課外授業1 元アラサーさんと元メスガキちゃん
俺は階段を駆け上がる。
颯爽と―――とはいかず、思ったよりも重い身体を引きずる俺の背後から、軽快な足音が迫って来る。
どうにか屋上に繋がる踊り場まで登り切った俺は息も絶え絶え、膝に手を当て荒い息をつく。
さあ、休んでなんていられない。早く屋上に逃げ―――
俺が屋上に繋がる扉に手を伸ばすと、その間にほっそりとした人影が割り込んでくる。
「ちょっとおじさん、どうして逃げるのっ?!」
バン!
メスガキ―――いや、元メスガキこと理沙は俺をいきなり壁際に追い詰めると、頬をかすめるように手を壁につく。
いわゆる壁ドンである。
観念した俺は、呼吸を整えがてら溜息をつく。
目の前に迫る理沙の顔。
「逃げてるわけじゃないって。だってほら……」
4年分年を重ねた彼女の顔は、すっかり大人―――と言うにはまだあどけないが、しっかりと女の顔になっている。
俺は思わず顔を逸らす。
「なに?」
「だって……授業中お前、滅茶苦茶見てくるじゃん」
「4年分取り返さないとだし」
「それにほら、授業終わった途端に追いかけて来るから反射的に……逃げるよね?」
「だからなんでよっ?!」
理沙は身体を離すと、呆れたように手を腰に当てる。
「野良猫じゃないんだから。そもそも、すぐに教室出たのおじさんでしょ? 普通、久しぶりの再会なんだから少しくらいそれっぽい反応を―――」
言いかけた理沙は何かに気付いたのか。目をパチパチとしばたかせる。
「……ん? あれれ? ひょっとして?」
上体をぐっと伸ばすと、俺の顔を下から見上げて来る。
「なんだよ」
「え? ホント? 私のこと意識しちゃってる? 可愛いとか思っちゃってる?」
「いや……だから……顔が近い……」
こいつが結構可愛いのは確かだが。
……いや、結構どころか相当可愛いのだ。
こいつはガキの頃から面だけは良かったのだ。
それに加えて4年間で伸びた手足は女性らしく均整がとれていて、シルエットだけでも『いい女』の片鱗がうかがえる。
さらに正直に言えば、もう『いい女』に片足を突っ込んでいる段階だ。
街を歩いていれば、10人中15人くらいは振り返るだろう。ちなみに母数を超えた分は、二度見三度見をする奴がいるということだ。
「だからお前、もうちょっと距離をだな」
俺の言うことを分かってくれたのか。
理沙は一歩後ろに下がる。
そして天井を見上げると、神に祈るかのように指を組んだ。
「長かった……ホント長かった……やっとこれから私のターンだ……」
なんか不穏なことを言い出した。
つまり今までは俺のターンだったってことか……?
理沙は満面の笑みでバッと両手を広げる。
……? なにそのポーズ。
「おじさんお待たせ! いいよ!」
「……え、なにが?」
……一体俺は何を許可されたのだ。
ぽかんと口を開けて立ち尽くしていると、理沙は全て分かってると言わんばかりに笑顔で頷いて見せる。
「皆まで言わなくてもいいって。小学生に手を出しちゃいけないから、おじさん我慢してたんだもんね? でも、私も大人になったの。遠慮しなくていいんだよ」
「大人ったって、お前まだ15だろ」
「四捨五入すれば二十歳じゃない。こんな可愛い女子高生が手を広げてるのよ。抱きしめてあげるのが礼儀ってもんじゃない?」
そんな嬉しい―――いや、条例違反な礼儀は無いぞ。
それにそもそも論ではあるが―――
「女子高生だって駄目だろ……?」
「……今更そこで引っ掛かる? とっくの昔に21世紀よ」
「むしろ20世紀の方が緩かったぜ」
20世紀も終盤までは割と何でもありだったと聞く。
町の本屋に、今なら所持だけで法に触れそうなものが平気で並んでいたのだ。
「あのね、地上波のドラマだって女子高生と教師の恋とか普通にやってるでしょ。サラリーマンが女子高生拾っても、ひげ剃って純愛なら許されるんだから」
「現実と創作ごっちゃにするなって。そもそも今って3月だぞ。お前まだ女子高生じゃないだろ」
「そりゃ入学式は来月だけど。もう中学は卒業したし。この制服だっておじさんが好きだろうと思って着てきたの」
