初登場、岡寺のぶよ!5
ここは、室町アヴェニューにある少しさびれたコーヒーパーラー「ライフ」である。
岡寺のぶよは、ここへ来る前に、「平安クリーンスタッフ」の女子事務員、若松春子にメールを送った。
あとで会いたいという内容のものであった。
岡寺のぶよは、友人、若松春子が働く「平安クリーンスタッフ」という会社の前にあるコーヒーパーラー「ライフ」を訪れる事に決めた時、若松春子のことを思い出した。
岡寺のぶよは、コーヒーパーラー「ライフ」ではない小綺麗なお店で、若松春子とお茶でも飲みたくなった。
「仕事帰りの若松春子と落ち合って、おいしいお茶でも飲んで、そのあとで占いの営業に向かってもぜんぜん間に合うわ」
岡寺のぶよは、お猿のゴンくんの事件のことで、コーヒーパーラー「ライフ」が大騒ぎになっているだろうと想像していた。
「あのあたりと言えば、裏通りだし、普段は、墓場みたいに人っ気のないところだしね』
「実際、そういうところの住人って、ちょっとしたことでも大騒ぎしがちなわけだから……」
ところが、コーヒーパーラー「ライフ」は、岡寺のぶよの想像とはちょっと違った状況にあった。
コーヒーパーラー「ライフ」では、動物園から人がやってきて会合が確かに開かれてはいたのだが、お猿のゴンくんのためだけの会合ではなかった。
コーヒーパーラー「ライフ」では、お猿のゴンくんのための会合という名目で新しいメニューの試食会が開かれていた。
この日に、試食会が開かれることになったのは、お猿のゴンくんの飼育担当の真下能斗のガールフレンドの佐奈恵さんが、故郷から急遽新鮮なママレードを持ってきてくれることに決まったからだ。
真下能斗は、以前「平安クリーンスタッフ」につとめていたことがあり、その当時からコーヒーパーラー「ライフ」の常連であり、バンドマン ツヨシとも仲良くしていた。
試食会は、客の少ない時間帯に行われた。これが、お猿のゴンくんのための会合の時間とぴったりあった。午後三時頃には、試食会は終わり、真下能斗と佐奈恵さんが帰って行った。
真下は、コーヒーパーラー「ライフ」を去るときに、バンドマン ツヨシに声をかけた。
「試食会のことは、動物園には内緒にな!」
バンドマン ツヨシは、東京マリーン動物園のあたりをいつもぶらぶらしているので、動物園の職員にも顔が広かった。
バンドマン ツヨシは、真下能斗と彼のガールフレンドの佐奈恵さんを見送ったあと、コーヒーパーラー「ライフ」に戻ってくると、見知らぬ人物がバンドマン ツヨシに声をかけてきた。
それが、岡寺のぶよであった。
そして、これがおそらく、バンドマン ツヨシと岡寺のぶよとの初めての遭遇であった。
そして、このとき岡寺のぶよは、バンドマン ツヨシを塚原瑛太と人違いしてしまっていた。
岡寺は、バンドマン ツヨシに喧嘩腰が入った言い方で向かってたずねた。
「あんたが、塚原瑛太とかいうやつ?」
「……」
「あんたが、真下とかいうやつ、お猿のゴンくんの担当は、どこ?」
「……」
バンドマン ツヨシは、知らない人物の剣幕にたじろいでしまった。
バンドマン ツヨシは、自分が誰であるか説明した。
塚原瑛太が自分の勤める会社の社長であること、真下能斗が自分の友達であることも言った。
バンドマン ツヨシとマスターがその場に居合わせたのだが、相手返事や、反応を待たずにとにかく、まくし立てる岡寺のぶよのスタイルに圧倒された。
岡寺のぶよのこの話のスタイルは、熱気がこもって行くにつれ、対話と言うより、一方的な宣言に思われた。
「なんで、塚原瑛太とかいうやつが、この事件にちょっかい出しているわけ? この事件にちょっかい出すってことの意味をその人は知っているわけ」
「真下って、いったい何なのよ」
