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第10話:それぞれの真実、そしてその後

 事件は、終わった。

 けれど、その『余白』にこそ、真実は隠れていた。


 ***


 爆発の煙が、ゆっくりと晴れていく体育館。

 焦げた匂いが漂い、悲鳴とざわめきが渦を巻くその中で、スクリーンに映し出されていた『映画』の最後のカット。そこにいたのは――血を流して倒れる、一ノ瀬 圭だった。

 観客の誰もが、息をのんだ。

 映像が暗転する。唐突に、唐突すぎるほどに。


 そして、切り離されたように現実が残された。


 一ノ瀬は、死んだ。


 誰もが、そう思った。疑う余地もないほどに。

 悲鳴。ざわめき。立ち上がる者、動けずに固まる者。映画と現実、その境目が一瞬で溶け合い、誰の目にも『それ』は、ただの演出には見えなかった。


 だが、その先の映像は――決して、映されることはなかった。


 ***


 マリンゲートの展望台。夜の空気は、まるで海そのものが息をしているかのように、ゆっくりと満ち引きしていた。潮の香りを含んだ風が、静かに吹きぬける。冷たくはないのに、どこか胸の奥をくすぐるような、懐かしい夜風だった。


 風はときおり、そっと頬をなでてゆく。言葉にならないものを、誰にも知られずにさらっていくように。遠くの海では、低く響く汽笛が鳴った。それはまるで、忘れられた思い出を呼び起こすような音だった。音は風に乗り、空を渡り、こころにしずかにしみ込んでくる。まっすぐに、けれどやさしく。


 見下ろせば、港のあかりが水面に反射して、揺れる光の帯をつくっていた。街の明かりはにじみ、波にゆらめき、まるで星が海に落ちては漂っているみたいだった。漁船のランプが時折ちらつき、対岸の倉庫の影が遠くでぼんやりと浮かんでいる。地上では眠らない世界が、けれど、展望台のこの場所だけは時間が止まったように、二人を包んでいた。


 茜は手すりに寄りかかりながら、夜空を見上げていた。街の光でかすんだ星々が、わずかにその輪郭を残しながら、ぽつぽつと滲んでいる。


「映画、もう一回見返したんだよ。……そしたら、なんていうか、あんたの本気がじわじわ伝わってきてさ。ラストの『死んだフリ』とか、あれ、普通やる? 観客ほぼ全員、完全に信じてた。たぶん私も最初の一回は信じたけど……二回目は、ちょっとだけ笑っちゃった。なんか、悔しいけど、やるじゃんって」


 肩越しに言ったその声は、からかうようでいて、どこか真剣だった。──私も、あのとき船の上で倒れてる一ノ瀬を見たとき、本当に死んだと思った。


「ねえ、あのときの話、聞かせてほしい。どういう計画だったのか」

 そう促すと、一ノ瀬はほんの少しだけ黙った。


「……最初は、単なる偶然だと思ってたんだ。机の怪談が話題になって、そのせいで妙に人が集まって……でも、ある瞬間から、違和感があった」


 一ノ瀬の声が静かに響く。夜風が言葉をさらわないように、彼は言葉を丁寧に選ぶようだった。


「たぶん、あれは──机の怪談で注目が集まっていることを、犯人に逆に利用されたんだ。生徒も教師も、そっちに目を奪われてた。だから、裏で何かが起きても、気づかれない」


「校舎の裏手で、一人の人物を見かけた。関係者ではない、見覚えのない顔。そいつの動きが、明らかに不自然だった。あのとき、直感で確信した。あいつら、まだ動いてるって」


 茜が少し息をのむ。夜の空気が、張りつめた糸のようにぴんと張っていた。


「俺は映像編集を名目に、現場から一度姿を消した。そして藤井と合流して、校舎に仕掛けられていた爆弾のいくつかを発見し、解除した。でも……全部じゃなかった。これで終わりだとは、言い切れなかった」


