カーナビ人生
多忙な日々にふと訪れた、有休消化を含めた三連休。サンデードライバーな自分を奮起させ、たまには遠出も悪くはないだろう。
住宅街に訪れる平日の閑静は、忙しなく働く俺の心を、まるでワンダーランドに迷い込んだアリスのような気持ちにさせてくれた。
自然豊かな場所へ行って、いい景色を見て、のどかなお店でランチと洒落込もうかな。等とハンドルを切りながら考え、音声案内に声を掛けた。
「自然豊かで美味しいお店」
──ポーン
『350km先、ちょいと渋いコテージがあります』
流石にそこまで遠くは厳しいぜ。少しばかり検索内容がアバウトだったかと、赤信号にぼやいた。
「近場で良い感じのラーメン屋」
──ポーン
『1km先、靖子と行ったラーメン屋があります』
「…………」
靖子は俺が二年前まで付き合っていた女性だ。少しばかり遊び慣れた感じの軽い女で、俺が居酒屋で酔ってナンパしたのがきっかけで付き合い始めた。
靖子は束縛されるのを酷く嫌い、一週間先の予定ですら決めることすら出来なかった。だからデートは唐突、そしてノープランばかりだった。しかも靖子は「パフェが食べたい!」とか突拍子も無くいきなり言うので、店探しには苦労したものだ。
大抵はカフェで雑談したり、漫画喫茶でお気に入りの漫画を薦め合うのがお決まりだった。
終わりが決まったのも唐突で、いきなり「飽きた。じゃあね」と言われて俺は捨てられた。そして俺はそれからずっと一人だった。最後のクリスマスに送ったペアリングは、何度も捨てようとしたが、結局捨てられずにいる。
「靖子は元気だろうか……」
──ポーン
『4km先、男とランチです』
「フッ…………だよな」
聞きたくなかったけれども分かりきっていた現実をまじまじと突き付けられ、気が滅入る。かつて笑い合い、楽しみ合い、そして愛し合ったパートナーが今、別の男と同じ事をしていると思うと、何だか虚しさの親戚のような感情が、グッと込み上げてくる。
しかしいつか、俺もそれを克服しなければならない。いつまでも靖子を呪縛のようにする訳にはいかないのだ。
「新たな出会いの予感がする店……か」
──ポーン
『4km先、靖子が男とケンカ中です』
「……?」
どうせアイツの事だろうから──と昔の思い出と共に悪態が頭を過る。思い出と言う名の未練がましい女々しさを振り切るように、俺はアクセルを踏み込んだ。
──ポーン
『3km先、靖子がピンチです』
もう俺には関係ない。靖子は靖子の人生を歩むんだ。それに、捨てられた俺に助けられたくはないに決まっている。
──ポーン
『2km先、靖子が泣いています』
もう終わった関係にこれ以上何を求めると言うのか!? さもなくば俺にどうしろと言うのだ!? 靖子が泣こうが喚こうが、俺には一切関係……ない…………のか?
──ポーン
『1km先、靖子が助けを求めています』
「…………」
──ポーン
『目的地に到着しました。ドリアン風ミラノ仕立てのドリア味ピッツァとドリンクバーで1200円です』
やるせなさをドアを閉める手に込め、店の自動ドアが開ききる前に店内へと突き進む。肩がドアに擦れたが構いはしない。
靖子は、一番奥のテーブル席にポツンと俯いていた。
「……」
スッと斜筒から伝票を引き抜く。
─中華まんセット 680円─
─ドリアン風ミラノ仕立てのドリア味ピッツァ
1200円─
靖子に聞こえるくらいに大きなため息をつくと、靖子はようやく俺に気が付き、顔を上げて驚いた顔をした。
「まーくん……!?」
俺は第一声になんて言ってやろうかと少し戸惑い、手をモヤモヤとさせて、少しばかり言葉を溜めた。
「当ててやろうか?」
「えっ?」
「奢ってくれると思っていた男が、急に割り勘だと言い出してケンカになった……そうだろ?」
「…………」
しゅんとする靖子。ズバリと言った所である。あれから二年経ったが、靖子は相変わらず靖子のようだ。
「アタシお金持ってきてなくて……友達にAineでヘルプ信号してたとこ」
「……ったく」
そのままレジへと向かう俺の背中を、靖子が慌てて追いかけてきた。あの頃と変わらぬヒールの音が妙に懐かしい。
「えっ! 払ってくれるの!?」
「今回だけだ」
俺は自分に言い聞かせるように、そうはっきりと答えた。
「あ、あのさ……」
「分かってる。ついでに家まで送ってやるから……」
「あ……あり、がと……」
何も変わらぬ靖子に、俺の無念の錆がめくれる思いがした。
「この車、久しぶり……」
靖子を乗せ家へと向かう車内に、妙に重々しい空気が流れる。