「お猿のゴンくんの事件に、塚原が選ばれたのはどういう人選?」
「ところで、今度の事件、どういう理由で、クリーンスタッフの社長が出しゃばることになったのさ」
岡寺のぶよは、返事は待たずはなしを続けた。
「だいたい探偵もどきの出る幕じゃないわよ」
「出没しているのは『妖怪ネコまんま』よ。貧しい家に飼われていたネコが、エサにネコまんましかもらえなくて、その怨念で『妖怪ネコまんま』が生まれたの。よなよな東京マリーン動物園に姿を現し、あそこで飼われている動物たちをいじめたり、エサを横取りしたりする。そういう話をあなたは聞いたことがないの」
「今この町、いや、日本という国は危機に見回れているのよ。妖怪ネコまんまのせいで! 妖怪ネコまんまに対応できる人材は、妖怪対策の祈祷ができる占い師の、わたくし、ゴホン、岡寺のぶよ以外には考えられないはずよ。それなのに、なぜ私のところに相談がこないの?」
「この妖怪ネコまんまに対応しているのが、どこの馬の骨かわからないあなたたちだということを知らされたときの私の気持ちってわかる。しかも、こんな重大な仕事を引き受けたあなたたちが、何の仕事もせずに、このコーヒーパーラーとやらで、お昼のランチメニューの試食会をやっているなんて、サボり以外の何物でもないじゃないの」
「わかっていますよ。たしかに、塚原瑛太という悪い人物がこの事件のことで動いているのよ。あのとんでもない間抜けな素人、本職は、すぐそこの会社、『平安クリーンスタッフ』の社長だという人物が、なにができるというの」
「飲み屋街の人たちには、塚原瑛太という人物が評判がいいというのは、知っているわ。彼に今度のことでいろいろと話を聞かれたという人は、飲み屋の客の中にもたくさんいたわ」
「塚原瑛太は、柔らかい物腰と、それでいて、人見知りをしない積極性、納得するまで何度も話を聞き返すしつこさというのは、飲み屋街ではいくらかは評価されていたわ」
「でも、彼が、そんな物わかりの良さが、今度の問題を解決できるなんて考えた人は、飲み屋街の客の中には一人もいなかったんですよ」
「断言しますけど、だれ一人として、努力は認めても、妖怪ネコまんまの事件を解決できるとは認めていなかった」
「なぜだかわかりますか? 」
「それは、彼には、ある種の直感がないからよ。それは、生まれつきの探偵としての素質とでもいうもの。自然に、物事の本質がわかってしまう、研ぎ澄まされた感性のことを言っているのよ。それがなければ世の中のどんな問題も解決はできないわ。そういう大切なものが彼には完全にかけているということ」
「私が見かけたとき、笑っちゃったわよ。塚原瑛太という間抜けな自称探偵さんは、完全に、行き詰まってしまっていたのね。公園にやってきていた子供たちにまで、一生懸命に話を聞いていたわ。変なオジサンに遊びをじゃまされた子供たちは、本当にふてくされていたわ……」
岡寺のぶよの話は、長かった。
コーヒーパーラー「ライフ」にいたマスターとバンドマン ツヨシらは、岡寺のぶよの剣幕に圧倒された。岡寺のぶよの話に口を挟むものも居なかった。
岡寺のぶよの話のあいだ、マスターやバンドマン ツヨシや、まだコーヒーパーラー「ライフ」に残っていた試食会の客たちか、身じろぎひとつすることはなかった。
しかし、このときついに岡寺のぶよに異変が起こった。
彼女が、ああっと、叫び声をあげると、その場に倒れ込んでしまったのである。
なにかのデーモン(魔神)が彼女の心に降りてきたのか? それは、わからないがゆ、、とにかくひどい興奮が、彼女の心のバランスを崩壊させてしまったことは確かである。彼女は、ひどい勢いで泣き始め、収まるまでに十分ほどの時間がかかってしまった。




