第22話 お嬢様だって挨拶する
挨拶活動を始めて一週間、徐々に火祭のイメージが変わってきた。火祭に挨拶を返す生徒も増えてきて、教室でも火祭がクラスメイトと話す姿を見るようになった。頑張って活動してきた俺にとっても喜ばしいことだ。皆に囲まれて笑う火祭を見ていると、こっちも嬉しくなってきちゃうよ。……けどその半面、火祭と話す時間が減って俺個人としては寂しい気持ちもあるんだが……。でも、やっぱ俺なんかといるよりは色んな人といた方が火祭にとってプラスになるわけだし、寂しいと思うのは俺のワガママでしかない。なので我慢だ。が…ま…ん…。
「おはようございます」
ちなみに今も挨拶活動中だ。開始当初はボランティア部と火祭だけであったが、それに感化されて弓道部やテニス部も活動に参加するようになった。てなわけで弓道部の米太郎とテニス部の遠藤も元気におはようございますしている。
「いやー、挨拶するのも気持ちいいもんだな」
爽やかスマイルの米太郎。
「別にお前はいなくてもいいけどな」
「ひどくね!? 呼んどいてそれはないよ」
「おはようございまーす」
「うわっ、無視だよ。ひど~い」
変な声を出すな、気持ち悪い。そして別に呼んでないし。
「おはようございます」
「おはようございます」
「……おはようございます」
元気よい挨拶が飛び交う中、明らかにテンションの低い声が。それは俺の右隣から聞こえる。聞いているこっちまで気が滅入りそうなくらいだ。
「それにしてもなぁ……」
左隣の米太郎が小声で囁く。
「まさか、春日さんも参加するとはな」
米太郎の言う通り、俺もびっくりだ。今、俺の右隣には春日がいる。人が通る度に無表情で淡々と挨拶している。
「……おはようございます」
いやいや、機械ですかあなたは。何の感情もこもってない挨拶をされて誰が嬉しいんだよ。少なくても俺は嬉しくないぞ。
「春日、もーちょい愛想よく挨拶したら?」
「……」
そ、そんな不機嫌な顔しないでくださいって。つーか嫌ならなんで来たんですかい? 全ては昨日のあるメールからだった。メールの送信者は春日。内容は春日も朝の挨拶活動に参加すると書かれてあった。参加してみないかと俺が誘ったとはいえ、まさか本当に来るとは……うーん意外。
「……おはようございます」
で、来た割にはまったく楽しそうでない。誘ったこっちが申し訳ないし、挨拶される生徒にも申し訳ないわ!
「だから、もっと感情込めてさ」
「うるさい」
「……ふっ、春日みたいなお嬢様には無理かな痛っ!」
出ました春日のローキック! 激痛が右足を走り抜ける。ほ、骨に響く……軽くヒビが入ったかも。
「……だったら、やってみなさいよ」
「感情を込めた挨拶を?」
「そ」
「……おほんっ………ぅおはぁよう~ござぁいますぅ~」
オペラ歌手よろしく甲高い声を出す。感情も溢れんばかりに入っていたぜ。どうだ、これが正しい挨拶の仕方だ。
「真面目にやれ」
頭を叩かれた。叩いたのは水川。地味に痛い。春日のローキックよりは幾分かマシだが。
「俺は真面目だぞ」
「今のどこが」
「感情込めたんだよ。俺的にはアドリナ海のように広く、マリンブルーのように清らかな、そして遠く離れた恋人を恋い慕う淡い気持ちだったんだけど」
「……何言ってんの?」
そ、そんな訝しげな顔しないでよ。恥ずかしいじゃん。
「か、春日が感情込めろって言うから……」
「知らない」
しらばっくれんなよ春日ぁ! 俺から顔を逸らして挨拶を続ける春日。我関せず、といった感じだ。裏切り者め……!
「あ、春日さん。今日は参加してくれてありがとうね」
そして俺は無視される。……なんだろ、このやるせない気持ち。
「どうだ将也? 俺の気持ち分かっただろ?」
「おはようございます」
そして俺は米太郎を無視。
「でも、春日さんが参加してくれるなんて思わなかったよ」
「……なんとなく」
あれ? 春日が水川と普通に仲良く話してる。
「二人って知り合い?」
「友達だよ。ねー」
「うん」
へぇ、知らなかった。春日に友達いたのか。こんなワガママお嬢様に交友関係があるとは思えなかったけどな、って、
「痛い! 本日二回目のローキック……っ、なんだよ!?」
しかも一発目と同じ箇所。痛みが尋常じゃないんですけど……あ、やっぱりヒビが入ったわ。つーか今、俺の心の中読んだよね……読心術ですか? それって恐ろしいよ。
「別に」
「出たよ『別に』が! 理由もなく人を傷つけるなんてあるかよ。別に、って……同じ台詞を戦争に巻き込まれた善良な一般市民に言えますか? ピカソの描いたゲルニカでも見て、考え方を改めたらどうだ!」
「この馬鹿は放っておいてさ、あっちで挨拶活動しよ」
「うん」
これまた俺を無視して、水川と春日は離れていった。くそっ、無視されるのがこんなにも寂しいだなんて……。
「ま、元気出せよ。俺がいるじゃないか」
「おはようございます」
「それでも無視!? 俺達は仲間じゃないのか!?」
米太郎のシャウトが空に響き渡った。お前と一緒にするな。
「よし、予鈴が鳴ったし、終わりましょう」
挨拶を終えて俺達は校舎へと向かう。この一週間、皆もよく頑張ってくれていると思う。褒めてあげたい。……って俺、何様?