「爆弾のタイマーは解除時に残り時間が表示されていた。そこから、犯人の『狙いの時刻』がわかった。文化祭当日の──17時45分」


「けど、警察にそれを持って行っても、動くかどうかはわからない。俺たちはまだ、高校生だから」


 その言葉には、自嘲のような響きがあった。でも、その奥には、確かに光る意志があった。


「だから俺は、映画という形で『真実』を見せることにした。スクリーンで、そして現実で。観客に、あの事件の全容を『疑似体験』させてから、軽い爆破を起こす。それで強制的に避難誘導するしかなかった。……信じさせるためじゃない。『気づかせる』ために」


 茜は黙って聞いていた。夜の海の音だけが、会話の隙間を満たす。


「……じゃあ、私を船に誘ったのは?」


 その問いに、一ノ瀬はわずかに視線を伏せたあと、はっきりと答えた。


「一番、安全だと思ったから。人混みから離れてて、しかも動かせる。何かあったら、すぐに避難できる場所。……それに、あの時間帯、君が狙われる可能性が高いと読んでた」


「……守るつもりだったんだよ、茜。あの場面に関しては、完全に個人的な判断だけど」


 静寂が落ちた。けれどそれは、気まずさではなく、どこか確かなものを共有したあとの沈黙だった。


「ねえ、一ノ瀬。花火大会、船で見たことある?」


 茜がふいに言った。夜の海を見つめたまま、声だけがこちらに向いていた。


「港まつりの花火、すごいんだよ。胸の奥にドンって響くの。陸から見るのとは、まるで別物。……特別な花火が、見られるんだ」


 一ノ瀬は少しだけ眉をひそめ、静かに問い返す。


「……それ、どうやって見るんだよ」


 茜はちらと横目でこちらを見て、にやっと笑った。


「私なら見れるよ。だって――船、出せるからね」


 そう言ってから、いたずらっぽく笑みを浮かべ、一ノ瀬をちらりと振り返る。


「だから、その日……空けといてよね」


 言葉を置いて、再び海に視線を戻した。まるで、それが当然のことのように。だけどその声は、潮風に溶けて、ほんの少しだけ照れているようにも聞こえた。


 ***


 病室の窓辺。

 午後の光が、レースのカーテン越しにやわらかく差し込んでいた。

 ベッドにもたれるように座った加瀬巡査部長は、左肩に巻かれた包帯の上からそっと手を添え、娘の話に静かに耳を傾けていた。


「……映像、見た? あの、文化祭の……映画」


 柚葉の声は、どこかためらいがちだった。


「見たよ。お前、けっこう映ってたな。机のとこで泣いてるシーンとか、最後の証言も」


 父の口調は柔らかかったが、そこには少しだけ照れも混じっていた。


 柚葉は視線を落とし、ベッドの柵をそっと握る。


「ほんとは……出るつもりなかったんだ。目立つの、苦手だし。誰かに見られるのって、怖くて」


 小さく息を吐く。


「でも……出た。出なきゃって、思ったから」


 加瀬は黙って頷いた。


「理由があるんだろ?」


 柚葉はほんの少しだけ、けれどはっきりと頷いた。


「……一ノ瀬さんが、ずっと一人で動いてたの、見てた。誰にも信じられないようなことでも、証拠がなくても……絶対に諦めなかった。だから私も、ちゃんと残したかったの。自分の目で見たこと。あの日のことを」


