新釈「龍の形見」7改良
死んだはずの月陰熊五郎が、「平安クリーンスタッフ」にやってきた何日か後のことである。
「平安クリーンスタッフ」の社長、塚原瑛太は、行方不明のバンドマン ツヨシの仕事の穴を埋めつつ、自分の現場もこなす辛い日々が続いていた。
コーヒーパーラー「ライフ」が、いつの間休みになっている。
店の入り口には休業を知らせる紙が貼ってあった。
「お客様の皆さん、ゴメンナサイ。しばらく、お店、休みにします。
『コーヒーパーラーライフ』店主 ジョン・ヒロシ・タケシタ」
塚原瑛太社長は、その日朝の清掃業務を終えると、疲れた体で、出先付近の牛丼屋に立ち寄った。
そして、少しばかり早い昼飯を食うことにした。
塚原瑛太社長の体を、疲労感が満杯に満たしていた。
このところ、バンドマン ツヨシや、先代など主戦力の社員が、会社を離れているために、その負担が結局、瑛太社長に集中してしまっている。
この疲れをとるために、普段の並盛りから、奮発して、特盛りを注文することにした。
特盛りの牛丼が、塚原瑛太に出される。
塚原瑛太は、どんぶりからこぼれそうな肉の盛り上がり具合を眺める。
塚原瑛太は、それだけで元気が出てくるような気がした。……。
「どこかで聞いた声?」
塚原瑛太の耳にどこかで聞いたような濁声が聞こえた。
「兄ちゃん。あと、牛皿の特盛り十皿、追加や! 切らさんようにどんどん持ってきてや!」
塚原瑛太社長は、その声の聞こえてくる方を振り返ってみた。
その声の主は、立派な体格の男である。
塚原瑛太は、その声の主、声は聞き覚えがあるが、その姿形は、どうも思い当たりのありそう人物ではなかった。
「牛肉っちゅうのは、ほんまにパワーや、パワーそのものや!」
男は、大声でいいながら、牛皿一皿分を一気に、口に流し込んだのが見えた。
声の主の声は、止むことなく、牛丼屋に響いた。
「ますます、元気たまってきたでー。この調子や……」
男の前には、空になった牛皿と飯のどんぶりが、それぞれ、一メートルくらいの高さにまで積みあがっていた。
(ひとりで、これだけ食ってしまったのか?)
塚原瑛太は、思った。
(化け物か。しかし、派手な衣装やな)
声の主は、ピンクのラメのジャケットを着ている。パンツは、白だ。歌謡ショーから急遽抜け出してきた主役の歌手という感じだ。
塚原瑛太にとって、これほど周りの景色から浮いてしまっている衣装の人物をみるのは、たぶん、生まれて始めてのことだった。
その瞬間のできごとだった。
塚原瑛太は、なにが原因でそれが起こったのか把握できなかった。
声の主のテーブルに積み上げられていた牛皿の食い終えた皿と、食い終えた飯のどんぶりの巨大なタワーが何かの弾みで崩壊したのである。
逃げまどう客たちで、牛丼屋の店内は一瞬パニックになった。食器の崩壊は、それほどの爆音を伴った。
牛皿と飯どんぶりが牛皿の残り汁を振りまきながら店内に散乱した。
そして、牛皿の残り汁が、瑛太の背中にも直撃した。
声の主は、自分のテーブルの近くの客たちに謝っている。
「兄ちゃん、すまんな。偉いすまんことしてしもうたな」
声の主は、塚原瑛太にもすまなさそうに頭を下げた。
声の主は、並外れた巨体を、縮めて、あやまった。
「ワシが悪かったんや。つい油断して、どんぶりを牛皿の積あがった方にぶつけてしもうた」
声の主と、塚原瑛太とが、互いの顔を見交わした。
「……」
塚原瑛太は、声の主が誰であるか分かってしまった。
しかし、声の主は、塚原瑛太のことに気づいていない。
「洋服もシミになってしもうたな。頭にも、顔にも汁かぶってるで」
声の主の男は、牛丼屋のスタッフを呼んだ。
「にいちゃん、おしぼりを持ってきてくれ。大変なことになってしもうたんや」
声の主の男は、やっと塚原瑛太に気づいた。
「兄ちゃん、……。えっ、お前瑛太じゃないか」
塚原瑛太が、男の顔をまじまじと見る。
先代の塚原卜然は、化粧をしている。そのためか若返って見える。ポマードなどで髪の毛もびったりと固めていいる。
不思議なことに、先代の髪の量がぐんと増えてヘアスタイルは、若々しく変わっていた。
塚原卜然は、日焼けサロンの帰りだろうと思えるくらい、ごんがりと肌を焼いていたし、カラーコンタクトでも入れたかのようにキリリとした瞳をしていた。
しかし、たしかに先代社長、塚原卜然であることは間違いなかった。
「……。ひょっとして、先代? 三十キロくらい体重増えていません?」
「四十や、正確に言うと四三・五キログラム、先月より増えとった。まもなく百キロの大台や」
「先代、少し見ないと思ったら、急にマッチョになられて、いったいなにが起こったのですか」
「瑛太、決闘や! 月陰熊五郎が、地獄からよみがえって来よったんや。月陰熊五郎は、うちの会社にもきたやろう」
「……」
「遠路はるばる、地獄から月陰熊五郎が戻って来よったんよ。ワシも、ヤツの熱い思いに、ワシの体の熱い血がまた、たぎりだしたんや」
「おっと、俺は月陰熊五郎を待たせている身、お前とゆっくり話をしとる場合やないんや」
「何か用事でもあるんですか。その幽霊の月陰熊五郎と」
「闘いや! 決着をつけんるよ。二十年前の闘いに。闘いの場所は、都庁前の特設会場や! 観客もよけい集まるそうや」




