【痰カス】WEB小説にテンプレがあるということは、作者は表現をしてないということなのでは?
再三言っておりますが、俺は面白ければコンテンツの性質なんてどうでもいいと思っている人間です。
なので、なろう系とラッピングされていようが、不自然なVチューバーのコラボ出演があろうが、「そういう需要があるんだな」と一人で事実を飲み込むだけに留まります。単純に、そのうえで吟味し評価を下すに過ぎません。
なんなら、「まぁ確かにアングラ感丸出しで大衆からすればキモいだろうし、カウンターがネタになりそうだな」とか考えたりもします。そんな経緯で生まれた短編小説の数々を、俺の読者は推して知るところであると思います。
インターネットに蔓延り、弱者男性を食い物とせん権威めいたコンテンツを叩いて傾いてこき下ろす。そして、目標の目立たない場所に掠り傷を負わせる程度の文学義賊こと夏目くちびる、今宵も参上でござる。ニンニン。
今回は創作における本質。つまり、自己の表現にまつわるエトセトラ。果たして、『なろう作家は表現しているのか』という観点から、唾棄すべき痰カスを連ねてゆこうと思います。
前提条件として『創作とは自己の表現である』という常識っぽいものを留意しておいてください。物語って、伝える手段の一つでしかありませんからね。
ぺっぺっ。
根本的に、俺は『売れたから勝ち』とか『有名だから勝ち』みたいな思想があまり好きではありません。なぜなら、それは最も重要な『面白さ』を蔑ろにする考えだからです。
ミスター味っ子という漫画の主人公である味吉陽一はこんな事を言っていました。
「料理に高尚も低俗もない。あるのは、うまい飯とまずい飯さ」
素晴らしい。
俺も全く同じことを思います。どれだけキショかろうが面白いもんは面白いし、つまらんものはつまらんのです。だから、人は何を好きになろうが何を嫌おうが構わんのです。もちろんアングラであれば(ここ重要)、胸を張ったり人に認めさせるような必要はありません。自分の中で完結できる程度に満足すれば、それが幸せになったりするのです。
くちびるにとって、『面白さ』こそが正義なのです。故に、人は何を表現してもいいと思っています。文字通り何でもです。例外はありません。
まぁ、殺人や強姦を面白くする方法なんて、俺はフィクション以外に一つも知りませんが。
そんな中で、ならば、自由を欠いた小説は果たして表現足り得るのだろうか。朝靄の中を走る電車の窓の外をぼんやりと眺めていたくちびるは、そんなことを思いました。
『なろうテンプレ』という言葉を、流石にこの場所にいる人たちはご存知でしょう。中世っぽい異世界とか、ステータスオープンとか、婚約破棄とか、そういうやつです。
WEB小説は、これらの要素が組み合わせることで、恐ろしく局所的且つ限定的な普遍性を齎しています。どの小説を開いてみても中身が同じであると感じるのは、書き手ではなく素材のせいというわけです。
本屋に行って適当な表紙の違う二冊を開いてみて、その中身が同じなんてことはありません。更に言えば、仮に世界観や題材が似通っていても、物語が同様に進行することはあり得ません。キャラクターが違えば、出来事は必ず違ってくるからです。
つまり、WEB小説における最も強力なテンプレートとは、世界観でもステータスオープンでもなく『キャラクター』なのです。必ず同じような主人公やヒロインしか出てこないから、普遍的な小説群が存在してしまうわけですな。
まぁ、だったらその主人公とやらは何者なのかと言えば『読者』であるわけですが。今回は表現か否かの話なので、ここいらで構造の話はやめて本筋へ戻ろうかと思います。
よしなに。
結論から述べますが、俺は読者に媚びて自由度を失いテンプレートに則ったなろう系小説は表現でないと考えます。
そして、それしか読まれないWEB小説の仕組みによって新規参入や新ジャンルの開拓の機会が失われていることは悲劇です。創作の本質を著しく欠き、出来の悪い型抜きのような粗製乱造が罷り通る現状は、若い才能を潰す文化的に最も邪悪な展開と言えるでしょう。
……なんか、小難しい表現になってしまいましたね。要するに、「俺っち気に食わねぇ」って話です。
説明します。
そもそも、表現とは心に思ったことや脳内に思い浮かべたことをアウトプットする作業のことを言います。個人的に最も納得の行く『表現』の表現は『内面世界の具現化』でしょうか。この『具現』という言葉はいかにも文化然としていて、くちびる的にもお気に入りのワードだったりします。
己の内側にあるパトスを叩きつけることこそが、創作を用いた表現なのです。故に、人は物語を目撃すると理性を超えた感動を得たり得なかったりするわけです。
しかし、現在目立っているWEB小説は少なくとも個人の内面世界を具現化してるようには思えません。
テンプレートが存在し、一部の熱烈な読者に受け入れられるために書かれた小説。転生、或いは追放。突然の覚醒、神様からのギフト。元いたパーティへ復讐、貴族への報復。そして、タラタラとやれて当たり前の生活や冒険に身を投じるのです。
彼らが最後、どうなるのかを知る者はいません。なぜなら、テンプレートのその先という形而上を表現することが、WEB小説上で許されていないからです。
こんなん面白いわけねーだろ!! ハゲ!!
