cが叫び終わる前に火祭はすでに動いていた。視界が捉えたのは微かな影のみ。またもや簡単に懐に入ると不良Cにも『昇竜烈波』を放つ。
「ぐっ!?」
A同様Cも空中に浮かぶ。が、今度はそれで終わらなかった。火祭は不良Cの胸倉を掴んで、地に引き戻す。息つく暇もなくその直後にはローキック。それは俺が毎日のように春日から食らうローキックとは次元が違った。刃物のように光ったと思いきや、右足の鋭いローキックは不良Cの左足どころか右足をも巻き込んだ。まるで棒のように倒れこんだ不良C。何が起こったか分からず、ただ呻き声を上げるのみ。地面にうずくまる不良Cをまた持ち上げると火祭は一歩踏みこみ、右拳を握りしめて……
「ぐへっ!」
音速の如くハイスピードで右ストレートが炸裂。不良Cの顔面を捉えた。モロに食らった不良Cは一回転して今度こそ地面に沈む。そしてピクリとも動かなくなった。
「なっ……!?」
信じられない……開いた口が塞がらないとはこのことか。不良Aが叫んだゴングから一分も経っていないのに火祭は二人相手に秒殺を決めたのだ。つ、強い……それは少し腕に自信があるとか空手をやっていたなんてレベルじゃない。ただただ強い。それ以上でもなければそれ以下でもない。ただ本当に強い。それしか形容の仕様がない、冠絶した圧倒的な強さ。初見の俺だが、火祭の強さははっきりと分かった。この一瞬、この目の前で痛切に理解できた。米太郎の言っていた通りだ……火祭は本当に最強の名にふさわしい力を持っていたのだ。
「火祭……」
不良Cを一瞥して、火祭は嗚咽の止まらない不良Aに近づく。地面に這いつくばり、悶え苦しみ呼吸すらまともにできない不良A。死にかけの虫を見るような目で火祭は不良Aを見下ろし、冷たい声を浴びせる。
「おい」
「っ…げほっ、が……がはっ……はっ、ぁ……」
「お前は手加減しておいた。そこの二人を連れて、さっさと立ち去れ」
「がぁ……ぉ、おえっ……は、はいぃ!」
手足を懸命にばたつかせ震える足でなんとか立ち上がった不良AはBとCを両肩で支えつつ引きずりながら必死になって逃げていった。その恐怖で引きつった顔に俺は見覚えがあった。………火祭を見た時の遠藤の表情とまったく同じだった。火祭のことをまるで怪物のように見る怯えた表情。ただ恐怖のみで歪んだ顔……。
「……」
「げほっ……火祭……」
辺りは静かになり、夜風が肌に吹きつける。すでに日は沈み辺りは暗闇へと飲まれつつある。その中で一人立つ火祭。顔を背けていて表情が全く見えない。
「火祭……?」
しかし火祭は俺と顔を合わせてくれない。何も答えてくれない。無言、静寂……な、んで……?
「ひまつ」
「うわあぁぁ!? あの火祭が暴れてるぞ!」
俺の声はグラウンドから聞こえる声に掻き消された。声の発生源、グラウンドには練習用ユニホームを着たサッカー部員の姿が数人確認できる。こちらを見て騒ぎ立てている。くそ……今更気づきやがって。
「おいおい誰を血祭りにあげたんだ?」
「馬鹿っお前。聞こえたら俺らが血祭りにされるぞ」
「目が合っただけで殴りかかってくる鬼のような悪魔だぞ」
!? なっ、あいつらデタラメをベラベラと……! 火祭のイメージは変わったんじゃないのかよ……くそっ……さすがに全生徒までには浸透しきっていなかったか。変わってきたと思ったけど、まだ完全には変わりきってないのか。なおも好き勝手火祭の悪口を垂れ流すサッカー部員ども。や、めろ!
「くそっ、勝手なこと言いやがって……やめろお前らげほっ、がはっ」
痛ってぇ……大声出したら咽せてしまう。肺に息が詰まり、うまく呼吸ができない。さっきの不良ども手加減なしに蹴りやがって……声が……。
「ん? 火祭の横に誰かいるぞ」
「おい、そこのお前! 危ないぞ、殺されるぞ!」
「いや、もうボロボロだぞ。可哀想に……」
勝手なこと言ってんじゃねぇ。火祭はそんな狂暴じゃない! 火祭はむやみに人を傷つける奴じゃねぇんだよ! 噂を鵜呑みしやがって。
「火祭、気にする、な……っ!?」
振り向くと火祭の横顔が見えた。影に埋もれた表情……その表情にも見覚えがあった。あの日、宿題を手伝ってもらった日。クラスメイトの遠藤を含むテニス部と会って、火祭を見るや否や一目散に逃げ出したテニス部。そしてそれを悲しげな表情で見つめた火祭。あの表情とまったく一緒だった。すごき悲しげで悲痛でこっちまで悲しくなる表情………っ、なんでだよ。…そんな顔してほしくないから……笑っていてほしいから今まで頑張ってきたのに。こんなのって……!
「火祭! そんな顔するなって」
お前のせいじゃないだろ。あいつらが何も分かってないから。なら俺が分からすからさ! お前のこと理解してもらうから!
「なあ火ま、つ……り……」
火祭の両肩を掴んで視線を合わせようとするが、それでも火祭は目をそらす。目を合わせてくれない。視線を暗い影に落とすばかり。
「見たでしょ……私が人を傷つけるところ」
「見たけどさ……」
「だったら分かるよね。私は恐がられているんだよ。あの人達の反応通りの……」
サッカー部の奴らのことなんて気にしなくていい。俺はそんな風に思ってない! 俺はいつでも火祭の味方だ。だから……だからこっちを見てくれ!
「違うって火祭。そんなイメージを変えるために毎日挨拶活動を頑張ってきたんじゃないか」
「それも意味なかったみたいだね。私は変われなかったんだよ。ごめんね……迷惑かけて」
「迷惑なんかじゃない! なぁ火祭、そんな自分を卑下するなよ」
違う、違うんだよ。こんなことにならないために頑張ってきたのに! なんでだよ……どうしてこんなことに……。
「聞こえないのかお前!? 早く逃げろって」
っ、まだあのサッカー部員は……!
「っるせえ! 少し黙ってろ!」
視線をサッカー部員に向けたせいで火祭が俺から離れるのを見逃してしまった。俺の手を弾き、再び俺に背を向ける火祭。肩が震えている……。
「火祭……?」
「今までありがとうね。こんな暴力的な私と仲良くしてくれて。すごい嬉しかったし、楽しかった」
な、何言ってるんだよ……なんでお別れみたいなこと言ってるんだよ!? そんなわけないよな……なあ、火祭!?
「ひまつ」
「こっちに来ないで」
な、なんで……。
「私、恐がられてるのには慣れているの。今までずっとそうだったから。でも……でもね、君には……君だけには恐がられたくなかった。だから君に恐がられたら、もう駄目なんだよ。耐えられないの」
火祭……何勘違いしてんだ。俺が恐がっているとでも? そんなわけないだろ! 俺を助けてくれたじゃないか。それのどこに恐がるってんだよ!
「それは違う! 火祭待っ」
「ごめんね。さよなら」
伸ばした手は届かず、火祭は暗闇へと消えていった。何も見えない真っ暗闇の中へ。
「火祭、待てよ!」
俺の叫びは暗闇に飲みこまれただけで返事は返ってこなかった。喉は枯れ果て、体は痛み、後ろから聞こえる雑音と眩しい光、それら全てが異様に冷たく感じた。