第9話:犯人を追い詰めろ
月の光が、さざ波に銀の道を描いていた。
海は静かだった。
けれど、心は荒れていた。
伊達悠真は、自転車を放り出して全速力で走っていた。文化祭の会場で爆発した机。混乱のなかで消えた仲間たち――一ノ瀬、柚葉、藤井。何が起きているのか理解が追いつかない。
だが、その時、スマホに届いた一ノ瀬からの一言は、すべてを動かした。
『マリンゲートへ来い』
伊達はその言葉だけを頼りに、港へと駆けていた。そして展望台にたどり着いた瞬間、眼下の光景に確信を得る。
「あれは……」
港の端。小型艇に乗り込み、縄をほどく男たち。焦った様子でエンジンを始動させようとしている。
逃げる気だ。あいつらが、犯人だ――!
伊達は震える手でスマホを構え、通報を開始する。だが、警察が来るまで待ってなどいられなかった。
***
その頃、旅客船《SEA PALACE》の操舵室。
「一ノ瀬くん、これは……どういうこと?」
茜の問いに、一ノ瀬は短く息を吸い、静かに答える。
「全部――演出だ。銀行強盗の逃走を防ぐための。文化祭の混乱も、机の爆破も、全部、計算のうちだった」
柚葉が呆れたように笑う。
「ほんと、あんたってやつは……とことん映画バカね」
藤井も肩をすくめた。
「でも、おかげで真相に辿りつけた。あんたがいなきゃ無理だったよ」
そのとき、茜がタブレットを差し出す。
「見て。あいつら、ほんとに逃げようとしてる」
画面には、小型艇で出航しようとする犯人たちの姿。
「船があれば……」
そのつぶやきに、一ノ瀬が微笑む。
「ある。茜の家の船だ。港湾局に頼んで、すでに旅客船の近くに寄せてある。――使うなら今だ」
茜は頷き、即座に走り出す。
「じゃ、行ってくる! 柚葉ちゃん、藤井くん、あとお願いね!」
「ああ。柚葉、藤井、お前らは旅客船の上へ。サーチライトで逃走ルートを封じろ!」
「了解!」
「任せて!」
ふたりが駆け出していく。
茜は小型クルーザーのロープを外し、制服姿のまま甲板へ立つ。
夜風がスカートを揺らし、長い髪が空に舞う。
隣に乗り込む一ノ瀬が声をかける。
「舵、いける?」
「もちろん。伊達よりは上手いから」
「それは……微妙な信頼だな」
茜がスロットルを押し込み、エンジンが咆哮を上げる。
クルーザーは水面を滑るように進み、夜の海を裂いていく。
初めて舵を握った日が、蘇る。
この海。この風。この夜。
「左手、岩礁帯……抜けるならここしかない。潮が変わる前に、決めるよ!」
サーチライトが逃走船を照らす。 柚葉が操作し、藤井が進路を指示していた。 光が、逃げ道を断ち切る。
そして――
茜のクルーザーが海面を切り裂いて接近する!
「来てる! 右に逃げた!」
「わかってる。そこ、浅瀬だよ」
茜の目が鋭く光を反射する水面を射抜く。
犯人の船が進路を誤り、茜のクルーザーが並走する。
視界に飛び込む制服の少女――その手には操縦レバー。
夜の海を、少女が制した。
「ここは、通さない!」
その一声に、逃走船がたじろぐ。
一ノ瀬が通信機で叫ぶ。
「これ以上逃げても無駄だ! 大人しく投降しろ!」
やがて、船は減速し、止まった。
海上保安庁の高速艇が現れ、逃走船の脇にぴたりとつけて制止させる。
強い照明が一斉に照らし出し、犯人たちは観念して膝をついた。
***
港に戻ってきた旅客船《SEA PALACE》と、茜のクルーザー。
甲板に姿を現したのは、一ノ瀬、柚葉、藤井、そして茜。
全員、泥や水にまみれていたが、表情は晴れやかだった。
岸壁に駆け寄る伊達。
「お前たち……無事だったのか……!」
一ノ瀬が静かに笑う。
「――まだ『無事』とは限らないけどな」
その手には、ひとつの小型スイッチ。
「おい、一ノ瀬!? やめ――」
伊達の叫びと同時に、スイッチが押された。
静寂。
次の瞬間――
ドンッ!
夜空に咲いた、大輪の光。
続いて、次々と打ち上がる花火。
港の空を、色とりどりの閃光が彩る。
「……これが、打ち上げ花火?」
「ふざけんなよ、一ノ瀬……!」
涙目の伊達に、茜がくすくすと笑った。
「ほら、一応『文化祭の花火』ってことで」
最後の一発が空を染め上げ、海と街を照らした。
その光の中で――
物語は幕を閉じ、そして新しい季節が始まる。