【第四話】 犯人
ガストンの戦斧が、カイの脇腹を捉えた。
「――ッ!!」
肉が裂け、骨が軋む。猫人の瞬発力で致命傷は避けたものの、カイの体は瓦礫の山へとくの字に叩きつけられた。
視界が白と黒で点滅する。
(……あ……)
ダゴが死んだ。
『まっすぐ、生きろ』
『西の奴らを、頼れ』
目の前で、ガストンが血に濡れた戦斧を無作法に振り、カイに付着した血を払う。
「……フン。手間をかけさせおって」
ガストンは、もはや抵抗する力も残っていない「害獣」にとどめを刺すため、ゆっくりと歩み寄る。
(……まっすぐ……頼れ……?)
(ふざけるな……)
(こんな理不尽がまかり通って、どう『まっすぐ』生きろってんだよ!)
(こんな結末、俺が許してたまるか)
「―――ウアアアアアアアアアアアアッ!!」
それは、もはや人間の、あるいは猫人の声ではなかった。
仲間を奪われ、故郷を焼かれ、尊厳を踏みにじられた「獣」の、魂からの咆哮だった。
ガストンが戦斧を振り上げた、その瞬間。
カイは、折れた肋骨の激痛を、沸騰する怒りで焼き切ると、瓦礫の山を蹴ってガストンの懐へ、一直線に飛び込んだ。
あまりにも「まっすぐ」な、死への突撃。
「――なっ!?」
ガストンは驚愕した。
虫の息だったはずのカイが、ありえない速度で自分に向かってくる。
だが、騎士団長は冷静だった。彼はカイの突進を読んで、戦斧ではなく、左腕に装備した分厚い鉄甲でカイの顔面を殴りつけた。
「がっ……!」
カイの体は再び吹き飛ぶ。
だが、今度は受け身を取っていた。カイは瓦礫に背中を打ち付けながらも、その衝撃を猫のように殺し、即座に身を翻す。
「……まだ動くか、しぶとい害獣め」
ガストンは、カイが落としたナタを一瞥し、それを足で踏み砕いた。
「武器も失くして、何ができる?」
カイは、答えない。
ただ、燃え盛る家々、入り組んだ路地、瓦礫の山を――自分の「庭」を、金色の瞳で見回した。
(力じゃ勝てねえ)
(真正面からじゃ、殺される)
(……ダゴさん、あんたの言う通りだ。俺の『まっすぐ』は、俺を折っちまう)
(――だから)
カイは笑った。
(――あんたの遺言、半分だけ破らせてもらうぜ)
カイは、ガストンに背を向け、亜人街の闇の中――炎上し、半ば崩れかけた家屋敷(かつての酒場)の中へと全力で疾走した。
「逃げるか! 獣が!」
ガストンは、カイが逃げ込んだ入り組んだ路地へと、部下たちを無視して一人で追撃する。
ここから先は、カイの独壇場だった。
ガストンは「力」ではカイを圧倒する。だが、ここは「壁」と「屋根」と「瓦礫」が支配する、猫人の領域だった。
「どこだ!」
ガストンが路地を曲がると、カイの姿はない。
カイは、垂直な壁を駆け上がり、燃え落ちそうな梁の上からガストンを見下ろしていた。
ガストンが空気を読んで上を見上げた瞬間、カイは梁を蹴ってガストンの背後にある別の建物の窓へと飛び移る。
「こっちだ、豚野郎!」
「小賢しい!」
ガストンが戦斧を振り回し、カイが飛び移った窓ごと建物の壁を粉砕する。
その時、ガストンの背後の物陰から、助祭コルネリウスが姿を現した。
「ガストン卿! 害獣一匹にいつまで構っている! 司祭様から拝命した『仕上げ』が遅れるぞ!」
「黙れ、コルネリウス! 任務の邪魔をする奴から先に始末するまでだ! こいつは俺が殺す!」
ガストンは忠告を無視し、再びカイが逃げた方向――崩れかけた家屋敷の中へと、戦斧を担ぎ直して踏み込んだ。
コルネリウスは、その背中を忌々しげに見送り、小さく吐き捨てた。
(……この脳筋めが。司祭様は『ガストンが滞りなく実行するか見届けよ』と仰せだったが……。あの獣、妙に素早い。万が一、ガストンがしくじるようなことがあれば……私が『仕上げ』を代行せねばなるまい)
コルネリウスは、再びガストンとカイの戦闘から距離を取り、監視役に戻るべく闇に消えた。
「どこだ、獣め!!」
家屋敷の中に踏み込んだガストンは、カイの気配が消えたことに苛立ち、戦斧を闇雲に振り回した。
「隠れても無駄だ! 炙り出してやる!」
炎と煙の中、カイは崩れ落ちる瓦礫の影に息を潜め、その憎悪を冷たく研ぎ澄ましていた。
(……訳もわからず攻め込まれ)
(……ダゴさんが死に)
(……『涙石』を盗んだと、濡れ衣を着せられ)
(……クソッ……!)