 その声は、震えていない。

 言葉にすることで、自分の気持ちを確かめているようだった。


 加瀬はふっと笑みをこぼし、目を細めた。


「……お前、強くなったな。父ちゃん、ちょっと情けなくなるよ」


 柚葉は、少しだけ口元をゆるめて首を横に振る。


「情けなくなんか、ないよ。父さん、ちゃんと聞いてくれた。最後まで。……それだけで、すごく支えになったから」


 そのとき、病室のドアがノックされ、ナースがひょっこりと顔をのぞかせた。


「あの……巡査部長。映像、私も見ました」


 ナースは、ほほえみながら言葉を続けた。


「娘さんが船の上から犯人を照らしたシーン、最高にカッコよかったです!」


 加瀬は少し驚いたように目を瞬かせ、やがて照れたように笑った。


「……うちの娘、やるだろ」


 柚葉は、わずかに頬を染めながら笑う。


「そんな大げさな……でも、ありがとうございます」


 ナースはにっこりと微笑んで会釈し、そっとドアを閉めた。


 柚葉は席を立ち、カーディガンを羽織りながら立ち上がる。

 ベッドの脇に置かれたリュックを手に取ると、そこにぶら下がったキーホルダーがふいに光を反射した。


 銀色の、小さな船のモチーフ。


 加瀬はそれに目をとめて、少しだけ眉を上げる。


「……それ、最近の趣味か?」


 柚葉は、一瞬だけ照れたように口元をゆがめた。


「んー……ちょっとね。操縦とか、できたらカッコいいなって思って。誰かさんの影響、かも」


 そう言って、窓の外をちらりと見た。

 そこには、港の青がかすかに広がっている。


「父さんが退院する頃には、少しだけ自信ついてるといいな。……自分の手で、進む方向を決められるくらいには」


 加瀬は目を細め、深くうなずいた。


「そのときは、助手席にでも乗せてもらうか」


 柚葉は肩をすくめて笑った。

 そして一歩、病室の外へと歩き出す。


 その背中はまだ小さい。けれど、歩幅は確かに、昨日よりも少しだけ、大きくなっていた。


 ***


 事件の顛末は、新聞やSNSを通じて瞬く間に拡散された。

『#夜に動く机』は、一時トレンド1位を記録。


『高校生の知恵と演出で爆破事件を阻止!』

『文化祭の映画、実は実録ドキュメンタリーだった!』

『女子高生がクルーザーで犯人を追跡!話題の映像公開』


 全国ネットのテレビでも特集が組まれ、静かな港町は、にわかに“聖地”と化していく。


 中でも、クルーザーで犯人を追跡した女子高生――茜の人気は群を抜いていた。

 事件後、一躍有名人となり、街を歩けば声をかけられるほどに。

「本当に映画のワンシーンみたいだった」と、多くのメディアがその姿を取り上げた。


 地元の商店街は、当然のように即行動。


 ──『動く机カステラ』

 ──『消える板チョコサブレ』

 ──『海上追跡ラムネ』

 ──『動かない安心もち』(←これはやりすぎでは?)


