第14話 高級レストランに庶民が一人
とあるビルの最上階。オレンジ色の暖光が燦燦と輝くシャンデリアの下、テーブルに広がる様々な料理は極彩艶やかに炸裂する花火のようにその存在感を示し、グラスに注がれたワインは甘美的な香りを漂わせる。視線を外へと向ければ満天の星空のように輝く静穏な夜景。そして沫雪が溶けるかのような柔らかい音色で耳を癒すジャズのバックグラウンドミュージック。……なぜ俺はこんな所にいるのだろうか?
五月三日、何かの祝日。何か知らない。憲法記念日だったかな? そんなことは知らなくとも学校は休みになるので全然構わない。昨日は遠足で一日中遊びまくるつもりだった。が、春日に連れられて洋服店に行き、スーツを購入。そして今日は春日と食事に行くことになっている。時刻は午後六時二十四分。俺は新品のシワ一つないスーツを着て玄関に立っている。家の中にいると母さんとじいちゃんに笑われるので外に出ている。そりゃ俺にスーツが似合わないのは自分でも分かっているさ。それにしても母さん達は笑い過ぎだ。じいちゃんにいたってはブログに載せるとかほざいてやがった。ふざけるな、炎上しやがれ。ソワソワしながら待っていると高級感溢れる車が家の前に止まった。うお~、すげー車……カッコイイ。高級車に惚れ惚れしていると運転席から前川さんが出てきた。前川さん、春日家の専属運転手。すごく良い人。
「こんばんは、兎月様。お迎えに上がりました」
「いやいや、前川さん。そんな敬語使わなくていいですって」
俺みたいな庶民に様付けはもったいないって。
「どうぞ」
前川さんがドアを開けてくれて、俺が車の中に乗りこむ。やっぱり中も凄い……このスーツとマッチしている。俺自身には全く似合わないけど。
「それでは出発します」
車は音もなく発進する。お、これが噂のハイブリットか。すごいよ。
「恵様も今日は楽しみにしておりましてね」
前川さんの思いもしない言葉。春日が楽しみにしていたとは。
「そうなんですか? 俺とご飯食べるだけでしょ」
「それが嬉しいのですよ」
う~ん、信じがたい。あの春日がだぜ? 俺のことを下僕扱いしているくせに、その下僕との食事を楽しみにしている? ありえないって。
「近頃、恵様は兎月様の話をよくしております。私も嬉しい限りでございます」
「は、はぁ」
「どうかこれからも恵様をよろしくお願いします。あと、このことは恵様にはご内密にしてください」
ミラー越しに微笑む前川さん。なんて良い人なのだろう。
車が走りだして数十分。窓を覗けば連なるビル群が目に入ってくる。どうやら都市へと来たらしい。なんかすごい場所だな。たぶん俺は今までに来たことがない。
「到着致しました。それでは」
「ありがとうございました」
車を降りると目の前には巨大なビルがそびえ立っていた。見上げただけで首が痛くなっちゃった。なんて高さだ。そしてデカイ。あっぱれ日本の建築技術と感服していると、ビルの中からスーツ姿の男性が颯爽と現れて俺を迎えてくれた。
「お待ちしておりました、兎月様。どうぞ、こちらへ」
またも様付け。やっぱり様付けは慣れないや。言われるがまま俺は雲にも届きそうな痛みの塔…じゃなくてビルの中へ入る。そしてロビーの広さに驚愕した。体育館ぐらいあるんじゃね? そして大きさの比喩で体育館をだすのはおかしいよね。ごめんなさい。あ、あと……ロビーがすごすぎるだろ。何十個とあるシャンデリアが惜しみなく吊るされており溢れんばかりの光でロビーを照らす。床には真紅のカーペットが敷かれており、その上を歩くのを躊躇うくらいだ。
「恵様もまもなく到着しますので、もうしばらくお待ちを」
そう言われて俺は待つことになった。エマニエル婦人が座っていそうな椅子に腰掛ける。……俺ここにいていいのか? 辺りを見回せば、立派なスーツを着たダンディな男性やら素敵なドレスを着たセクシーな女性がいるのだが、もれなく全員がすごいオーラを出しまくっている。こ、これが金持ちオーラなのか。そりゃ、こんな立派な所にいる皆さんですから、お金持ちなのは間違いない。たぶん庶民は俺ただ一人……。
「ヤバイ…緊張してきた。こんなセレブのたまり場にいたら庶民の俺は死んじゃうって」
嫌だ、もう帰りたい。この場から消えてしまいたい! ルーラ! 駄目だMPが足りない!
