第25話 ベジタブルスクランブル
突然、目が覚めた。覚めたといってもまだ視界はぼやけており脳も完全には覚醒していない。というかまだ起きたくない。おぼつかない手つきで携帯を目元に引き寄せる。ディスプレイには5:16と表示されていた。おいおい、まだ全然寝れるじゃん。どうした俺よ、何かあったのか? むくりと頭だけ起こして、カーテンの隙間から入る微かな光に目を向けつつ俺はまた夢の国へと旅立った。
携帯のアラーム音に呼ばれてベッドから這いずるように出る。午前七時二分、起床。今日も挨拶活動がある。急いで支度をしなくては。
「おはよう……ってどうしたんだよ」
リビングでは父さんと母さんがテーブルに突っ伏していた。話しかけても微動だにしない。何かあったのだろうか。朝ご飯も用意されていなかったので、戸棚から適当にツナ缶を引っ張り出してご飯の上にぶっかける。そこに醤油とマヨネーズをこれまたぶっかける。はい、朝飯完成。これでご飯三杯はいけますぜ。
「ごちそーさまでした」
朝食を済ませて洗顔に歯磨きと身仕度を終えて、あとは登校するのみ。未だに動かない両親をほったらかして玄関を開ける。う~ん、今日も一日頑張りますか。いつも通り自転車で通学しようとしたのだが、そこに自転車はなかった。代わりに自転車みたいな物体があったのだが、
「いや………これ何?」
前輪は大きく歪み、チェーンはぶち切れて地面に垂れ下がった状態。胴体の半分は右側に垂直に捩れ曲がっており、ひどく不格好だ。これを自転車と呼ぶことができようか、いやできない。
「俺の自転車が……」
登下校を共にしてきた相棒が一夜にしてスクラップと化しているなんて夢にも思わなかった。思わず指先が震えてきた。
「今朝ね、おじいちゃんが事故に遭ったのよ。対向車と激突してね」
疲れた表情で母さんがフラフラとやってきた。
「じいちゃんが!? 大丈夫なの?」
「自転車は半壊したけど、おじいちゃんは無傷だったわ。照れ顔で警察を引き連れてきた時はゾッとしたわ」
自転車がこんなことになっているのに、じいちゃんは無傷かよ。すげーな、じいちゃん。
「そこから事情聴取やら保険会社関係で相手側とも話し合いをしてクタクタ。五時近くに叩き起こされてこっちはグロッキー状態よ」
おお、俺が今朝早くに目覚めた原因はそれだったのか。にしても、じいちゃんもとんだ災難だな。いや、本当に災難なのは母さん達かもしれない。こんなテンションの低い母さんは久しぶりだ。
「ちなみにじいちゃんは?」
「昼から病院で一応検査するから、今は寝室で爆睡中よ」
なんてじじいだ。
「じゃあさ、俺はどうやって学校に行けばいいんだよ?」
「バスで行きなさい」
淡々とした口調で母さんはそう返すと、スーッと滑るようにして無音でリビングへと消えていった。
「……マジか」
改めて壊れた自転車に目を向ける。衝撃的過ぎてこれが事実だと認識出来ていないのか、はたまた感情が一周して逆に何も感じないのか。よく分からないが、別れとは急に来るものなんだなと実感した。とりあえず、じじいは一発殴らないと気が済まない。帰ったら覚えとけよ。
「よう兎月! ギリギリじゃないか!」
挨拶活動開始一分前。なんとか間に合った。バスで春日と会わなかったのは幸いだった。いやマジで。
「全員来てる?」
朝からやかましい山倉をスルーして水川に尋ねる。
「全員来てるよ。桜もね」
水川の隣には火祭が。
「おはよう火祭」
「おはよう」
ニッコリ微笑む火祭。可愛くてドキッとしちゃうよね。
「それはそうと兎月、どうして昨日は帰ったのかな?」
ドスのきいた低い声で水川が胸倉を掴んできた。あ、そうだった……。
「い、いや違うんだマミー。急用が入って帰らないといけなくてさ」
「マミー言うな。私聞いたんだよ~?」
俺にぐっと近づいて水川が耳元で囁く。
「兎月ぃ、春日さんと二人仲良く帰ったらしいね」
ぐあ、バレてる。マズイ、これじゃ俺が女の子と帰るために部活サボったみたいに思われる。
「女の子と帰りたくて部活をサボるとはやってくれるねぇ」
うわっ、予想通り。なんて言い訳をすれば……。
「どうしたの真美?」
火祭が俺達の会話に割り込んでくれた。ナイス火祭!
「ん~……なんでもないよ。じゃあ挨拶活動始めよっか」
ふぅ、助かった。
「兎月! 俺を無視するな!」
「うるさい、声デカイ」
「おはようございます」
「おはようございます」
「おはようございます!」
この挨拶活動も随分と板についてきたと思う。皆も元気よく声出しているし……まぁ山倉は出し過ぎだが。そして何より、
「おはようございます」
「おはよう火祭さん」
「火祭さん、今日も良い天気だね」
こうやって火祭に挨拶を返す人が増えたことだ。最初は返事をするどころか、火祭にびびっていたことを考えるとすごい進歩だと思う。挨拶を返す人達を見て火祭も嬉しそうに微笑む。そう、それ。火祭にはそんな風に笑っていてほしいんだ。あは、なんだか俺も嬉しい気分っ。
「ニヤニヤしないでしっかり挨拶しなさい」
水川に頭を叩かれた。その後も登校してきた春日に無意味に殴られたりした。そんなにニヤケ顔だった?
