コーヒーパーラー「ライフ」4
ところで、「平安クリーンスタッフ」という会社は、不思議な会社である。
実は、この会社には、ヤクザ一家の時代にも負けぬくらい、我も強ければ、個性も強そうな人間ばかりが集まっている。例えば、バンドマン ツヨシである。
それでも、「平安クリーンスタッフ」には、かたぎの会社の安心感、信頼感、一体感が保たれているのだ。
バンドマン ツヨシこと、大沢毅は、頑強な体躯の男である。年は、そろそろ若者とは呼べなくなるくらいの年である。
大沢毅は、ヤクザの元組員と言うわけではない。
大沢毅は、「平安クリーンスタッフ」の仲間からは、バンドマン ツヨシと覚えられている。
正確には大沢毅は、パンクロッカーであるが、バンドマンと呼ばれても、十分に不満顔は見せない。
「昔、世話になった人に大沢毅くんという青年の仕事を探してほしいと頼まれている。お前の会社で、面倒を見てやってほしい」
そう、「平安クリーンスタッフ」の現社長は、先代社長である会長から頼まれて、バンドマン ツヨシこと、大沢毅は、この会社で働くことになった。
バンドマン ツヨシこと、大沢毅はというと、どこまでも熱くどこまでもマイペースな男である。それは、この手の夢を追う若者にありがちの性格である。
どういうこかと言うと、基本心理的距離感の近さを好む男であり、周りのものに、自分の感動を押し付けたり、見知らぬ他人にさえ馴れ馴れしく振る舞ったりするのに、何かのきっかけで、自分の殻にとじこもてしまい、なんとも扱いづらい人物に豹変してしまったりするのだ。
「社長さんよ! 社員は、これだけ頑張っているんだからさ。もっと、ボーナスくれよ。俺に社長やらせてみろよ。こんなしけたボーナスで社員を泣かせるようなことはしないぜ」
などと、今もバンドマン ツヨシは、コーヒーパーラー「ライフ」のカウンターに突っ伏したまま、寝言を言った。
「今日を、乗り越えれば、明日は元旦だ。一文無しで、正月は迎えたくないよ」
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「このあたりも随分と平和になったものである」
寝言をいうバンドマン ツヨシの姿を目にして、コーヒーパーラー「ライフ」のマスターを感傷的な気持ちになった。
「平安クリーンスタッフ」の通りに組事務所が、並んでいた時代は、まだそう遠くない時代の事であるが、ここいらあたりは緊張感が漲った街であった。
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マスターは、「平安クリーンスタッフ」の社長、塚原瑛太の謹厳実直な顔を思い浮かべた。
「平安クリーンスタッフ」の社長、塚原瑛太は、「堅気」を絵に描いたような人物である。
「平安クリーンスタッフ」の前身のヤクザ一家の時代には、社長の塚原瑛太も危険や暴力ととなり合わせの暮らしを送っていた。
先代の社長が、塚原瑛太に会社の経営を譲り、引退したあとになると、組の時代にあったヤクザの雰囲気はすっかり失われた。
平安クリーンスタッフの社長、塚原瑛太は、始終むっつり、寡黙な男である。
名前が、有名俳優と同じなので、社員は陰で「瑛太」と呼び捨てにしたりもする。しかし、塚原瑛太は、芸能人とは似ても似つかない地味な存在である。
背は、小柄で、イライラを呼び起こす甲高い声が特徴である。
彼は、普段は黙々と率先して仕事をするタイプで、自分から動いてみせるタイプである。
そして、髪はボサボサで作業用のツナギを始終着ている。長靴も、あてがわれたゴム長靴である。
現場に現れるときには、ツナギを着ている。会社にいるときも、ツナギである。だから、従業員は、彼の私服姿を見ることはほぼない。
会社の正式の場では、洗練されない服で現れることもあるというが。
瑛太が、遊びに連れて行ってやるというので、喜ぶものはいない。すくなくとも、瑛太をよく知るものや、社員の中にはいない。
一緒に行ってもあまり良いことはないのである。
瑛太が、意味もなく、脈絡もない回り方で、デパートの売り場を回るのにつきあわされ、吉野家の牛丼を奢ってもらえるくらいである。
そういうことで、瑛太はずいぶんと金を貯め込んでいると、うわさが立っている。こういううわさが立つのは、瑛太は、社員からの人望はあまりないからだ。
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瑛太は、人の寄りつかぬようになってしまったヤクザ一家という家業を自分から進んで継いでいた。
そして、瑛太は、一気にヤクザ一家を「平安クリーンスタッフ」という会社に変えてしまったのである。
瑛太は、自分の始めたカタギの仕事をある意味愛していた。
瑛太は、ヤクザ上がりとはとても思えぬくらい仕事の得意先には、ほんとうに熱心に頭を下げた。そして、それがいやというような様子は、微塵も見られなかった。
そんな時の瑛太は、先代社長の塚原卜然には、この世の中で一番アホに見えるという。
この社長、塚原瑛太の低姿勢というのは、社員やアルバイトに対しても発揮された。
ということで、会社の内外、どちらの立場の人間からみても、社長、瑛太にヤクザ一家由来の豪傑的、熱血漢的資質はなかなか見いだせなかった。