学園入学当日の朝
神聖暦一〇〇〇年四月七日。
『レオ?』
ステラから訝しげに名を呼ばれたレオナルドはそこで我に返った。
どうやら自室にて騎士服のようなデザインの真新しい制服に身を包んだレオナルドは、鏡に映る自身の姿を何とも言えない表情で暫し見つめてしまっていたようだ。
ゲームのストーリーについてはステラと何度も話しているため今でもそれなりに憶えていても、前世の記憶を得てから何年も経過しているため、映像の記憶は薄れつつあったのだが、そこにいるのは確かに、ゲームの立ち絵で見たレオナルド=クルームハイトだと思えたからだった。
(いや、何でもないんだ。行こうか)
レオナルドは苦笑を一つして自室を後にしたのだが、
「あ、レオ兄様!」
「セレナ?」
部屋の前で待ち構えていたセレナリーゼに声をかけられた。彼女の後ろにはメイド服姿のミレーネもおり、レオナルドに向けてお辞儀をしている。
「レオ兄様に早く見てほしくて待っていたんです。どうですか?似合っているでしょうか?」
セレナリーゼは自分の制服に目を向け、最後には上目遣いでレオナルドを見つめた。デザイン故か、制服の上からでもセレナリーゼの均整の取れたスタイルがはっきりとわかる。
「……ああ。良く似合ってるよ。本当に……」
黒色を基調とした制服にプラチナブロンドの髪がよく映えていた。
セレナリーゼの制服姿を見たレオナルドは、正直な感想を答えながらも、自分の姿を見た時は朧気だった映像記憶が一気に喚起されていた。
スカートとスラックスの違いはあるが、自分と同じデザインの制服を着たセレナリーゼは、正しくゲーム『Blessing Blossom』のヒロインだった。
その中で一番好きだったセレナリーゼの立ち絵やいくつものイベントシーンが思い出される。
レオナルドには時が止まったように感じたほどだ。
「ふふっ、ありがとうございます、レオ兄様。とっても嬉しいです」
レオナルドの様子から本心だと覚ったのか、セレナリーゼは満足そうに顔を綻ばせた。
その後、出発の時間が迫っているため、三人は玄関前へと移動した。
そこには、フォルステッドにフェーリス、筆頭執事のサバスや騎士団長のジークなど多くの人がレオナルド達の見送りに来てくれていた。
誰もが笑顔で温かい雰囲気の中、しかしフェーリスだけは口角を上げてはいるが、目が潤んでしまっている。
そんなフェーリスは、ミレーネの前に立つと、徐に彼女を優しく抱き締めた。
「ミレーネ。あなたが自分の幸せに目を向けてくれて本当に嬉しいわ。それが一筋縄ではいかないことが申し訳ないところだけど……。頑張ってね」
ミレーネにだけ聞こえる声でそっと囁くフェーリス。
「はい。ありがとうございます」
ミレーネは最初こそ驚きに目を見開いたものの、すぐに微笑を浮かべると感謝の想いとともに抱き締め返すのだった。
続いてはセレナリーゼだった。
ミレーネとのやり取りを見ていたため、セレナリーゼが慌てることはない。
先ほどと同じようにフェーリスはセレナリーゼを抱き締める。
「セレナ。あなたの抱いた大切な想いが実を結ぶことを祈っているわ。自信を持って。ね?」
「はい、お母様。私、頑張ります」
言葉を贈られたセレナリーゼからもたくさんの想いを込めて抱き締め返した。
最後はレオナルドだ。
ここまで流れができあがっているのだから、とレオナルドは自然とフェーリスを抱き締めようとした―――ところで、これまでと違い、フェーリスに頭を抱えられてしまった。
そのまま頭を引き寄せられ、胸に埋められてしまい慌てるレオナルドだが、
「レオ。ごめんね……。優しく思いやりのある子に育ってくれて本当にありがとう……」
フェーリスはそれだけを囁くとすぐにレオナルドを解放した。
フェーリスの腕がレオナルドの耳を塞ぐ形になっていたため、彼女のこの言葉は誰にも届かなかった。唯一ステラを除いて。だが、当のステラは無反応を貫いた。
「母上……。どうして俺にだけ普通にできないんですか?」
すぐに解放されたとはいえ、レオナルドはつい呆れた目を向けてしまう。
「ふふっ、だってしたかったんだもの」
「そうですか……」
茶目っ気たっぷりで悪びれもしないフェーリスの態度にレオナルドは諦めにも似たため息を一つ吐いたが、そこでフェーリスが今度こそ優しくレオナルドを抱き締めた。
「あなたはあなたの思う通りに。セレナとミレーネのこと、よく見ててあげてね」
「はい」
これから自分達は寮生活となり、離れて暮らすことになるため色々と心配なのかもしれないと思ったレオナルドは、フェーリスの言葉にくすりと表情を和らげ、抱き締め返すのだった。
そうして屋敷を出発し、何事もなく王立学園前に辿り着いたレオナルド達は、そこでアレンとも別れたのだが、学園の門前まで歩いたところでレオナルドが立ち止まった。
(ようやくここまで来たな……)
そして遠目から今後多くの時間を過ごすことになる校舎を感慨深そうに見つめた。
朝から妙に浮足立っていた気持ちも今は落ち着いてきたみたいで、代わりに万感の思いが湧き上がってくる。
『ようやくと言ってもこれからが本当の始まりでしょう?』
(そうだな。その通りだ……)
レオナルドの口元に小さく笑みが浮かぶ。そう、これからが本番だ。今日は王立学園に入学する日。つまりは、ゲームのスタート時点なのだから。
ゲーム内ではどのルートに進んでも殺されてしまう悪役キャラのレオナルド。だが、レオナルドに死んでやるつもりは毛頭ない。何としても死亡回避するためにこれまで突き進んできたし、これからも頑張るだけだ。
『というか、何か浸っていましたけど、それはただの現実逃避なのでは?』
いい感じにまとまりそうだったというのに、そこでステラから痛烈なツッコミが入った。
(……何?)