血の気が引いていく。
その手が、瓦礫の間に転がっていた「何か」――崩れた壁から突き出た、錆びて先が尖った鉄パイプの残骸を握りしめた。
ガストンは、カイが潜んでいそうな瓦礫の山に向かって、戦斧を振りかぶる。
「そこか!」
彼が、瓦礫を粉砕しようと戦斧を振り下ろし、その巨体が(カイの隠れている)背後へと完全に無防備な隙を晒した、その一瞬。
(――今だ)
カイは、崩れた壁の影から、無音で飛び出した。
猫人の最後の瞬発力。
ガストンの、鎧の隙間――兜と胴当ての「首」の隙間だけを狙って。
ガストンは、背後から迫る「死」の気配に気づき、振り向こうとした。
遅い。
カイは、手にした「武器」――尖った鉄パイプを、ガストンの首の隙間に、全体重を乗せて突き立てた。
「――が」
ガストンの巨体が、硬直する。
カイは即座にそれを引き抜き、今度は逆の手に持ち替え、ガストンが体勢を立て直すより早く、鎧の隙間である脇の下へと、下から抉るように突き刺した。
「……ぐ……ぉ……」
神殿騎士団長ガストンは、信じられないという顔でカイを見上げ、そのままゆっくりと、地響きを立てて仰向けに崩れ落ちた。
「……はっ……はぁっ……はぁっ……」
カイもまた、その場に膝をついた。脇腹からの出血がひどい。
だが、仲間の仇は、とった。
その時だった。
ガストンが倒れた衝撃で、彼の腰に下げられていた、一際頑丈そうな革袋が破けた。
(……?)
中から、黒い布に何重にも包まれた「何か」が転がり落ちる。
カイは、よろめきながらそれに近づき、布を剥いだ。
瞬間。
息を呑んだ。
「――アウリナの、涙石」
神聖な光を放つ、都市の「聖遺物」。
人間たちが、これが盗まれたからと、この虐殺を始めた。
その「聖遺物」が、なぜ。
なぜ、虐殺を指揮していた騎士団長の鞄から出てくる?
(……まさか……)
(『証拠』……?)
(あいつら……これを……)
「―――見ろ!!」
その瞬間。
炎の向こうから、甲高い声が響き渡った。
カイが顔を上げると、そこには、ガストンの動向を監視していた助祭コルネリウスが立っていた。
コルネリウスは、カイの後ろに駆けつけた他の騎士や民衆たちに聞こえるよう、その光景を指さした。
そこにあるのは、
炎上する亜人街。
惨殺された神殿騎士団長ガストン。
そして。
そのガストンの傍らで血に濡れ、盗まれたはずの『聖遺物(アウリナの涙石)』を、その『穢れた』手に握りしめている、一体の亜人――カイ。
これ以上ない、完璧な「状況証拠」だった。
(……ガストンはしくじったが……好都合だ!)
コルネリウスの顔が、狂信的な『正義』の喜びに歪む。
彼は、都市中に響き渡る大声で叫んだ。
「見ろ! あの亜人がガストン騎士団長様を殺害した。しかも『聖遺物』を手にしているぞ!」
民衆が、騎士たちが、コルネリウスの指さす先を見て、憎悪に息を呑む。
「奴が! 奴こそが、『聖遺物』を盗み、我らの守りを破壊した『犯人』だ!!」
「「「うおおおおおお!!」」」
炎と怒号の中、都市中の憎悪と「正義」の矛先が、たった一人、聖遺物を手にしたカイへと集中する。
カイは、その憎悪の濁流の中心で、冷たく光る『涙石』を握りしめたまま、静かに立ち尽くしていた。
生前のダゴが心配した「熱血漢」の光は、その金色の瞳から消えていた。
ただ、すべてを焼き尽くすような、冷たい復讐の炎だけが宿っていた。




