第三章『年齢的に間に合わない論理の破綻した身の程知らずのとんま野郎』
年齢的に間に合わない論理の破綻した身の程知らずのとんま野郎について、論をまとめていきたい。
まず、彼は識字能力がない。これはどのような事かというと、彼は自らの属する作業所において、日報と呼ばれるものを日々記しているのであるが、その際彼の記す文章には論理的整合性が全く見られず、彼は現在40歳になるのであるが、年相応の文章能力や、漢字を記す能力、ひいては日本語を自由に操る能力がないのである。
筆者の具体的体験からして導かれる、彼の行状の一つの中に、LINEやメールでの出来事があるのであるが、彼はその際にも、こちらが論理的整合性の取れている文章を送ろうとした際に、果たして彼は私の打った文章を理解しているのであろうかとの不安が、私の心中に生じるのである。
また、彼は過去の行いや自らの生活習慣から来る様々な病を患っているのである。具体的には砂糖を大量に摂取したり、一本終われば一本、そしてまた一本と喫煙する等の様々な行為から生じる、身体的・精神的病を、その一つの身に宿しているのである。
彼の見た目はギャングと呼ばれるそれであり、賊であるとの言葉によっても言い換えられ得よう。
また、以上の見識から生じる推論として、例え彼の持病が全て完治したとしても、その根源に存する悪性の行状は、本来の姿を保ったままであろう、と私は一つの結論を提示したい。
本日の彼の行状としては、午前中のみ作業所における清掃業務に服し、午後からの作業は"面倒臭い"との理由から、自身の家へと帰ってしまった、との事が挙げられる。
小さな頃からの彼の夢は、電車の運転手である、との言葉を私は聞き出したのであるが、同時に彼は、現在遠距離に居住しているLINE通話のみの関係にある異性に対し心を傾けている。加えて彼は、その異性と将来一緒に暮らす為、現在自身の居住している東京都から、当の異性の暮らしている愛媛県への移住を考えているというのである。
私は東京に暮らしているのであるが、過去に長野県に暮らしている女性と遠距離恋愛をした経験がある。その事から、私は彼に対し遠距離恋愛をするに際する、心への負担等へ意識がまわっているのかどうか、実際に対面にて確認を取ってみたのであるが、彼にはその経験はない事が解った。そしてその心の痛みや負担について、想像する能力にも欠けている事に、今回理解が及んだ。また、自らの能力に対しての、客観的な視点による分析能力にも欠けており、自身はいつでも就職出来る、と大言壮語している、との姿勢をも私は今回解明する機会へと恵まれた。彼の異性的関心は年上に対してのものであり、また彼には職及び宿がないのだが、にも関わらず異性には甘えたがり、客観的には気色悪いなめくじの様な存在である、との理解が進んで行くであろう。また彼は作業所における業務の際、作業の手を疎かにし、口ばかり動かしていくとの習性が存している。彼にとって作業所とは、他者に言われ、自身は生活保護を受給しつつ、受動的な心持ちで通うそれであり、将来の自身への投資やステップアップをする場所である、等と言った目的意識は持ち合わせていない、と私は解する。
彼は就労と呼ばれるものがどういったものであるのか、十全に理解しておらず、そのような知識の低さといった場所から、自身の軽口といったものが出てくると私は理解する。
私が彼と接した期間は長い人生の中では、ほんの一時かも知れないが、そのような中における彼の特性として、5つの見解が生じた。
それは、
A.彼は心に思い付いた事をそのまま声に出し、行動をし生きてきたのであり、決して物事を具体的に、順序立てて考える事や、抽象的な物事や人の心に対しての想像心を燃やし、円滑かつ潤沢円満に、人との関係性を築いて行ける人物ではない
B.とんまな人物
C.年相応の理性能力に欠けている
D.彼に務まる業務及び作業、ひいては仕事は、この世の社会に存しない
E.自身の好む所である、電車に関しての知識には、私は一目置く所が存在するが、その知識を生かし就労するには、彼はもはや年齢的に遅すぎる
との事である。
以上で年齢的に間に合わない論理の破綻した身の程知らずのとんま野郎に関する論を綴じたい。