「兎月様、恵様がご到着しました」
高級オーラに圧迫されていたが、その声に反応して顔を上げると、
「……!?」
視線の先にはとてつもない美少女が。嘘………か、春日!? 輝くような水色の絢爛たるドレスを身に纏い、真珠のネックレスをしているのだが、もう……綺麗! もう正直に言います。俺の中でNo.1です! まるで本当のお姫様のように美しい……。
「待たせたわね」
数人のSPらしき黒服の男性を引き連れて春日がこちらへと来た。
「い、いや、全然待ってないです」
こ、声が出ない。あまりに美しくて直視できない。他にも美しい女性はいるが、春日はその中でも一際輝いているよ! 眩しいよ!
「じゃあ行きましょう」
そう言って春日は手を差し出してきた。な、何?
「も、もしかして……エスコート?」
「そ」
……む、無理無理ぃ! エスコートなんてできないよ! 名称しか知らないって。あんなの外国の王族貴族のパーティとかでしかやらないでしょうよ。俺には全くの無縁だと思っていたのに。
「うぅ~!?」
なんかテンパってきたぁ!?
「手を取ればいいのよ」
春日が俺の手を取る。手に広がる温もり。あ、温かい……す、少し落ち着けたかも。かと思いきや、春日と手を繋いだという事実が頭を振り動かし、またパニくってきた!
「あ、う、うん。ありがとう」
「行きましょう」
手と手を添えるように繋いで俺と春日は並んで歩く。う、うお~、周りから視線を感じる……! 春日が綺麗で見とれているのか、はたまた俺のぎこちない動きを嘲笑しているのか。たぶん両方だな。俺と春日はエレベーターに乗る。エレベーターはぐんぐんと上昇していき、なんか吐き気が……。た、たぶんエレベーターのスピードや浮遊感のせいではなくて、ただ単に俺自身が緊張しているせい。まだ上昇し続けるエレベーター。うそ、二十階を超えちゃう? 何階建てなんだ!?
「緊張してるの?」
隣の春日が話しかけてきた。
「き、緊張? いやいや、全然っ」
「なら、この手は?」
「え……あっ」
手元を見ると、俺は春日の手をがっちり握っていた。手を添えていただけなのがいつの間に。や、やっちまった!
「ご、ごめん!」
恥ずかしい! あと春日の手、柔らかったです。
「行くわよ」
前を見ると、エレベーターが開いて眼前には別世界が。オレンジ色の光に照らされて輝く椅子やテーブル。耳を撫でる美しい音楽。鼻をくすぐる何やら美味しそうな匂い。視覚、聴覚、嗅覚が慌てて脳に情報を送るから頭は混乱している。つまり俺は今テンパっている!
「れ、レストラン?」
「そ」
こんな神秘的なレストラン見たことないんだけど。
「ようこそお待ちしておりました春日様。どうぞこちらの席へ」
清楚な姿のウエイターが席へと案内してくれた。テーブルに座る俺と春日。席は二つしかないけど、
「春日の親父さんはいないの?」
「パパは仕事で来れないって」
やっぱ忙しいんだな。さすがは社長。お勤めご苦労様です。
「それでは失礼します」
その声とともにウエイターがグラスにワインを注ぐ。もうなんか緊張して何が何だか……。
「はい」
春日がグラスを持って掲げる。こ、これはもしや……乾杯というやつでは……!?
『かんぱーい!』
『乾杯っ』
『君の瞳に乾杯』
『君のおっぱい』
俺の頭に四つのコマンドが表示される。下二つはやばい。特に一番下は完全アウトだ!
