責任の行方
「停電?」
「そうだ。先月と今月の2度、君の管理するβ研究室で起こっている。報告を受けていないか?」
オーブリーに問われ、ジンは驚きを隠しきれないように答えた。
「いいえ、何も……」
「そうか。まあ、たった数秒の出来事だったようだし、それでバックアップシステムも作動しなかったんだろう。ともかく、あとで技術者を呼んで確認させよう」
そう言って早々と次の話題に移ろうとしたオーブリーを、ジンは手を上げて制止する。
「所長……恐れながら、一つだけお窺いしてもよろしいでしょうか?それは、当研究室のみで起こった事案なのですか?」
「ああ。確認してみたが、他の場所で停電の形跡は見られなかった」
キッパリと答えられ、ジンはあごに手を置き考え込む。
「何故そんな事が……私の所には、異常通知は何も……」
「旧型のAIシステムだからな。日常業務には支障がないとしてスルーしたんだろう」
「まあ、なんて役立たずな。いつまであんなオンボロを採用しておくんですか?」
ジンと共に所長室に呼び出されていたクロエが辛辣な口調で口を挟んでくる。
「アレは前任のライト博士が、この研究所を立ち上げた時に設置したAIだ。新型と交換することも出来るが、その為には研究室全体のプログラムを見直さなければならない。そうなると研究も一度ストップしなければならないし、現実的ではないんだ」
「AIと起動プログラムを同じシステムに組み込んでいるんですか?何故そんな事を?区別しておけば、アップデートは簡単でしたのに」
「この研究所が開設されたのは、かれこれもう20年以上も前の事だ。当時からすれば最新の技術だった」
気の立った猫のような仕草でイライラと髪をかき上げたクロエに、オーブリーは書類の束を押し付ける。
「君の論文の原本にはあらかた目を通しておいた。これで仮に盗用されたとしても、オリジナルが君のものだと私が証言しよう。それと、閲覧したがっていた過去の論文たちだ」
目を輝かせ受け取ったクロエに、ジンは冷めた視線を送る。
「それはドーピングにはならないのか?」
「あら、論文はもう完成していますもの。これは単なる勉強用です」
悪びれる風もなく大事そうに書類を抱え直したクロエに、ジンは呆れたように肩をすくめた。
「所長、ちょっと甘やかしすぎでは?」
非難がましい視線を送られ苦笑しつつも、オーブリーはジンに意味ありげな目配せをする。それでこの話にはまだ裏があると気付いたジンは、不承ながらも口を閉じた。
「クロエ。それで無くなった君の論文のコピーだが……」
「犯人が見つかりましたの!?」
喜々として机の上に身を乗り出したクロエに、オーブリーは静かに首を振る。
「いや…見つかっていない」
落胆を押し隠さず、つまらなそうにそっぽを向いたクロエに真実を話す前に、オーブリーは一度ジンに視線をやる。そして、彼が自分の次の発言に注目しているのを確認してからゆっくりと口火を切った。
「厳密には……停電している間に論文が消えていた、が正解かな」
「なん…です、って……?」
先に驚きの言葉を発したのはジンの方だった。
「それじゃ本当に、誰かが盗んだって言うんですか!?」
「カメラには誰かが盗んだ瞬間は記録されていなかった。それが真実だ」
もちろんそれでは到底納得出来ない二人はオーブリーに詰め寄る。
「他の監視カメラに不審な人物などは映っていなかったんですか!?」
「研究所内に泥棒がいるかもしれないのに、このまま放っておきますの!?」
そんな二人の反応など想定内だったのか、オーブリーは落ち着き払った態度でクロエの肩に手を置いた。
「クロエ……賢い君なら分かると思うが、研究所内で盗難騒ぎがあったとなれば学会どころの話ではなくなる」
「でも…先程、何かあったら証言して下さると言いましたよね?」
「もちろんだ。だが、学会側があやのついた論文を評価するかどうかは、また別の話だ」
「そんな……」
それまで強気だったクロエが初めて動揺した様子をみせる。その隙につけこむように、オーブリーはクロエの耳元に唇を寄せた。
