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英雄は悪魔かもしれない  作者: カラフルなステンドグラス
第一章 王宮にて
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1 室内を彩るステンドグラス

 エスぺがその教会に足を踏み入れたのは、秋の午後のことだった。風は冷たく、灰色の雲は低く垂れ込めている。古い石造りの教会は、まるで儀式の内容を他人に知られまいとするかのように、王国の中心地から外れた丘の上に立っていた。


 顔見知りの同い年は誰もいなかった。儀式は誕生月の初日から受けることができる。待ちに待った儀式を彼らは初日に受けたのだろう。もうすでに十日が過ぎていた。


 王国の法では、成人とみなされる十五歳になると、「アビリティ判定」を教会で受けることになっていた。どんなアビリティが与えられるかは誰にもわからない。

 ある者は他者の理を読み、ある者は剣を振い、ある者は炎や風を操る。

 与えられるアビリティは一つだけだ。


 だが、なにも与えられない者もいる。むしろこちらの方が多いくらいだ。

 彼らのその日の特典は家に帰って、馴染んだベッドで寝ることができることだった。

 そして、彼らのほとんどが王国の中で自分に可能性が見込めそうな職につき、妻子を持ち、追われるように日々を過ごして年を重ねていく。幸せな生き方だとエスぺは思っている。


 教会の扉は重く、開けると軋む音が部屋中に響くように思えた。

 ステンドグラスを通過した曇天の光は、未来が平穏であるようにと神に代わって静かに祈っているかのようだ。


 祭壇の前には中年の男性神官が座っていた。白いローブをまとい、顔は穏やかで、エスぺがようやく来たことに安堵しているようにも見えた。そして、かすかに微笑んだ。


「名前は?」


 神官が儀礼的に尋ねる。落ち着いているようで、なにか楽しいことを期待しているような声にも感じられる。


「エスぺです」


 そう答えると、神官は小さく頷いた。


 祭壇の上には石版をはさんで丸い水晶が二つ、紫色の小さな座布団の上に置かれている。水晶は冷たく透明で、離れた蝋燭の赤い光を映している。

 エスぺは水晶の中の蝋燭の火を珍しそうに眺めたあと、神官に顔を向けた。

 彼は聖典を両手で開き持ち、何かをつぶやく。言葉は聞き取れなかったが、家を出るときのことばをエスぺは思い出していた。


「なにが見えても、見えません、と答えるのよ」


「こちらの水晶には左手を、こちらの水晶には右手をのせなさい」

 彼はそう言うと、待ちきれないという微笑み浮かべてふたたび小さく頷いた。


 エスぺはそれぞれの手のひらを水晶にのせた。ひんやりとした冷たさが水晶から手のひらに伝わってくる。


 なにも、起こらなかった。水晶が光ることも、ヒビが入って割れることもなかった。


 と、思っていると、左右の水晶の中心部分がゆっくりと、ゆっくりと、虹色に光っていく。晴れているのに虹が見えるような淡くてかすかな光だった。ステンドグラスを通した光のほうが、まだ少し色彩が豊かだった。











「なにか文字が見えませんか?」


 先ほどとは違った、困ったような声音で神官が尋ねる。


 消え入りそうな虹色の水晶をぼんやりと見つめたあと、ためらうことなくエスぺは答える。


「なにも見えません」


 どこか遠くで鐘が鳴っているような気がした。この教会ではない。この教会は成人の儀にだけ使われる教会で、ここの鐘はもう何年も鳴っていないはずだった。


 ゆっくりと水晶から手を離すと光が消えていく。手のひらに少しだけ温かさが戻ってきた。

 神官は聖典を閉じ、エスぺをじっと見つめた。彼の視線は、まるでエスぺの内側を透視しようとするかのようだった。


「アビリティは芽吹いています。ただ、そのアビリティが、どのようなものか、わかりません。石版に映らなかったのです。そしてあなたにも見えなかった」


 彼は気持ちを抑えるように言った。


「神から与えられた恩恵を知りたくありませんか」


 エスぺは、はいとだけ答えて静かに頷く。


「王宮においでなさい」


 そのとき、神官の後ろの黒い幕から、同じような白いローブをまとった若い女性が現れた。


「私はポリーニと申します。王宮までご案内いたします」

 感情を押し殺したような静かな声が教会に響く。


「エスぺです。よろしくお願いします」


 伏し目がちなエスぺの姿は、本人の心持ちとは関係なく、アビリティを知ることができなかったことから生じる心持ちを表しているように、神官には見えた。


 神官は温かみのある表情を浮かべて微笑んだ。

「明日になればわかるはずです」


 顔を上げて自分を見つめる眼の中に、子どもらしい期待の視線を感じて安心するとともに、わずかな同情を禁じ得なかった。


 神官はそれ以上何も言わなかった。


 ポリーニはエスぺを裏口から教会の外へと促した。軽く感じる扉をくぐると、冷たい風が頬をなでた。すでに馬車が停まっている。空はさっきよりも暗くなり、遠くで雷鳴が聞こえた。


 二頭立ての馬車はエスぺ以外には、年老いた男性の御者と斜め向かいに無口なポリーニが座っているだけだ。小さな窓は閉められていて、これから通るであろう王都の街の様子も見ることはできなさそうである。


 馬車に揺られながらエスぺは石版には映らなかったという文字を思い浮かべていた。


 エスぺにははっきりと中空に見えていた。篆書体のような薄い灰色の文字で【えいゆう】と表示されているのを。文字の両端には、まるでそれを祝うかのように儚い色をした虹色水晶が花を添えていた。見えたのはそれだけだった。


 処刑場に向かうかのようにゆっくりと進む馬車。その車輪のように、今、自らの人生が動き出したのをエスぺは感じた。




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