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偽聖物戦記(ぎせいぶつせんき)  作者: さらん
序章:茶番の聖戦

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【第一話】 獣、穢れ、ヒト


「――また『ライン』の向こうかよ、カイ」


錆びた鉄管がむき出しの路地裏。夕焼けともすすの汚れともつかない赤黒い空の下、カイは舌打ちを隠さなかった。


金網の向こう側――人間ヒトが暮らす「きよめられた」石畳の広場で、小柄な兎人ウサギびとの子供が、ふくよかな人間の女から金切り声を浴びせられている。


「この汚らわしい! る気でしょう、このウサギもどき!」

「ち、ちが……オレ、なんも」


女のヒステリーに、周囲の人垣が「あらあら」「だから獣人は」と囁き合う。やがて、その騒ぎを聞きつけ、重い足音と共に一際ひときわ立派な鎧をまとった男が姿を見せた。


神殿騎士団長、ガストン。

その男の登場に、カイの隣にいた年かさの犬人イヌびと、ダゴがうめいた。


「……まずいな。一番面倒なのが来たぞ」


ガストンは、泣きじゃくる兎人の子供を見下ろし、ゴミでも見るかのように吐き捨てた。


「……また『害獣』か。神殿前の広場を嗅ぎ回るとは、いい度胸だ。おい、そいつを掴んで『壁』の外へ放り出せ。どうせ『夜の瘴気』に当てられて死ぬ」

「ま、待ってください! この子は何も!」


ダゴが慌てて金網越しに声をかけるが、ガストンはダゴを一瞥いちべつすらせず、部下に命じる。


「やめろ」


静かな、だが怒りを煮詰めた声だった。

カイが、金網の低い部分をひらりと飛び越え、子供とガストンの間に音もなく着地する。カイ特有の、猫科の獣人だけが持つ金色の瞳が、巨漢の騎士団長をまっすぐに見据えた。


「……なんだ、テメェは」

「ウチのガキだ。何か盗ったって証拠があんなら見せてみろ。ねえなら、その汚ねえ手をどけろよ、……人間ヒトさん」

「……『猫人ねこじんのカイ』か。噂は聞いているぞ。あつくなるだけの、分別もない獣だと」


ガストンは、カイの挑発に乗るでもなく、ただ「事実」を告げるように、腰の剣のつかでカイの胸を突いた。


「ぐっ……!」


それは突きというより「打撃」だった。猫人のカイでも反応できない速度と重さ。カイは数歩よろめき、息を詰まらせる。


ちからがなければ、『正義』も『怒り』も無意味だ、獣。……失せろ。今日は気分がいい、見逃してやる。そのガキを連れて、二度と『壁』を越えるな。次はない」


カイは、脇腹を押さえ、屈辱に震える拳を握りしめた。


(……強え)

これが、騎士団長。まるで歯が立たない。


「……チッ」


カイは子供の腕を掴むと、ガストンの冷たい視線と民衆の嘲笑を背中に浴びながら、再び金網を飛び越え、亜人街ゲットーへと戻った。


「カイにい!」

「……ダゴさん、悪い。また熱くなった」

「ったく……。お前のその『まっすぐ』は、いつかテメェの身を滅ぼすぞ」


ダゴはそう言いながらも、連れてこられた兎人の子供の頭を、節くれだった手で優しく撫でている。


「……相手が悪すぎらあ。だが、生きてて儲けもんだ」

「……」

「カイ。お前も、西区画の連中みたいに、もう少しツムを使って生きることを覚えな」

「……あいつらと一緒にすんなよ。気に食わねえ」


西区画。それは、同じ亜人街の中でも、カイたちとは距離を置き、人間ヒトとも最低限の取引をしながら、より狡猾こうかつに生きる者たちが集う一角だった。


「気に食わねえ、か。だが、熱くなるだけじゃ仲間は守れねえぞ」


ダゴの言葉が、ガストンに一撃で打ち負かされたカイの胸に刺さる。


「……なあ、ダゴさん」

「ん?」

「なんで人間あいつらは、あんなに『聖遺物なみだ』にこだわるんだ? 『夜の瘴気』だか『グール』だか知らねえが、ありゃ『お守り』みてえなモンだろ?」


カイの世間知らずな言葉に、ダゴは心底驚いた顔をした。


「……カイ、お前。本気で言ってるのか?」


ダゴは、亜人街の「壁」の隙間から見える、都市の外――荒涼とした大地を指さした。


「俺のじいさんは、昔、日が暮れてから壁の外に取り残された。……朝には、半分『腐って』、半分『喰われて』見つかったそうだ」


カイが息を呑む。


「あれは『お守り』なんかじゃねえ。『アウリナの涙石』は、この都市の『生命線』だ。太陽が沈むと、あの荒野から湧き出す『夜の瘴気』を浄化し、瘴気に引かれて集まる『グール(腐乱鬼)』を寄せ付けない。……あれがなきゃ、この街の人間ヒトも、俺たち亜人も、一晩だって生き残れねえ」

「……」

「だから、日中ひなかは商人たちも街に出入りできるが、夜は絶対に『壁』を閉じる。……ガストンがさっき、ガキを『壁の外へ放り出せ』と言った意味が、わかったか?」


カイの背筋が凍った。ガストンは、本気であの子供を殺そうとしていたのだ。

ちょうどその時、神殿前の広場から、響きの良い声が風に乗って聞こえてきた。バルドゥス司祭による「説法」の時間だった。


「またやってるか」


カイは、苦々しげに吐き捨てた。


「ああ……」


ダゴも、憂鬱そうに広場を見つめる。


「最近、あの司祭ひじりサマ、やたらと『穢れ』って言葉を口にしなさる。『神の光はヒトにのみ』『都市の繁栄は、穢れをはらうことで約束される』……。あの説法が始まってからだ。人間ヒトどもの俺たちを見る目が、ただの『侮蔑』から、『恐怖』みてえなモンに変わっちまった……」

「……『聖遺物アレ』が俺たちを守ってるクセに、俺たちが『穢れ』かよ。ふざけやがって」


カイは、ガストンに突かれた脇腹の痛みをこらえ、「いつか見てろよ」と、自分自身に誓うように呟いた。


その夜だった。

亜人街の粗末な酒場で、カイがダゴや仲間たちと遅い食事(残飯同然のシチュー)をとっていると、都市の「壁」の向こう側から、甲高い鐘の音が鳴り響いた。

一度や二度ではない。

警鐘だ。それも、都市の存亡に関わる時だけに使われる、大聖堂の鐘。


「なんだ……?」


ダゴが、シチューのさじを取り落とした。その顔が、みるみるうちに蒼白になっていく。

カイの猫人としての鋭い耳が、鐘の音に混じる人間の「叫び声」を拾い始める。


それは怒号ではなかった。

恐怖。――ダゴの「昔話」を裏付ける、純粋な「恐怖」の叫びだった。


(まさか――)

ダゴとカイは、最悪の想像に顔を見合わせた。


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