【第三話】 炎と獣
「壁だ! 『壁』が破られるぞ!」
亜人街と人間の居住区を隔てる、錆びついた鉄と瓦礫の「壁」。それが、大型の破城槌(は城槌)を持った神殿騎士団によって、凄まじい音を立てて破壊されていく。
「な、なんで……俺たちが何したってんだよ!」
「来るな! こっちに来るな!」
カイの仲間たちが、怯え、怒り、混乱に叫ぶ。
その叫びは、壁の向こうから押し寄せる「正義」の怒号にかき消された。
「『穢れ』を祓え!」
「『涙石』を返せ!」
「神罰だ!」
「『涙石』だと?」
「何を言ってやがる!」
カイは混乱した。なぜ自分たちが、都市の生命線であるはずの聖遺物を盗んだことになっている?
だが、壁が完全に崩落し、武装した騎士団と、狂気に満ちた民衆の群れがなだれ込んできた瞬間、思考は生き残るための「戦闘」に切り替わった。
「ダゴさん! ガキどもと女たちを奥の……古い地下水路に!」
カイは、昼間助けた兎人の子供をダゴに突き飛ばし、自らは仲間たちと共に即席のバリケードを築いた。
「野郎ども! 訳もわからねえまま殺されてたまるか! ここは俺たちの『家』だ!」
熱血漢のカイの叫びに、仲間たちが奮い立つ。
「応!」
「やってやる!」
粗末な棍棒や、解体用のナタが構えられる。
「殺せ! 亜人どもを一匹残らず殺せ!」
民衆が先に突っ込んでくる。
「散れ!」
カイは叫ぶと同時に、バリケードを跳び越え、自ら群衆の只中へ躍り出た。
猫人の真価は、その人外の瞬発力と平衡感覚にある。
カイは重装備の騎士を避け、軽装の民衆を狙う。
床を蹴り、壁を走り、物陰から飛びかかる。
一撃離脱。人間の視界から消え、背後から棍棒を振るう腕を切り裂き、次の瞬間には屋根裏の梁に着地している。
「どこだ!」
「消えたぞ!」
「この猫野郎!」
「上だ!」
「いや、こっちだ!」
カイの縦横無尽の戦いぶりに、民衆は怯え、騎士団の連携も乱れる。
(このまま押し返せ――)
カイがそう思った瞬間だった。
「――終わりだ、『獣』」
冷たい声。
重々しい金属音と共に、カイの眼前に巨大な戦斧が振り下ろされた。
カイは咄嗟に後方へ跳び退き、紙一重でそれをかわす。カイが先ほどまでいた場所の石畳が、粉々に砕け散っていた。
神殿騎士団長、ガストン。
彼は、カイのゲリラ戦で混乱していた部下や民衆を押し退け、自ら戦斧を構えた。
「テメェ……!」
「昼間『見逃してやった』のが間違いだったようだな、カイ」
ガストンは、カイの猫人としての素早さを警戒し、大上段に構える。
「……だが、無駄な抵抗だ。お前たちの『罪』は、司祭様によって明らかにされた」
「罪だと!? ふざけるな! 俺たちは何もしてねえ!」
カイが怒りに任せて突進する。
だが、昼間受けた「打撃」の記憶が、その動きをコンマ数秒、鈍らせた。
ガストンは、その隙を見逃さない。
カイが踏み込むより早く、戦斧の「柄」の部分で、カイの脇腹を(昼間突いたのと同じ場所を)正確に打ち据えた。
「がっ……!」
折れた。
ひるまの比ではない衝撃が脇腹を走り、カイは壁まで吹き飛ばされる。
「……フン。獣にしては楽しめるな。だが、やはり無駄死にだ」
ガストンはカイを見下ろし、ゆっくりと戦斧を振り上げる。
その目は、カイを「戦う相手」としてではなく、ただ駆除すべき「害獣」として見ていた。
ガストンが、そのカイの命ごと断ち切るため、戦斧を振り下ろした。
その、瞬間。
「――ウオオオオオッ!!」
ガストンの屈強な足に、一体の影がしがみついた。
ダゴだった。
彼は、子供たちを地下水路へ避難させ終え、カイの絶体絶命の窮地に戻ってきたのだ。
「ダゴさん!」
「……カイ! 行けぇっ!」
ダゴは、ガストンの足に噛みつかんばかりの勢いでしがみつき、カイに逃げるよう叫ぶ。
「……鬱陶しい」
ガストンは、戦斧を振り下ろすのをやめ、足元で抵抗するダゴを、まるで邪魔な犬でも蹴り飛ばすかのように、戦斧の石突で無作法に胸を貫いた。
「――あ」
「ぐ……ぉ……」
ダゴの口から、血が溢れる。
ダゴは、貫かれた胸を押さえることも忘れ、最後の力を振り絞って、カイに手を伸ばした。
「……カ……イ……」
ダゴは何かを言いかけた。
「……『まっすぐ』……生き……。……それと、西の……奴らを……頼れ……」
ガストンが、邪魔そうに戦斧を引き抜く。
ダゴの体は、糸が切れたように崩れ落ちた。
「あ……」
カイの思考が、白く染まる。
仲間が死んだ。
子供たちを庇い、カイを庇い、いつも心配してくれていたダゴが、今、目の前で、殺された。
「――よそ見は、終わりか?」
ガストンの冷酷な声。
カイの動きが止まった一瞬の隙を、騎士団長は見逃さなかった。
戦斧が、今度こそ、横薙ぎにカイの体を捉えた。