『本心では不安に思っていることなど私には筒抜けですよ。情けないですね』
(のあっ…………!?)
『レオも重々承知していることでしょうが、話していたゲームとはもう完全に別物ですからね。特に人間関係が』
(……そうっすね)
『私にはいいですが、そんな心情を表に出してはいけませんよ。成せるものも成せなくなります。確かに様々な情報を持っている優位性はありますが、私達は未知の展開にしようとしているのです。気を緩めずにいきましょう』
(うす……)
何とも締まらないレオナルドだった。
すると、
「レオ兄様?どうかしましたか?」
立ち止まったレオナルドを不審に思ったのか、ステラの言った別物の人間関係、その最たる例であるセレナリーゼが首を傾げながら尋ねてきた。
「ごめん。何でもないよ」
本来ならゲーム開始時点でセレナリーゼとの仲は冷え切っていたはずなのに、そんな素振りは全くない。今も不思議そうにはしているが、その表情は笑顔でレオナルドの隣にいる。
「そうですか?でしたらまだ式までは少し時間がありますし、先にクラス表を見に行きませんか?ミレーネもそこまでは付き合ってくれますか?」
「ああ」
「畏まりました」
こうして、レオナルド達は他の生徒達と同じように歩みを進めるのだった。
クラス表が貼り出されている場所への道すがら、レオナルド達は近くを歩く生徒に気づかれチラチラと見られていた。
夜会でも主役級に目立っていた容姿端麗なセレナリーゼだ。注目されるのは当然と言える。
そしてレオナルドもセレナリーゼとは全く違う意味で自身が悪目立ちしていることは夜会の経験から十分に理解していた。
制服が黒色であることには、何物にも染まることなく、何にも縛られず自由に学園生活を謳歌してほしいという高尚な理念が込められていると知ったときには思わず失笑してしまったほどだ。そんなことはあり得ない、と。
けれど、だからこそ気になってしまう。
自分ではなくセレナリーゼの見られ方が。
「あのさ、セレナ。周りの目とかあるし、学園ではあんまり俺と一緒にいない方がいいかもしれない。何ならクラス表もミレーネと二人で見に行った方が……」
「どうしてそんなことを言うんですか?私はレオ兄様と一緒にいたいんです。いつだってそう思ってるのに……レオ兄様には迷惑、ですか?」
レオナルドが言い辛そうに話すとセレナリーゼが即座に反応した。ちなみにミレーネは周囲の生徒に冷たい視線を送りながら黙っている。
「いや、いや、そうじゃなくて。昨日も言ったけど、俺がセレナ達に迷惑をかけたくないんだよ。俺と一緒だとセレナの評判が悪くなっちゃうだろうから」
「そんなことありません!……仮に、もしレオ兄様のおっしゃる通りだとしても、私は全く気にしません!」
「公爵家の次期当主としてそれはどうかと思うけどなぁ」
レオナルドは苦笑してしまう。貴族子弟の集まるこの学園で今の自分は無価値な存在と言っていい。そんな人間の側にいることはセレナリーゼにとってメリットが何もないどころかデメリットしかないだろう。
「もちろん、そちらは問題なく熟してみせます!お父様やお母様、それに何よりレオ兄様に任せていただいた大役ですから!」
鼻息荒く答えるセレナリーゼの様子にレオナルドは降参を示した。
「わかった、わかった。俺が悪かったよ。セレナが大丈夫ならいいんだ。ごめんな?」
「ふふっ、いえ、わかってもらえたならよかったです。さあ、もうすぐ着きますよ、レオ兄様」
「ああ」
セレナリーゼの笑顔にレオナルドも笑みで返す。ミレーネも二人を見つめて小さく笑っていた。
そして、レオナルド達三人はクラス表の前に到着した。
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