復讐戦
今日、グラオムとネファス、この二人を殺す覚悟でこの場所に来るに当たって、ミレーネが使う武器はこの短剣しかあり得なかった。
ミレーネが握る短剣の柄にはジェネロ男爵家の紋章が刻まれている。
そして左手に持つ鞘には、ミレーネの誕生花の細工が施されていた。
なぜならこれはミレーネが五歳の誕生日を迎えたときに、これからもミレーネのことをずっと守ってくれるようにと両親がお守りとして贈ってくれたものだからだ。ミレーネにとっては、たった一つ持ち出せた両親の形見でもあった。
この短剣の由来を知っているのはフォルステッドとサバスだけだ。クルームハイト公爵家に引き取られて間もない頃、ショックから表情を失くしてしまったミレーネが実際に短剣を見せながらフォルステッドにポツポツと語った。そして、いずれ両親を死に追いやったのが誰なのか、その真実がわかったときには、この短剣で犯人に復讐してやる、と。そこにサバスも同席していたのだ。
ちなみに、ゲームにも短剣の由来やデザインの話までは出てきていなかったため、レオナルドはミレーネが『両親の形見である短剣』を持っているということしか知らない。
話を聞いたフォルステッドは、復讐に囚われているミレーネを案じた。だが、その想いを否定することもできなかった。一生消えることがないだろうそれだけの傷を彼女は心に負ってしまったのだから。
だから想いを叶える一助にとサバスから短剣を用いた格闘術を学んでみないかと提案した。
もちろん、体面上メイドとして働いてもらう必要もあるから無理をさせたい訳ではないし、させるつもりもない。ミレーネもまだ子供なのだからメイドの仕事といっても、主にレオナルドやセレナリーゼの遊び相手になってもらえたらと考えている。
けれど、それだけでは足りないのではないかとも思ったのだ。体を動かすことで抱えている想いを少しでも発散できたら、何かに集中することで少しでも気が紛れたらいいと思ってのことだった。
ミレーネはこの提案に乗り、以降メイドの仕事の傍ら、数年間にわたって密かにサバスから格闘術の手ほどきを受けていた。
だから、ブランクはあるが、サバス直伝の格闘術と闇魔法を使えば、今の油断しているグラオム達が相手なら先手必勝を狙えると考えて、ミレーネは身体強化魔法『エンハンスフィジカル』の呪文を小さな声で唱えた直後、一気に駆けだしたのだ。
散々心乱されていたミレーネだが今は殺すことだけに集中しているからか、冷静に現状を判断し、自身の勝算を見積もることができていると言えるだろう。
「貴様!?」「っ!?」
ミレーネが突然自分達目掛けて駆けだしたのを見て咄嗟にグラオムが、少し遅れてネファスもソファから立ち上がる。だが、できたのはそこまでだった。
「バインドミスト!」
駆けだしてすぐに、ミレーネはグラオムに向けて魔法を使った。
すると、グラオムの周囲に黒い靄が発生し、それがグラオムの全身に纏わりついて動きを封じる。これは獲物を確実に仕留めるために一定時間拘束する魔法だ。
「何!?」「これは!?」
グラオム、そしてその隣ではネファスもミレーネが魔法、それも闇魔法を使ったことが完全に予想外で揃って驚愕する。
その間にもミレーネはネファスに向かって突き進む。
ミレーネは自分の動きに対して反応が遅かったネファスを最初の標的に定めたようだ。
バインドミストの拘束時間はそれほど長くないが、とりあえずネファスを倒すまでの時間を稼げればいい。
迷いのないミレーネはぐんぐんとネファスに接近していく。
「調子に乗るなよ!クソがぁっ!!!」
そこでネファスもようやく反撃の体勢に入った。
ミレーネに向けて手のひらを突き出し、照準を定めると、
「ストーンブレットォッ!」
自身の属性である地属性の初級魔法を放った。
先端の尖った石が一つ形成され、ミレーネを撃ち抜かんと勢いよく発射される―――が、ミレーネはそれを難なく躱した。
表情にこそ出ていないが、ミレーネは内心、ネファスの魔法に驚いていた。それはネファスの魔法が凄かったから?いや、違う。その逆だ。日常的にセレナリーゼの訓練を傍で見ていたミレーネには、ネファスの魔法が随分とお粗末なものに思えたのだ。
速度、威力、形成数、何をとっても魔法の特訓を始めたばかりの頃のセレナリーゼに毛が生えた程度でしかない。
ただ、これはセレナリーゼの成長が著しいだけだ。学園に入学したばかりの生徒の実力はこんなもので、ネファスは優秀な方なのだ。シャルロッテがセレナリーゼを褒めていたのは何もお世辞を言っていた訳ではなく、本心からのものだったということがわかるだろう。
「何だと!?」
メイドをしていたような女に避けられるとは微塵も思っていなかったのか、ネファスが驚きに固まってしまう。
そしてそれは致命的な隙となった。
ネファスの眼前に迫ったミレーネがそのままの勢いで短剣を鋭く突き出すと、短剣の刃はネファスの左胸に深々と突き刺さった。