個人の内面世界を反映させた作品は、殆どの場合誰にも読まれることはありません。言ってみれば、俺たち素人の書く物語は表紙のない本なのです。そこに、カテゴライズというラッピングを施さなければ、おすすめされなければ、安心できなければ、読者は決して手に取るようなことなどしないのですよ。
なに? テンプレを強制してるわけじゃないって?
読まれなければモチベも上がらない新人にとって、ランキングとテンプレに縛られるのは強制以外の何物でもないだろ。タコ。
もちろん、だからといって読者が悪いとは、俺は毛ほども思っちゃおりませんがね。むしろ時間は有限なんだから当たり前。悪いのはシステムですよ、システム(メガネクイクイ)。
太古より批判にさらされ続け、或いは嫌われ続けた俺のような生粋のキモオタならば、そういう環境に身を置いても痛くはありませんが(嘘、ちょっと痛い)、最近になって執筆活動に興味を持った新人や、それこそ若い才能が現実に直面した時、自分の書いたものがテンプレに薙ぎ倒される様を見せつけられた時、果たして正気を保つことが出来るでしょうか。
無理だよ、だって辛いもん。
読者に迎合して量産されたランキング上位の作品は、集合意識の具現化てす。決して個人の内面世界などではなく、言わば共有された設定を使った二次創作。短くはない時間で最適化されてきた世界を、寄せては返す波のよう、幾重に繰り広げられた出来事をまたしても再生しているに過ぎないのです。
違うのは、ただ再生ボタンを押す人間だけ。『ポチッとな』の言い方を変えただけのそれを、俺は表現だとは思いません。
この界隈にいる者は、まるでテンプレという神様に群がる信者のようです。ハーレム小説が大好きな弱者男性たちは、その実、自分たちが信者であるなろう系教に群がるハーレムヒロインだったという強烈な皮肉です。
怖ぇ。
ランキングをパッと見て最初に俺が思うことは「陳腐だな」です。ひとまず多様性を重要視しようとする世界の潮流に逆行するかの如く、WEB小説は同一のものばかりが広がっている。マーケットへ赴き、品揃えが一つしかない棚を見れば「陳腐」以外の感想は出てこないのも当然でしょう。
先鋭化した読者によるWEB小説の自由の剥奪。その象徴こそが、ホームページにデカデカと載せられているランキングというわけです。
つまんね。
そんなわけで、少なくとも小説を書いて表現をしている作者諸君。キミたちは持ち込む場所が間違っているだけで、作品がつまらんわけじゃないかもしれません。有名になることに囚われず、是非とも、自己満足に勤しみ小さな幸せを噛み締めましょう。
希望を捨てろって言ってるんじゃありません。ここで作品を投稿するならば、捉え方を変えた方が楽だって話です。
何が言いたいのかと言えば、戦いになってないって話です。ランキングは面白さの指標ではなく、『どれだけ読者の刹那的な欲求を満たせたか』の指標になっているということです。
そんなの、悔しがる方がおかしい。
表現は、決して恥ではないです。もしかするとコメントてボロクソに叩かれた人もいるかもしれませんが、それだけは勘違いしないように。
……しかしながら。
こういう記事って、調べれば既に問題提起している先駆者がたくさんいるわけで、俺よりもよっぽど深く、そして意識を持って批判されているんです。別に参考にした記事があるわけではないにしろ、やっぱり似通った意見となってしまうわけです。
ならば、俺がただ意見を主張しても二番煎じでしかない。一方向から投じたって、俺の声なんて負け犬の遠吠えにしかならないし。そんなのは面白くないなぁ。
……。
そうだ、平等にすればいいんだ(ニチャア)。
つーか、批判記事が異常に好きな奴って、要するに『迎合出来ないだけで本当は自分にも売れる実力がある』と思ってる、テンプレ好きとはベクトルが違うだけの弱者男性だよな。単にテメーに実力がないだけなのかもしれねぇのにさ。
お前の本質って、お前が嫌ってる連中と何一つ変わらねぇぞ(笑)
そういうわけだから、何かをこき下ろす記事読んで賢くなった気になってんなよ!! ここに安らぎを覚えるようになったら、何かに晒されるたび傷付いてお前が辛くなるだけだぞ!!
要するに、何事もバランスなんだよ!! 俺みてぇな奴の意見に縋ったら終わりだってこと覚えとけよ!!
敬具!!(白目を剥いて爆散)