「今日はイチャイチャしないのか?」
昼休み、タッパーから取り出した一個丸々のトマトにかぶりつく米太郎にそんなことを言われた。この馬鹿は俺と春日が付き合っていると勘違いしている。どう見ても俺が春日にパシられているだけじゃないか。
「春日のことか。だから俺達付き合ってないし。つーかそのトマトなんだよ。なぜに丸ごと?」
「うちの畑で取れたトマト。塩をふらなくてもそのままで甘くておいしいのさ!」
お前んとこ無農薬だろ。虫とか入ってんじゃねーの?
「トマト最高っ。例えるなら、野菜界の宝石ルビーといったところだな」
米太郎にとって、ごろごろの野菜が味の宝石箱らしい。某グルメタレントもびっくりだろうな。
「ねぇ兎月」
「ん、水川?」
突然現れたかと思いきや、俺のパンを奪い取る水川。
「……何すんの?」
「私達と一緒に食べよ」
そう言って自分のグループに戻る水川。もちろん俺の昼飯を持ったまま。俺に選択権はないのか。人質を取るなんてマフィアのやり方にしか思えない。しょうがない、行くか。
「米太郎も来いよ」
「へっへ~、エメラルドの宝剣きゅうり~」
恍惚とした表情でタッパーから丸ごときゅうりを取り出す米太郎。こっちの声が聞こえてないみたいだ。ほって置こう。一人、水川と火祭に他の女子一人が仲良く食事する机へと向かう。今からあんな桃色ハーレム郷で昼食を取るのか……俺、大丈夫かな?
「ほら兎月君、早く来てよ」
名前を呼ばれたので素直に出向く。適当にその辺の椅子を引っ張ってきて腰掛ける。
「パン返せ、マミー」
「だからその呼び方やめてよ」
再び手中へと戻ってきたピザパンを頬張る。トマトソースの深い味わい!
「兎月君、いつもパンだよね」
クラスメイトの倉田さんにそんなことを言われる。
「親が弁当作らないから」
「佐々木君はいつも弁当だよ?」
別に米太郎が弁当だからって俺が弁当だというわけにはならないでしょうが。あの野菜馬鹿と同類にしてほしくない。
「そんなことよりっ」
机をバンと叩く水川。あなたそんなキャラだっけ?
「兎月と桜はどこで知り合ったの?」
「はあ? 火祭に聞きなさいよ」
「兎月君、あなたに聞いています」
倉田もノリノリな感じでこちらを見てくる。何これ? 火祭からも視線を感じるし。
「図書室前で会ったのが最初だよな?」
「うん、そうだね」
火祭はコジローに餌をあげていて、そこでちょっと意気投合したんだったな。
「では、次の質問っ」
「え、まだあるのかよ。続くの?」
「ズバリ、プロポーズの言葉は?」
……水川よ、何言ってんの。俺と火祭が付き合っているとでも? こいつはこいつで勘違いしてやがる。俺の周りには勘違いヤローしかいないのか。少しは話を聞いてもらいものだ。
「えー!? 私も知りたいっ」
食いつくな倉田。プロポーズなんてしてないから。
「あのね、お二人さん。俺と火祭は付き合ってないから」
「「えぇ~?」」
なんだその、嘘だ~みたいな喋り方は! 嘘じゃないっての。
「火祭、お前からも何か言ってやってくれ」
「そ、そうだよ真美。私達まだ付き合ってないから」
「まだ?」
キラリと目を光らせ、ムフフと口元を緩ませる水川。えらくご機嫌だなおい。
「まだ、ってことは……桜は将来的に付き合うことも考えているってことでオッケーですね?」
「ですね?」
水川と倉田の二人に詰め寄られて、火祭は顔を真っ赤にしてしどろもどろになる。今のは火祭のミスだな。勘違いさせるような言い方をしたら駄目だって。
「えぇと、その……うぅ?」
あたふたと言葉を探すも出てこない様子。そ、そんな可愛いアクションしないでよ。ヤバイ、火祭がすげー可愛い!
「でもね、桜。早くしないと他の女子に取られちゃうよ?」
水川、もしかして……春日のことを言ってる? だから春日と俺は恋人関係じゃなくて主従関係なの! そして自分で言うとすごく空しい!
「え!? き、君には意中の相手がいるの?」
机をガッタンガッタン揺らす火祭。いやいや、動揺し過ぎだから。
「いないって。そっちの早とちりな二人が勝手に捏造しているだけだから」
こちらとしては睨みつけているのだが、水川と倉田はまったく動じない。ただ俺と火祭を交互にニヤニヤした目つきで見ていた。マジで何なのこれ?
「へへへっ、黄土色に輝く野菜界のトパーズ、じゃがいも~」
「さすがにそれは生じゃ食べられないぞ米太郎!」
遠くから聞こえる不気味な声にツッコミを入れたところで俺の気力は0になった。もうヤダ。
題名に大した意味はありません。
あるとしたら………いや、やっぱりないです(笑)