「うぐあぁっ!!?」
ネファスが短い悲鳴を上げる中、確かな手ごたえを感じたミレーネは表情一つ変えることなく、短剣を一気に引き抜く。ネファスは、血が噴き出している自分の胸元を信じられないというような目で見つめながら力が抜けたようにその場に倒れたのだった。
「キサマアァッッ!!」
そこにグラオムの怒りに満ち満ちた叫びが響き渡る。
そう、まだ戦いは終わっていない。
ミレーネは憤怒の形相になっているグラオムにも全く臆することなく、ここへ来た目的を果たすために突っ込んでいき、ネファス同様心臓目掛けて短剣を突き出す。
しかし、もう少しで届くというところで、バインドミストの効力が切れてしまい、床を転がるようにして動いたグラオムに短剣を避けられてしまった。グラオムの魔力が怒りによって高まっているためレジストでもされたのか、闇魔法を忌避してこれまでほとんど練習をしてこなかったミレーネの魔法が未熟なせいか、拘束時間が想定していたよりもずっと短くなってしまったようだ。
床を這いつくばることになったグラオムは屈辱の表情を浮かべるが、膝を着いたまま右腕を伸ばし、手のひらをミレーネに向けると、
「ウインドカッター!」
自身の属性である風属性の初級魔法を放った。
不可視の風刃が一刃、ミレーネを襲うが、ミレーネは空気の歪みを察知し、これにも即座に反応して、まるで宙を舞うように後方に跳躍しながら躱してしまった。
ミレーネの流麗な動きに、グラオムは、これも避けるのかと舌打ちする。
そこで二人の間に一度距離ができた。
身体強化をしているにしても、とんでもない身体能力と戦闘センスだ。元はただの男爵令嬢だったことを考えれば、元々才能があったのだとしても、サバスとの訓練の賜物といえるだろう。
「お前のようなゴミが!ふざけるなよ!?お前は絶対に殺す!絶対にだ!無残に切り刻んでやる!」
グラオムは立ち上がりながら、口汚くミレーネを罵る。
だが、当然ミレーネは何も返さない。言葉を交わす意味などないからだ。ただ、一つだけ呆れ気味に思った。
(おかしなものですね)
怒っているのは、憎んでいるのはこちらだというのに、自分達が復讐された途端ここまで怒りに塗れるなんて、と。
ただそれも一瞬のこと。
ミレーネは再びグラオム目掛けて駆けだす。
「ふざけるなと言っているだろうがァ!ウインドカッター!!」
まるで自分のことを舐めているかのように正面から突っ込んでくるミレーネに、グラオムが激昂しながら再び魔法を放った。
だが、それは完全に悪手だ。
ミレーネは先ほどの再現かのように、空気の歪みを察知し、跳躍する。ただし、今回はただ躱しただけではない。ミレーネは空中で半回転すると、グラオムの背後に着地した。
そして一突き。
「ぐがあぁっ!!?」
短剣は見事にグラオムの心臓を貫き、グラオムが短い悲鳴を上げる。その後、ミレーネが短剣を引き抜くと、グラオムもまたネファス同様その場に倒れるのだった。
そうして静寂が訪れる。
今立っているのはミレーネ一人だけだ。
ミレーネは緊張の糸が切れたのか、ドッと疲れが出たようで、はぁ、はぁと荒い息を吐いている。
(終わった……)
達成感はなかった。ただやり切った、それだけだ。
復讐したことに後悔はない。けれど気持ちが満たされるなんてこともなく、虚しさしか感じなかった。
「………こんな、貴族として腐りきった者達のせいで……お父様もお母様も……。権力が使えなければ私に殺される程度のこんな……」
だが、次には悔しさが込み上げ、短剣を握る手に力がこもる。復讐を果たしたからか、ミレーネは今少しだけ感情が不安定になっているようだ。
息を整えたミレーネは血塗れになった短剣を見つめる。両親との大切な思い出の品が醜い血で穢れてしまった。この短剣を武器として使うと、自分で決めたことではあるが、両親に対してどうしようもなく申し訳なさが込み上げてきた。娘が憎しみから人を殺したと、もしも両親に知られたら、そんなあり得ないことがふと頭を過ってしまったミレーネは、怖くなってギュッと目を瞑る。
そして、もう決して戻ることのない両親がいた幸せな日々を思い出して、ミレーネの目から一筋の涙がこぼれ落ちた。
そのとき―――、
パチンと指を鳴らしたような音が室内に響き、それと同時に、
「さあ、夢の時間は終わりだよ、ミレーネ」
聞こえるはずのない、ネファスの嘲るような声がミレーネの耳に届いた。
ハッとしてミレーネが目を開いた次の瞬間―――、
カチャ、と何かが嵌ったような音が自分の首元から聞こえてきた。
お読みくださりありがとうございます。
面白い、続きが気になるなど思ってくださった方、画面下の☆☆☆☆☆から応援していただけると嬉しいです!
【ブックマーク】や《感想》、《イチオシレビュー》も本当に嬉しいです!
モチベーションがとんでもなく上がります!
何卒よろしくお願い致しますm(__)m