第3話:消えた机
茜が消えた。
それと同時に、『動く机』も姿を見せなくなった。
校内には、妙な静けさが漂っていた。
ざわつきの奥に隠れて、正体の知れない不安がじんわりと広がっていく。
茜のいなくなった分の仕事は、すべて伊達 悠真にのしかかってきた。
もともと生徒会長としての業務に加え、文化祭実行委員も兼任している彼にとって、その負担はあまりにも重かった。
「……正直、やってられないよな」
ため息と一緒にこぼれた独り言。
伊達は掲示板に貼られた進行表を見上げながら、重くなる頭を抱えた。
今、この街は『異変』に包まれている。
銀行強盗。行方不明者。そして──触れると消える、謎の『動く机』。
そんな状況で、本当に文化祭なんて開いていいのか?
生徒会長として判断を下すべき立場の自分が、誰よりも迷っていた。
視線の先、文化部の出し物一覧。
その欄に、あの名前があった──一之瀬。
映画部の部長。失踪中。
彼がこの出し物に、どんな意図を込めていたのか。ふと、それが気になった。
(出す気、あったのか?)
気づけば足が、部室棟へと向かっていた。
「……あいつ、どうするつもりだったんだろうな」
思わず漏れた呟き。
伊達は足を止めず、映画部の扉をノックした。
中にいたのは、二人の生徒。どちらも二年生らしい。
前の机には、進行中だったらしい脚本やカット表が無造作に広げられている。
「君たち、映画部の……?」
「はい。二年の村井 拓己、佐原 結衣です」
村井は神経質そうな眼鏡の男子。佐原はおっとりした雰囲気の女子。
だが、その顔には、どこか影が差していた。
「……最後の文化祭になると思ってたんです」
佐原の一言に、伊達の胸がわずかにざわついた。
──そうだ。映画部は、来年度で廃部が決まっている。
部員数不足。予算削減。それが、この学校のルールだった。
「部長の一之瀬くんは、最後にいい映画を残そうって言ってくれてました。でも……あの人、失踪しちゃって……」
そのとき、佐原がふいに言った。
「……ねえ、村井くん。あの話、言ってもいいよね?」
「え……?」
「ほら、先週の放課後。一之瀬部長と、変な人を見たってやつ」
村井は少し迷ったように黙ったが、やがて小さく頷いた。
「……そういえば、もう一つ気になることがあって」
佐原が思い出したように話し出す。
「数日前の放課後、村井くんとロケハンしてたとき、部長と一緒に──変な人を見かけて……」
「変な人?」
伊達が身を乗り出す。村井が頷き、言葉を継いだ。
「校舎裏の倉庫のあたりで、スーツ姿の男が立ってたんです。学校の職員には見えませんでした。見覚えのない顔だったし、あんな格好の人も初めてで……」
「それで?」
「僕たち、部長と一緒にたまたま通りかかったんです。そしたら、部長が急に『静かに』って言って、倉庫の陰に引っ張って……」
「そのまま三人で隠れて、その男の様子を見ていました」
「話しかけに行ったわけじゃない?」
「いえ、まったく。むしろ……」
佐原が、記憶をたぐるようにゆっくり言った。
「部長、ずっとその人の動きとか服装とかを観察してました。手元を見たら、小さなメモ帳に何か書いてるみたいで……」
「何を書いていたかまでは、わかりませんでした」
「でも──」
村井の声に、かすかな熱がこもる。
「部長、笑ってたんですよ。静かに、でも確かに。何かに気づいたみたいな……そんな表情で」
「……怖がってるとかじゃなくて?」
「まったく。むしろ、ちょっと楽しそうで。映画の脚本を思いついたときの顔でした」
──伊達は、無意識に息を呑んだ。
(スーツ姿の男。距離を取って観察。メモ。そして……確信の笑み)
(何かを掴んだ。一之瀬は、そういう顔をしていた……)
(その直後に、姿を消した)
伊達は、心の中で静かに頷いた。
けれど──どこかで納得できない自分もいた。
一之瀬が、こんな形で姿を消すなんて。
そんな「終わり方」を選ぶ人間じゃない。
彼は変わっていた。
その存在は常に異質だった。
会話は妙に的確で、発想は常に数手先を読む。
周囲と距離を取りながらも、どこかで空気を掌握してしまうような男だった。
ただ一つ言えるのは──
一之瀬は、「巻き込まれる」側じゃない。
自分から、物事の中心に踏み込むタイプの人間だ。
だからこそ、彼の名前はいつも噂とセットだった。
『動く机』の件も──実は一之瀬の仕業じゃないか、なんて憶測まで飛び交っていた。
(……戻ってくるよな、お前)
伊達は、心の中で誰にともなくつぶやいた。
一之瀬は事件に巻き込まれたのか?
それとも、自ら何かを追っているのか?
茜。机。銀行強盗。
複数の謎が、複雑に絡み合っていく。
机はもう動かない。
だが、物語は止まっていなかった。
伊達の中で、なにかが静かに動き出していた。