「私も君には期待しているんだよ。優秀な者には嫉妬がつきまとう……君にはそんな奴らの罠にはまって欲しくないんだよ」
その甘美な囁きはクロエの虚栄心を刺激した。
「でも……もし意図的に停電させて悪事を働いた者がいるなら許せません」
今まさにオーブリーの術中にはまりかけているクロエを冷めた表情で眺めるジンは、敢えて助け船を出さなかった。ジンとしてもこの件と停電が絡んでいるのであれば捨て置けないが、このままクロエに関わらせておいてもロクな事はないので、静かに成り行きを見守った。
「もちろん。これからも調べは続けていく。だけど、君は……あとは私に任せて、自分の事だけに集中するべきだ」
しばらく葛藤するような表情を見せていたクロエだったが、やはりキャリアへの魅力には抗い難いのか、ぎこちなく頷く。
「確かに……科学者たる者、常に冷静にメリットとデメリットを見極めなくては……では、もし今後何か進展がありましたら、必ず教えて下さると約束しますか?」
「もちろんだとも」
ジンにはそれが嘘だとすぐ分かったが、もちろんやぶ蛇になるような事はしない。
「わかりました……所長を信じて、あとの事はお任せします。でも犯人が分かったらすぐに教えて下さいね」
それだけを言い残すと、クロエは意気揚々と部屋を出て行く。
「彼女は絶対的に犯人がいると思い込んでいるようだな」
「しかし、停電が関わっているとなればその線が濃くなってきました……」
「どうだかな。停電のどさくさでゴミと間違われたのかもしれない」
大した論文じゃなかったし……囁くように呟かれたその一言をジンは聞き逃さなかった。彼女は確かに優秀だが、世の中にはもっとすごい天才がごまんといる。
何より、クロエの父親が学会員をしている事が一番彼女の有利に働いている。
「君の研究室なら、他にも論文を書けそうな子が居そうなもんなんだがな」
「みんなクロエの顔色を窺って尻込みをしているんです」
「もったいない……言っといてくれ。私はおべんちゃらなオヤジどもと違って階級や立場によって差別はしない、と」
「先程の対応は優遇では?」
「いや、あれは単なる厄介払いだ」
歯に衣着せぬ物言いに、ジンは苦笑する。
前任のライト博士の後を継いで、史上初の女性所長の座にまで上り詰めたオーブリーは、その機転の良さと闊達な性格で所員達からも慕われている。
かく言うジンもそんな彼女の飾らない所に好感を抱いていた。
「それで……停電の件については、私はどのように対応すれば?」
「特にない。とりあえず、あとでデータを送っておくから、当時居合わせた人員に聞き取りをして、これからはどんな些細な事でも報告するようにと釘を刺しておいてくれ」
「…それだけですか?」
「それだけだ」
簡潔な返答にジンは驚く。
「しかし、もし本当に誰かが故意に停電させていたとしたら……」
「それはないだろう。君もよく知っていると思うが、館内の電気系統は全て本部が管理している。外部からの干渉を受けないように設定されているし、何より君の管轄で起こった事案だ。君が対処すべきでは?」
そこまで言われては、ジンもそれ以上何も言えなかった。
「………はい…」
「私も暇ではない。もし聞き取りで何か不審な点や、明らかな過失が認められたら、報告してくれ」
最終宣告のように告げられ、ジンは直立不動のまま俯いた。
要は、面倒事に関わりたくないと言われているのだ。この件には、不幸にもクロエが関わっているので余計に避けたいのだろう。確かに、所長は所内で起こりうる全てへの最終責任があるが、それ以前にジンには自分の部署内で起こったと言う身近故の責任がある。
とどのつまり、順序を守れと言う事だ。責任を受け渡すつもりなら、まず自分が責任を負わなくてはならない。順当な手続きを踏んでこそ、立場が完成する。
「……承知しました。あとはこちらで処理します」
「頼むぞ。私はこれから会議に出なくてはならん」
励ますように背中を叩かれ、ジンは貼り付けた笑みで会釈をしながら部屋を後にした。