第5話:刻まれた警告
薄暗い備品倉庫の奥。
蛍光灯の届かない隅に、埃をかぶった机がひとつ、ぽつんと置かれていた。
伊達 悠真はゆっくりと近づきながら、足元に注意を払う。
紙くず、壊れた段ボール、不要になった舞台装置の部品。整然としていた手前とは対照的に、奥へ進むほど『使われていない空間』の気配が濃くなっていく。
まるで、ここだけ時間が止まっているかのようだった。
(……あれが、『動く机』か?)
手前に置かれたライトを傾け、机に向けて光を当てる。
だが、机自体には特に異常は見られない。ありふれた、古ぼけた木製の生徒机。
──ただひとつ。
机の表面に、チョークでなぐり書きされたような白い文字が浮かんでいた。
『文化祭 17:45 校舎へ近づかせるな』
伊達の喉が、ごくりと鳴る。
その文字が指し示すのは──明後日の文化祭、17時45分。
その時間に『何か』が起こる。
あるいは、何かを『起こさせないため』の警告か。
さらに目を凝らすと、その下に円で囲まれた記号が描かれていた。
チョークで描かれたそれは、『錨』のマーク。
見た瞬間、港、船、海──そんな言葉が脳裏に浮かぶ。
(……港で、何かが……?)
校舎の怪異と、港を思わせる記号。
一見無関係なふたつの要素が、机の上で並んでいる。
そこには、どこか『仕掛け』の匂いがあった。
それは、伊達の記憶の中にある人物を否応なく思い起こさせる。
(……一ノ瀬、なのか?)
映画部部長。一ノ瀬 圭。
映像と演出を自在に操る、天才的なセンスの持ち主。
あいつの頭のキレなら、こうした形で『警告』を残すことだってあり得る。
だが──
(……でも、あいつは姿を消しているはずだ)
事件の後、一ノ瀬は行方不明となった。
彼が自ら消えたのか、それとも巻き込まれたのか……その判断すら、いまだついていない。
なら、この机の警告は──
彼の手によるものなのか。
それとも、『彼を真似た何者か』によるものなのか。
真相は、まだ霧の中だ。
伊達は机を見つめた。
文化祭、17時45分。校舎。そして錨。
ばらばらの断片が、かすかに一本の線で繋がり始めている気がした。
かすかに倉庫の外で風の音がした。
その音に混じって、遠くで何かが軋むような音が聞こえた。
誰かが倉庫の近くを通ったのかもしれない。
(……誰かに見られてる?)
胸の奥に、得体の知れない不安が生まれる。
それは警戒心というより、もっと直感的な警告に近いものだった。
そのとき、ポケットの中でスマートフォンが震えた。
新着メール。
差出人は不明。件名も本文も、一文だけ。
『君は、ここで止まるべきじゃない』
誰が送ったのかはわからない。
だが、胸の奥で確かに『何か』が動いた。
(まるで、導かれているみたいだな……)
一ノ瀬を思い出さずにはいられなかった。
けれど、決めつけるには早すぎる。
伊達はスマートフォンをしまい、もう一度だけ机を振り返った。
そこには変わらず、古びた机が静かに佇んでいる。
動くことも、消えることもなく──
まるで、次に来る誰かを待っているかのように。
伊達は、ゆっくりと倉庫を後にした。
その背に、何かの視線が残るような気がして、振り返りそうになるのをこらえる。
(……まだ、始まったばかりだ)
歩きながら、彼は心に誓った。
(真相を見つける。誰かの仕掛けた『謎』を、ぜんぶ暴いてやる)
空気は重く、けれど確実に何かが動き出している気配があった。
廊下の向こうには、夕暮れが滲みはじめていた。