「何を上から偉そうに言っているのやら」
「何が?」
「うおっ!?」
隣には火祭が。いつの間に。気づかなかったよ。
「た、ただの独り言」
「そうなの? ふーん」
「……」
「……」
「……あの、火祭?」
「ん?」
「どうして俺のところに? 水川達と話したらいいじゃん?」
俺なんかと話すより他の人と交流してもらいたい。そのための活動でもあるわけなんだから。
「……今日、君と話すの……初めてだから」
今日? …あぁ、確かに今日初会話だな。
「……って、そんだけ?」
「それだけじゃ駄目……?」
いや……駄目ってわけじゃないんだけどね。だから火祭にはより多くの人と話してもらってイメージを変えてもらいたいわけであって。
「それとも、私と話すの嫌?」
上目遣いでこちらを覗き見る火祭。そ、そんな目で見つめないでください……。ハートが締めつけられちゃう!
「いやいや、全然。俺的には火祭と話せて嬉しいことこの上ないよ」
「ならいいでしょ?」
う~ん、そんなもんか? そこからはいつものたわいのない会話をしつつ、教室へと向かっていった。相変わらず前を歩く米太郎と山倉は『おねブル』で盛り上がっていた。あ、今日は遠藤も参加している。皆大好き『おねだりブルーベリー』。
「楽しそうだな」
「そーだな」
昼休み、昼飯を頬張りつつ俺と米太郎はキャピキャピ騒ぐ水川グループを眺めていた。もちろんそのグループの中には火祭もいる。
「何を話してんだろ」
「さあな」
別に内容はたいして気にならない。火祭が笑っているならそれでいい。
「ガールズトークか……。いいな~。俺もして~」
ポテトサラダを口一杯に頬張って米太郎がそんなことを漏らす。ついでにポテトもこぼす。汚い、やめてくれ。喋るか食べるかどっちかにしろ馬鹿。
「ま、火祭が楽しそうならそれでいいんだよ。本当、水川には感謝しないとな」
水川がいなかったら、火祭がこんなにも皆と仲良くなるにはもっと時間がかかっただろう。水川の頑張りに感謝。
「水川もだけどさ。将也、やっぱお前が一番偉いよ」
ポテトサラダを飲みこんだ米太郎の意外な一言。え……俺?
「俺が? 別に何もしてやれてないけど?」
「お前が挨拶活動し始めたんだろ。そのおかげで火祭のイメージが良くなりつつあるんだから、お前のおかげだろうが」
「頑張ったのは火祭じゃん。俺そんな関係ないし」
「謙虚だな~将也は」
なら、お前も見習え。そして謙虚ではない。事実だ。火祭の印象が変わったのは火祭自身が頑張ったからだ。俺はその手助けしかやっていない。こうやって火祭が笑顔でいてくれるのがどんなに喜ばしいことか。もうあの時の悲しい表情は見たくないからな。
「……まぁ、少し寂しくもあるがな」
「どうしてさ」
「火祭が皆と仲良くするから俺と話す時間がないから………って俺の自己中!」
何を米太郎に本音を漏らしているんだ俺は! これじゃ俺が火祭と一緒にいたいみたいな独占欲の強い奴じゃないか。……そう思っているのも否定できないが。
「ほー、嫉妬しているんだなー」
「う、うるさい」
くそ、とんだ恥さらしだ。穴があったら入りたい。穴がなくても、あなをほるを覚えてでも掘ってやる。よっしゃ、わざマシン持ってこい!
「まーまー、そんな強がんないでさ」
ニヤニヤ笑う米太郎。や、やめい! 全てを知ったような顔でこっちを見るな。今だけはポテトサラダにがっつけ!
「大丈夫、そう心配するなって。火祭は将也といる時が一番良い笑顔してるからさ」
「俺といる時が……?」
そんなわけないだろ。水川グループを見れば、その中で火祭は楽しそうに笑っている。あんな笑顔、俺といる時にしてないもん。
「あれ以上に良い笑顔だよ。それはお前だけにしか向けられてないの。分かる?」
「そうか?」
「自覚ないのか? うわっ、ニブっ。怖い怖い怖い怖い怖い怖い~」
なんだその馬鹿にしたような目つきは。無性に腹立つんだけど。
「朝だってさ、わざわざお前のとこに行ってたじゃんか。火祭もお前と一緒にいたいんだよ」
「そうなのか?」
「自覚ないのか? うわっ、ニブチン。怖い怖いこ、ぶへぇ!?」
ムカつく米太郎にグーパンチをお見舞いする。少し黙っとけ。とにかく、火祭はたくさんの人と交流した方がいいんだ、うん。もやもやする気持ちを米太郎にぶつけ(グーパンチ二発目)、昼飯にがっつく。うん、やっぱメロンパンは美味しいよな。
「ったく、これだから将也は」
「口からポテトサラダがこぼれているっつーに」