地下水路
清掃作業をしているのは朝から昼くらいまでのため、今の時間、出入口付近には誰もいなかった。
地面に設置されている、臭いが漏れないように造りだけはしっかりした扉を開け、レオナルドは緊張した面持ちで階段を下りていく。地下は真っ暗で、中にも人がいないことを意味していた。
「うおぇっ!!?」
そこでレオナルドは吐き気を催した。
(くっさ!ここくっさ!これ、めちゃくちゃきついぞ!?)
レオナルドの緊張感が一気に霧散する。
何の気なしに鼻で呼吸してしまったレオナルドは想像以上の臭いにやられてしまったようだ。
何とか嘔吐することは我慢できたが、一度切れた緊張の糸は簡単には戻らない。
思考が変な方向に進んでいく。
(マジかよ……。ゲームに臭いなんてないからわからなかったけど、よくシャルロッテ様はこんなところ来れたな!?)
王女であるシャルロッテがこんなところを歩き回っていたと思うとシュール過ぎる。ゲームで誰も臭いに言及していなかったのが今となっては信じられない。クエスト中で皆真剣だから、で済ませられるものだろうか。
ゲームのシナリオにツッコミを入れても仕方がないが、他にもっといいクエストがあっただろうにと思ってしまう。臭いのことを失念してでもいたのだろうか。
将来、ゲーム通りシャルロッテが主人公に依頼したら、自分は絶対参加しない、とレオナルドは誓った。強制参加なんて絶対嫌だ。それともしセレナリーゼが同行することを望むなら何も言えないが、相談でもされたときにはこの水路の環境について話してあげようと決めた。
実際のところ、このクエストはゲームのシナリオ的にレオナルドと精霊の始まりという側面が強いのも事実のため、将来このクエストが現実のものとなるのか、今はまだ誰にもわからない。
(あ~、でもここって王族にとっては重要な場所だから解決しておきたかったのか?)
こんな真っ暗の中、劣悪な環境で何をするでもなくただ棒立ちになっている今のレオナルドは傍から見ればただの変人だろう。誰もいないことを感謝しなければならないほどの奇行だ。
けれど今のレオナルドはそんなことにも気づかない。一度変な方向に進んでしまった思考はまだ戻らないようだ。
この地下水路、公には重要な施設ではないが、実はこの水路に紛れ込ませる形で見事に隠された、王城と王都の外を結ぶ王族専用の緊急避難経路が存在している。
ゲームでは他国との戦争で攻め込まれた際、主人公達が王城から王都外へと脱出するために、その経路を使うことになるのだ。
(ま、今の俺には関係ないな!そんなことより集中、集中!)
ここまで思考が逸れていたレオナルドはようやく当初の目的を思い出した。というよりも、鼻が馬鹿になってしまったことで臭いが気にならなくなってきて戻ってこられたと言った方が正しいかもしれない。
それからレオナルドは購入したばかりの松明に火打石を使って火をつけ、左手に松明を持ち、水路を進み始めた。
レオナルドは、頭の中で隠し部屋の場所を思い出す。迷路のようになっている水路に目印なんてある訳もなく、頼りは前世の記憶だけだ。松明一つでは明るくなる範囲が狭いため間違えないよう慎重に進んでいく。
「ん?これは……?」
そんな中、レオナルドは呟きながら不思議そうに首を捻った。
(確かゲームでレオナルドは違和感を覚えてたけど、これがそうなのか?)
集中し始めたレオナルドは、重苦しい圧のようなものを感じ、ゲームでレオナルドが言ったセリフの意味が気になったのだ。
ただ、この劣悪な環境下で、迷路のようなところを記憶だけを頼りに歩いている緊張感を圧のように感じているだけ、と捉えられなくもない。それくらい微妙な違和感だった。考えて答えが出るものでもなさそうだ。
(……今気にしてもしょうがないか。どのみち先へ進むしかないんだから)
レオナルドは首を振って一旦考えるのをやめると、奥へ進んでいくのだった。
どれくらい歩いてきただろうか。
感覚的には半分くらい進んできたところで、レオナルドはピタっとその足を止めた。
(何だ!?)
松明の灯りが届くギリギリのところを黒い影のような何かが横切った気がしたのだ。気のせいで済ませられることではない。今まで誰とも遭遇しなかったのに、こんなところまで来て、まさか人がいるなんていうことはあり得ないだろう。そうすると―――。
(まさか、魔物が!?)
