第7話:沈む陽、動き出す影
文化祭を翌日に控えた校舎裏は、浮き立つ空気から取り残されたように静かだった。
夕方の光が差し込む中庭は、今日も誰にも気づかれぬまま、時を刻んでいた。
風の音と、どこか遠くで聞こえるチャイムの余韻だけが、空気を揺らしていた。
ベンチに並ぶのは、伊達 悠真と、西川 千晶。
柚葉の親友であり、同じクラスの女子。
彼女の指先は、スカートの生地を強く握りしめていた。
「……やっぱり、そうだったんだな」
伊達がそう言うと、千晶は小さくうなずいた。
目元には、泣いたあとの赤みが残っている。
「柚葉ちゃん……『お父さん』のこと、ずっと気にしてた。
あの日、テレビで『加瀬 巡査部長が重傷』って出たとき……私の前では泣かなかったけど、部屋にこもって、ずっとスマホ見てて……。画面、ずっと握ってた。手、震えてた」
伊達は言葉を飲み込んだ。
柚葉の沈黙の意味が、少しずつ輪郭を持ちはじめる。
「学校じゃ、いつも通りだった。でも、私には分かったよ。あの子、ずっと何かに追われてるみたいだった」
「事件について、調べてた……って、聞いたけど」
「うん。ネットも、図書室の資料も、警察関係の記事も。とにかく毎日なにか調べてた。誰に頼まれたわけでもなく、自分から。……『お父さんのため』って」
風が強く吹いて、校舎の影がベンチをなぞった。
「それだけじゃないんだ。……家の周りに、不審者が出たって」
「不審者……?」
「うん。最近、夜に家の前をうろついてる人がいるって。警察も一度来たみたい。もしかしたら、そのせいで柚葉ちゃん……何かに巻き込まれて……」
言葉が詰まる。
だが、千晶の目は逃げなかった。
「そして……藤井くん」
千晶の口調が、少し慎重になる。
「土曜の夜。ふたりで旧校舎にいたのを見たの。何か渡してた。スマホの画面見せながら、話し込んで……」
「……あいつ、何者なんだ」
「機械オタクだよ。デジタル系に強くて、演劇部でも音響とか照明の調整してた。自作で何か作ってるって噂もあった。なんか、ちょっとだけ怖かった。けど、柚葉ちゃんは……普通に話してた」
千晶はそこで少し視線を落とした。
「でも、なんかね……あの時の柚葉ちゃん、ちょっとだけ……怖がってるようにも見えた」
伊達の中で、断片だった情報が、ゆっくりと形を取り始める。
一ノ瀬の消失。机の謎。柚葉の行動。藤井の技術。
すべては『ひとつの計画』の一部だったのか?
それとも、偶然の重なりなのか。
「でも……私は信じてる。柚葉ちゃんが誰かを裏切ったり、危ないことを仕掛けたりする子じゃないって」
千晶の声は、静かだけど、真っすぐだった。
その言葉には、友達としての確かな想いが宿っていた。
風がベンチを吹き抜ける。千晶の長い髪が揺れ、頬にふれた。どこか遠くで、カラスの鳴く声がした。
伊達は立ち上がり、夕焼けに染まる空を見上げた。
その背には、何かを吹き飛ばすような潮風がまとわりついた。
(……一ノ瀬なら、こういうときどうする?)
あいつは、誰よりも冷静で、誰よりも真実に近かった。
でも、それに『追いつこう』とする者が、ここにいる。
幼い頃、一ノ瀬とよく登った校舎の屋上。
ふたりで風に吹かれながら、馬鹿みたいな夢を語り合った時間を、伊達はふと思い出した。
あの頃の約束。あの視線の先。
(俺は、いつだって一ノ瀬の背中を追ってばかりだった。だけど今は、もう少し――あいつの隣で、真実を見てみたい)
「……追いついてみせるからな、一ノ瀬」
そのつぶやきに、千晶は小さく驚いたように顔を上げた。
伊達は、拳を握りしめたまま続けた。
「お前が気が付いていたもの。柚葉がつかもうとしていたもの。そして、まだ見つかっていないみんなを――俺が、必ず見つけ出す。あいつらを、この手で取り戻す」
陽が、ゆっくりと沈んでいく。
その終わりは、きっと『はじまり』の前触れだった。