 藤井がそのパッケージを手に取り、苦笑した。


「商魂、たくましいな……」


 隣で伊達が頷く。


「Tシャツまで出てたぞ。机の脚つきキーホルダーまで。正直、どこを目指してるんだか」


「でもまあ……街も生徒も元気になってるし、悪くないよ」


 ふたりの会話の少し先。

 校舎の廊下の端で、一ノ瀬は静かにその声を聞いていた。

 遠くを見つめるような目で、それでも口元には小さな笑みが浮かんでいる。


 その横に、茜が音もなく並んだ。


「ねえ……これも、計算だったの?」


 一ノ瀬は肩をすくめる。


「さすがに土産物までは読んでなかったよ」


 茜はうんと頷き、目を細めた。


「でも、演出したんでしょ。希望を」


「……ああ。最初は“異変”に気づかせるためだった。でも途中からは……信じてほしかった。誰かに、何かを。自分の目で見たことを、信じていいって」


 そう言って、一ノ瀬は空を見上げた。

 午後の空に、ひと筋の白い航跡がのびている。


 港には、ちょうど一隻のフェリーが帰ってくるところだった。

 白い船体が、太陽の光を受けてきらりと輝いていた。


 ***


「映画部、継続決定だって!!」


 校舎裏の倉庫前。歓声が爆発した。


「やったぁ! もうカメラ返さなくていいじゃん!」


「部費も降りるって、正式に! ってことは、編集機材も……!」


「ていうか、次は文化祭じゃなくて、全国コンテスト、狙えるよね?」


 つい昨日まで、あんなに張りつめていた空気が、嘘みたいに軽くなっていた。

 あの爆発のあとに残ったのは、恐怖だけじゃなかった。

 この街に生きる人たちの姿を、確かに映し出した“映画”の記憶が、誰かの心を揺らしたのだ。


 映画部――かつては「廃部候補筆頭」と揶揄された部活。

 予算不足、部員不足、活動成果ゼロ。

 だけど今、その部室には笑顔があった。


「圭先輩が戻ってくる前に、部室きれいにしとこう」


 カメラを抱えた田中が言う。

 その声に、みんなが自然とうなずいた。


「今度は、私たちが“つくる側”として引っ張るんだもんね」


「うん。ちゃんと伝えたい。……あの夜、何があったのか」


 誰かが言ったその一言に、全員の胸が一瞬だけ静かに鳴った。


 あの夜。

 スクリーンに倒れ込んだ一ノ瀬。

 走る藤井。

 そして――クルーザーの舳先に立ち、風を切って突き進んだ茜の姿。


 誰もが、観客じゃいられなかった。

 そのとき、全員が“物語の登場人物”だった。


 部室の隅。まだ片づけきれていない機材の山の中に、一枚の小さな張り紙があった。

 貼ったのは誰か、すぐにわかった。

 斜めに留められた白い紙に、こう記されていた。


 ──『カメラが切れても、物語は続く』


 一ノ瀬 圭の字だった。


 最初にそれを見つけた田中が、ふっと声を漏らす。


「……たぶん、あの船の上でも、演出は続いてたんだね」


「え?」


 部員の一人が振り向くと、田中はまっすぐその張り紙を見つめたまま、言った。


「映ってないシーンこそ、本当は一番、胸を打つのかもしれないって。あの時、茜先輩が船で突っ込んでったの、誰も台本に書いてなかったのに……ちゃんと、“物語”になってたじゃん」


 部室に、しんとした空気が流れる。


 言葉にしなかった想い。映らなかった勇気。

 あの日、誰かが決意したこと。

 それを知ってる自分たちが、“次のページ”をつなげていく。


「……だったら、やっぱり作ろうよ。次の作品」


「スクリーンの向こうに届くまで、ちゃんと」


「一ノ瀬先輩が帰ってきたら、びっくりするくらいのやつ」


 笑い声が、また一つ、部室に広がった。


 小さな部室の隅で、一ノ瀬の張り紙がゆらりと風に揺れた。

 まるで、それが部員たちを応援しているかのように。


 ***


 文化祭から、二週間後。


 雲ひとつない午後の空の下、茜がふと一ノ瀬に声をかけた。


「ねえ、もう一度、船……乗ってみる?」


「え、また? もう十分だろ、海は」


「まあまあ、いいから。風、気持ちいいよ」


 いつものように半ば強引に引っ張られ、ふたりは港の小さな観光船に乗り込んでいた。


 かつて事件の舞台となったあの航路と、どこか似ている。

 だけど、今日はただ平和な海と空。

 何も起きない、ただの、午後。


「……やっぱり、なんか落ち着かないな」

 一ノ瀬がぼそりとつぶやいた、その時。


「ねえ、一ノ瀬くん。このバッグ、さっき受け取ったんだけどさ」


 茜が取り出したのは、どこかで見覚えのある、黒いバッグだった。


「……え、それって。ちょっと待て、中身は!?」


「うーん……なんか機械っぽいのが入ってたような?『カチカチ』音がしてる気がする」


「は!? 爆弾か!? まさか、今!? おい茜、それ置け、今すぐ置け!!」


 船の上で取り乱す一ノ瀬。その様子を見て、茜は――


「……ふふっ」


 吹き出した。


「……ごめん、ごめん、ドッキリでした~!」


 バッグの中には、ぬいぐるみと『祝・文化祭完遂!』のメッセージカード。

 一ノ瀬は膝に手をついて、深いため息をつく。


「……お前な、本気で心臓止まるかと思った……」


「ふふっ、リベンジしたかったんだもん。 今度は、こっちの番」


 いたずらな笑顔。

 風に舞う髪。

 あの日の緊張も嘘みたいに、ただ無邪気に笑う茜。


 一ノ瀬は苦笑しながら、ゆっくり背筋を伸ばす。


「……まったく。お前ってやつは」


「ねえ、一ノ瀬くん。これって……私の勝ちってことで、いいよね?」


 その問いに、彼は少しだけ目を細めて、静かに頷いた。


「ああ。……完敗だよ」


 ふたりの笑い声が、船の上に溶けていく。

 遠くで、港町の景色がゆっくりと流れていく。


 そして――


 その映像が、ふっとフェードアウトする。


 ――カチリ。


 教室の映写機の前で、一ノ瀬が立ち上がった。


 映像は止まり、教室の中が静寂に包まれる。


 スクリーンが暗転し、幕が、ゆっくりと、静かに下りた。


 END

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