その結論に行きついたレオナルドの緊張感が一気に増した。
「誰かいるのか!?」
レオナルドはいつ攻撃が来てもすぐに対処できるように腰の鞘から剣を抜き、構えながら暗闇に向かって声を張り上げる。レオナルドの声が辺りに響き渡るが―――、それだけだった。
「…………」
レオナルドはしばらく剣を構えた姿勢で注視していたが、何も現れることはなく、今はただ水の流れる音だけがしている。
そこでようやくレオナルドは構えを解いた。ふぅっと一つ深い息を吐く。
「見間違い、だったのか?いや、でも……」
レオナルドは実際に口に出しながら考えを巡らせる。魔物の目撃情報は年単位でずっと先の話のはずだ。それが実はもう潜んでいるなんてあり得るのか?ならあれは人間だったのか?それともやはり見間違いか。色々考えるが、姿をしっかり見た訳ではないため、判断がつかない。
「……とりあえず、もっと警戒しながら進むか」
レオナルドは結論を保留し、剣を右手に持ったまま一層慎重に先へ進むことにした。万が一の可能性だが、すでに魔物が住み着いているとしたら危険度が跳ね上がる。今のレオナルドの実力では倒せる魔物は限られているのだ。例えゲーム通り出てくる魔物がゴブリンだけだとしても、ゴブリンは武器を使ってくるし、複数体が一緒に行動していることも多い、はずだ。中には魔法を使ってくる個体までいる。ゲームではそうだった。確実に勝てる相手ではない。
慎重すぎるくらいで丁度よかった。
警戒するレオナルドに反し、それからの道のりは順調だった。しかし、隠し部屋まであと少しというところでそれは起こった。一度影のようなものを見て以降は何も起きなかったし、もうすぐ目的地ということで少し気が緩んでいたのかもしれない。
レオナルドが何の気なしに角を曲がった瞬間――――、
「ギャッ!?」
「うわっ!?」
レオナルドより少し小さい背、腰には布を巻いていて、右手には錆びた短剣を持っている醜悪な顔をした異形の者―――、一体のゴブリンが目の前にいたのだ。
目を見開き、驚きの声を上げるレオナルド。心臓が早鐘を打ち、全身の毛穴が開いたかのようだった。何だかゴブリンの方も驚いたような声を発した気がするが、そんなことを気にしている場合ではない。
レオナルドは咄嗟に臨戦態勢をとる。
しかし、相手の方が速かった。ゴブリンはレオナルドに攻撃を仕掛ける―――、なんてことはなく、なんと回れ右をして全力で逃走したのだ。
「なっ!?」
呆気に取られるレオナルド。
何が起こったのか一瞬理解が追いつかなかった。
その間に当のゴブリンは完全に見えなくなってしまった。
「……何だったんだ……今の……」
何とも言えない時間が流れる。そしてレオナルドは徐に剣の構えを解いた。
「まさか本当にもうゴブリンがいるなんて……。すぐに逃げ出すのはゲームと同じってことか……。だけど……」
エンカウントしても逃げられる、ゲームでは面倒としか思わなかったことだが、実際に体験すると全然違った。
魔物とは森で何度も戦っているが、人間を見て逃げ出す魔物なんて一度も遭遇したことはない。皆、闘争本能むき出しで、殺意高く襲ってくる。でも、それが魔物だ。余程実力差があれば本能で逃げることもあるかもしれないが、残念ながらレオナルドは強くない。そう考えると――――、
(今のゴブリンは異常だ……)
これがゲームの強制力で、ここにいる魔物は皆逃げるようになっているのか、それともここにいる魔物は何か特殊な個体のなのか、考えても頭が混乱するだけだった。
「そもそもこれから何年もゴブリンはこんなところに住み続けるのか?他のもっといい環境のところに行くでもなく?誰にも見つからずに?」
ゲームでは、シャルロッテの情報網に引っかかり、クエストで主人公達がこの地下水路に来ることになるのは今から何年も先のことだ。それまで誰にも知られず、地下とはいえ王都の中にずっと魔物がいたというのか。確かにこんな場所のこんな奥に隠れているのならそうそう見つかることはなさそうだが……。
「むしろなんで将来見つかるんだ?」
何年も潜むことができていたのに急に見つかるものだろうか?ただの偶然なのか?考えても答えは出ない。ゲームの展開を知っていてもわからないことだらけだ。かなりやり込んでいた自負があるのにどうして、と心がささくれそうになる。
(……このまま放っておいて大丈夫か?それとも調べるか?)
現状王都に住む人々に被害は出ていない。出ていればとっくに国か冒険者ギルドが動いているはずだ。ゲーム通りなら今後も被害は出ないのだろう。それに、今のレオナルドにはやるべきことがあるし、一人で調査することも討伐することも容易ではない。誰かに知らせようにもなぜ地下水路にいたのかという説明が面倒だ。
(できることはない、か……)
レオナルドは自分の無力さを痛感した。
「……先を急ごう」
結局、レオナルドは今回のことを心に留め置くことにしたのだった。
それから気を引き締め直したレオナルドは、再びゴブリンと遭遇することもなく突き進み、周囲と何ら変わらないように見える壁の前で立ち止まった。
「ようやく着いた……」
ここがレオナルドの目的地、精霊がいる隠し部屋だった。
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