──ポーン
『1m先、靖子が申し訳なさそうにしています』
「…………」
「……」
無言の二人を乗せた車は、緩やかな斜面を上り、真新しい家が建ち並ぶニュータウンの中を進んでいた。
──ポーン
『1m先、靖子が「ねぇ、あの時の事……怒ってる?」と、聞きたそうにしています』
「えっ、ちょっと勝手に──」
「怒ってるよ」
俺は靖子の言葉を遮るように強い口調で言い放った。
「……だよね」
「でもそれは、フラれた事にじゃなくて、飽きられた理由が分からなかった事にだ」
「…………」
少し口を開き言い淀む靖子。そして再び沈黙が訪れた。出来たばかりのパン屋の前に、出来たてを求める主婦の列。少し開けた窓の隙間から、パンの良い匂いが流れ込んだ。
──ポーン
『1m先、あの頃は誰からもモテて、正直天狗になっていた靖子がいます。「飽きた」と言えば男達は慌てて靖子に金をつぎ込むので贅沢三昧です』
「……アホくさ」
「…………ゴメン」
フラれた理由が自分に無かった事に、心のモヤモヤが一気に晴れていく。そして次第に靖子の身勝手に付き合わされた事に、今まで隠れていた苛立ちが募っていく。
──ポーン
『でも、二人で居た時間は楽しかったでしょう』
「──!!」
走り出した瞬間に蹴躓いたような、そんな一撃。
確かに靖子と居た時間は、ダチとつるむより遥かに素敵な時間だった……それは……それは間違いなかった。
──ポーン
『1m先、あれから男達に捨てられ続け、すっかり行き先を見失った靖子がいます』
「……バカだよね。ホント……」
「…………」
──ポーン
『1m先、男達から貰った物は大抵売ったけど、唯一クリスマスに貰った指輪だけは取ってある靖子がいます』
「──!?」
「や、やだ、言わないでよ……!」
意外だった。俺からのペアリングを未だに持っているなんて……!
──ポーン
『1m先、靖子のバッグの中です。そして、もう一つは同じく1m先、ダッシュボードの中です』
「…………」
「…………」
二人がそれぞれの指輪を取り出した。ちょっと背伸びして買ったペアリング。あの頃と変わらぬ輝きがそこにはあった。
「まだ持ってたんだ……」
「まだ好きだからな」
「──!!」
──ポーン
『90cm先、靖子がキュンとしています』
「わ、私はただ……捨てられなくて……」
「そーかい」
靖子が左手の薬指の先に、指輪を通したり離したりを繰り返している。顔までは見れないが、何処かしおらしくおとなしい。
──ポーン
『1km先、パフェの美味しいお店があります』
「あ、パフェ食べたい!!」
「──フッ」
鼻から失笑が少し漏れる。
「ね!? 良いでしょ!!」
「…………」
──ポーン
『60cm先、照れ隠しにやけくそになった靖子がいます。ご注意下さい』
「──ッサイな!!」
「クク、カーナビにキレるなよ」
思わず笑ってしまい、思い空気が窓の隙間から全て流れ去っていく。堅苦しい意地を張るのが馬鹿馬鹿しく思える程に…………。
「アタシが行くって行ったら、行くの!」
「はいはいはいはい」
「はいは一回!」
「はいよ」
──ポーン
『今がチャンスです』
「…………」
「……?」
「ねぇ、まーくん……あの、さ」
「なに?」
「……あの頃は、楽しかった……よね」
「ああ」
「…………ダメかな?」
「何をだ?」
「また付き合ってって言ったら…………」
「ダメだ」
「──!! だ、だよね……」
「それは俺から言う」
「──!!」
「靖子、もう一回俺と付き合ってくれ」
「…………!!」
──ポーン
『30cm先、言葉にならない靖子がいます。嬉し涙でメイクがグチャグチャになっています。ご注意下さい』
「……い、言うなし!」
「決まりだな。パフェ……行くか」
「まーくん……好き」
──ポーン
『20cm先、少し大人になった靖子が居ます。パフェより静かに飲めるバーが良いでしょう』
「…………」
「だとよ。パンでも買ってドライブして夜はバーに行くか?」
「……うん。ありがとう」
靖子の口から聞いたことの無い「ありがとう」が出たことに、俺はなんとも言えない嬉しさを覚えた。
──ポーン
『10cm先、目的地です。案内を終了致します』
「おい、終わりか?」
「ねぇ、まーくん」
「うん? ──!!」
──ポーン
『よそ見運転に注意です』
読んで頂きましてありがとうございました!
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(*´д`*)