第1話:机の異変
東照宮 茜が、消えた。
――これは、私が「消える」当日の話だ。
私は東照宮 茜。高校三年生、文化祭実行委員長。
この肩書、思ったよりずっしり重い。
やる気満々な子も、脱力系の子も、どっちもまとめて引っ張っていく役目だ。文化祭の準備期間はとにかくカオスで、熱量も不満も、全部私のところに集まってくる。
しかも「最後の文化祭」なんて言葉がセットでついてくるから、全校生徒の期待は天井知らず。誰もが「最高の思い出」にしたがっている。
だけど、正直に言うと――
「イベント」とか「思い出」とか、そういうものには、私は昔からあまり興味がない。
私が心惹かれるのは、もっと静かで、混沌としたもの。
たとえば、誰にも気づかれていない『違和感』とか、
理由のわからない『異変』とか。
そういう“謎”に触れているとき、私の中の何かが目を覚ます気がする。
その“異変”が始まったのは、文化祭の一週間前。月曜日の朝だった。
「なあ、聞いた? 二年の廊下に、誰もいないのに机が置かれてたってさ」
朝の教室。ざわつきの中、聞こえてきた噂話に、私は耳を澄ませる。
「最初は、誰かが移動させたのかと思ったけど……次の日には、職員室前に動いてたんだって」
「しかも、誰も動かしてないって話。防犯カメラにも映ってないって」
「……うそくさ」
机が勝手に動いた?
私の手元のプリントをまとめる指が止まる。
そういう話、私は……嫌いじゃない。
ゆっくりと話の輪に近づいていく。
「岡部、またどっかから聞いてきたの?」
そう問いかけたのは、白石 美羽。
ちょっと斜に構えた文化系女子で、意外とこういう話題に食いつくタイプ。
話していたのは、放送部の岡部 透。
校内のゴシップなら何でも飛んでくる“情報屋”みたいな存在だ。
「いや、今回はマジ。放送部の後輩が夜の見回りしてたら、二年の廊下にポツンと机があったって。見覚えのないやつ。んで、次の日には別の場所に……な?」
「映画部のイタズラじゃないの? そういうの得意でしょ?」
誰かがそう言うと、教室にいた何人かがざわめいた。
映画部。
今年は都市伝説をテーマにした作品を準備していると聞いている。
確か、部長は――一之瀬 圭。
その名前を思い浮かべた瞬間、私は小さく息を呑んだ。
一之瀬くん。
彼のことを最初に意識したのは、たしか去年の秋だった。
図書室で、本が何冊も“消えている”という噂が出た。新刊や人気作じゃなく、奇妙に偏ったジャンルの本ばかり。誰も気づかないような、静かな“異変”。
彼はその偏りに気づいて、図書委員でもないのに職員室にデータを提出した。
「このジャンルの本ばかり消えてます」と、淡々と。
「犯人は、読書好きで登校ペースが変わった三年生。図書カードの履歴も、それを示してる」とも。
彼は、そういう目を持っている。
観察して、分析して、行動する。
誰よりも冷静で、でもどこか、誰よりも“正義感”が強い気がした。
私は、あの日からずっと彼のことが気になっていた。
「……ホラー展開とか言わないでよね……」
そうぼそっと呟いたのは、田辺 律。
怖い話が好きなくせに、実際に“起こりそう”な話になると、口数が減るタイプ。
でも、そんな彼女が黙るとき、私は逆に“何かある”と確信する。
中学のときも、図書室の怪談が広まったとき、彼女だけが顔色を変えていた。
「ねえ茜、あんた、何か知ってる顔してる」
「さあね。でも、こういうのって……放っておいたら収まるのかな?」
「逆でしょ。こういうのは、放っておくと誰かが“本当にやっちゃう”やつ」
田辺の言葉が、やけにリアルに響いた。
そして、次の日。
机は、また“動いていた”。
今度は保健室の前に。
誰もがそれを目撃したというわけじゃない。
けれど、その存在感は確かに“そこにあった”。
古びていて、傷がついていて、
どこか、時代の違う空気をまとっている。
いつのまにか“呪いの机”なんて名前までついていた。
「ちょっと座ってみようぜ」
そんなふざけた提案とともに、机に腰を下ろしたのは――映画部の一之瀬だった。
そして、翌朝。
彼は、学校から消えた。
教師たちは「家庭の都合による欠席」と言った。
でも、誰も納得していなかった。
彼の行方は知れず、机の“噂”は校内を駆け巡った。
次の日。
今度は“触れた”だけの生徒が、二人、いなくなった。
出席簿上は「体調不良」。
でも、SNSにはこう書かれていた。
『また、消えた』
『次は誰だ?』
そしてその日。
私の周囲にも、異変が忍び寄っていた。
文化祭準備の全体会議を終え、夕方の教室に戻ってきたとき。
誰もいないはずの教室に、机が――もうひとつ。
私の机の隣に、それはあった。
古びて、落書きがかすれ、埃をかぶったそれ。
“あの机”だった。
中には、一枚の紙切れ。
『つぎは きみだ』
その瞬間、ガタリと音がした。
振り返ったが、教室には誰もいなかった。ドアも閉まっていた。
背筋に、ひやりと冷たい感覚が走る。
これは、悪ふざけなんかじゃない。
私は、決めた。
今夜、校舎に残る。
この謎を、解かなきゃいけない。誰かがまた消える前に。
――そして、その夜。
私は「消える」。
でも、もしかしたら――
すべての始まりは、もっと前から決まっていたのかもしれない。
あの日、展望台で、一之瀬くんと出会ったときから。