「か、乾杯」
ごく普通の乾杯としか言えませんでした。こんな未知の領域でボケる度胸と技量はありません。チン、とグラスが鳴る。テレビとか見た記憶だと確か少しだけ口に含むんだっけ? ワインを一口。口の中に広がる苦味と微かな甘み。うっ、ワインって美味しくない。俺って子供~。そして前菜やスープと次々に料理は運ばれてきた。ちょ、見たことのない色のソースがかかっているんですけど? え、大丈夫? ナメック星人の体液じゃないよね? それって捕獲レベルどのくらい!?
「あ、美味しい」
ナメックソース(俺命名)イケるじゃん。超絶に美味い。あれ……なんか食事って楽しい! さっきまで緊張していたけど…いやいや、せっかくの高級レストランだ。楽しまないと。
「それに夜景も綺麗だし、春日も綺麗だし………はっ!?」
ポロッと漏れた俺の本音が聞こえてか、目の前の春日が俯いてしまった。お、怒らせちゃった? はあううあぁぁ!? ヤバイよ、春日を怒らせるとヤバイって。
「い、いや、今のは思わず言ってしまったというか、本音が出てしまったというか……け、決して悪意はないです」
う、うぅ!? 俺の命が危ない! 春日さん何か返事を求む!
「……」
「……」
「……」
「……」
「………あ、ありがとう」
ごにょごにょと微かな声で春日がそう言ってくれた。おぉ、よかった。怒っていないようだ。
「う、うん」
……なんか変な空気になった。どうしよ? よし、とりあえず料理を食べよう。
「こちら、オマール海老のクリームパスタでございます」
またもや高級そうな料理が。うは~、美味そう! テーブルマナーなんか無知の俺は我流で料理にがっつく。周りの視線? そんなものはもう気にしないさ。
春日と食事すること一時間。次々と出される極上料理を満喫しながら春日と楽しく会話していた。まあ、俺が楽しいだけで春日はどう思ってるか知らないけど。それにしても今日の春日はよく喋るなぁ。普段はそんな喋らないし、俺の質問は無視するくせに。そう考えると、前川さんが言っていたことは案外と正しいのかも。春日も楽しんでくれているのかな?
「俺ボランティア部なんだ。今度よかったら活動に参加してみる?」
「……気が向いたら」
デザートの完熟マンゴーのシャーベットも食べ終わり、そろそろ終わりが近づいてきたっぽい。
「あ~…もう終わりか」
どれも美味しかったし、どれも食べたことのないものばかりだった。でもやっぱ、貧乏舌を持つ庶民の俺には贅沢過ぎたかも。
「春日様、そろそろお時間でございます」
ウエイターが告げるお開きの合図。
「……そ」
「え~まだここにいたいですぅ」
春日に駄々こねてみる。
「うるさい」
怒られちゃいました。そりゃそうですよね。そんなワガママは通りません。
「……私も」
「え?」
何か言いました? 聞き取れなかったんですけど……。
「なんでもない。行くわよ」
席を立つ春日。もうお開きか……良い思い出になったな。俺が将来お金持ちになったらまた来ようかな。そしてお金持ちになれなくても無理して来よう。ロビーでは前川さんが待ってくれていた。
「いかがでしたか兎月様」
「とても美味しかったです。また来てみたいです。それと…本当に代金はいいのですか?」
あのフルコース一人前でいくらするのだろうか……考えただけで恐ろしい。
「構いませんよ。兎月様は恵様を助けてくれたのですから、そのお礼として受け取ってください」
「では有り難く受け取ります。春日もありがとうな。とても楽しかった」
満面の笑みで春日にお礼を言う。今の俺にはこんなことしかできないのです。
「……そ」
顔が少しだけ赤い春日。ワインの飲み過ぎですかい?
「では、兎月様。車を用意しておりますので」
「分かりました。わざわざありがとうございます」
もう一度春日へと顔を向ける。最後にこの美しい姿を脳裏に焼き付けておきたい。心のシャッターを押す。
「じゃあな、春日。親父さんにもよろしく言っといてくれな」
いや~こんな贅沢な食事ができるなら下僕も案外悪くないかもな。
「兎月」
「ん? 何?」
「……また学校でね」
「おぉ、またな!」
庶民スタイル丸出しで春日に手を振る。もう恥ずかしいなんて微塵も思わないぜ!
「じゃあ家までお願いします」
「かしこまりました」
前川さんのパーフェクト運転で俺は家へと帰った。
「……またいつか」