理沙はスカートの裾を翻しながら、くるりとその場で回る。
そして得意げな顔で俺を挑発してきやがる。
「ね? 好きでしょ?」
……こいつめ、自分の可愛さを分かってやがるな。
それはそうと。
可愛く思うからって、俺は制服好きではないことは分かって欲しい。
確かにこいつの制服姿は可愛いが、成人男性全てが制服は好きなわけだし、その理屈で言えば俺が取り立てて制服好きってことでは無くなるわけで―――
俺の脳内早口自己弁護を見透かしたように、理沙は俺の隣に並ぶと腕を取ってくる。
「そっかー、おじさんはこっちだったかー」
「こっち?」
「いくらおじさんが我慢してたとはいえ。私があれだけ迫ってあげたのに手を出してこないから、おかしいと思ってたの。女子高生かー、小学生じゃなくて女子高生が好きだったのかー」
いくらなんでも語弊が凄い。
嗜めようとした俺の鼻を、甘い匂いがくすぐった。
思わず俺の腕に手を回す理沙を見る。
……理沙の奴、コロンか何か付けてるのだろう。
それはいいが、なんというか……これは……女の香りだ。
4年前には無かった攻撃に、俺の背筋も伸びようというものだ。
「だ、だからまだ高校生じゃないだろ。こういうことはヤバいって」
「もう中学は卒業したって。もう高校生―――」
「3月だし、入学式まだだろ」
「そうだけど。あれ……ちょっと待って」
理沙は形の良い眉毛をしかめる。
「じゃあ今の私の立場は……中卒?」
理沙は呟きながら自分の服装を見下ろす。
「つまり私は……高校の制服を着た……中卒の無職……?」
……軽い絶望感がある設定だ。
「無職は構わないだろ……。とにかく、自分の置かれた状況を自覚してだな。お前はからかってるつもりが、相手がその気になったら―――」
「……なったら?」
元メスガキはここぞとばかりに俺の腕に身体を押し付けてくる。
……あ、これも駄目だ。4年前には無かった膨らみというか柔らかみというかなんというか、そういった煩悩の塊が俺の腕に伝わってくる。
俺は目を瞑って般若心経を唱える。
そう、俺はこのくらいでその気になんて―――
「……なっちゃった?」
……こいつ。
三十路も半ばの成人男性を舐めてはいけない。過去に彼女もいたし、女とサシ飲みだってこなす経験値を積んでいるのだ。
俺は冷静を装い、澄まし顔をする。
「大人は職場でその気になんてなりません。絶対になりません。それよりお前、中学校はどうだった。外部受験したんだろ?」
盛大に嘘ぶくと、露骨なほど話題を変える。
意図はバレバレだっただろうが、理沙は俺の動揺っぷりに満足したのか。ようやく押し付けてきた身体を離す。
「もちろん受かったよ。むしろ入ってから勉強についていくのが大変だったかな」
「そうなのか。で、なんというか、その」
「ん? なに?」
「そこって共学……だったんだろ。友達とは上手く行ってたのか?」
「……それってつまり?」
「つまり……」
……いくら何でも気持ちがバレバレだ。
三十路も半ばの漢の言葉とは思えない。
恥ずかしさに目を逸らす俺の手を、遠慮がちに握ってくる理沙。
「ふうーん、気になるんだ。ちなみに高校も共学ですけどー?」
「だ、だよな」
「あのね、私凄くモテるみたい」
……だろうな。
多感な中学生。同じクラスにこんな美少女がいようものなら、気にならないわけはない。
「いやー、女子校にいるときにはここまでとは思わなかったな。」
「じゃあ……その、付き合ったりとか……」
「付き合う? 学校の男子と? まさか」
理沙は俺の手をキュッと握り締めて来る。
「そうね。男子ってみんな『可愛い』かな。子供っぽくて―――」
理沙は悪戯っぽい光を瞳に浮かべると、俺の耳元で囁いた。
「―――でもおじさんの方が『可愛い』よ」
……理沙のターン。
そんな言葉が頭を巡る。
「お、大人をからかうなって。俺、そろそろ授業の準備に戻るな」
俺は煩悩を心の棚にしまい込むと、理沙の両肩を掴んで引き離す。
「はーい。でもちょっと待って」
「なんだよ、まだ何かあるのか」
「おじさん、私の電話出てくれないでしょ。ちゃんと次から出てよね」
……確かにこの4年間。こいつからの電話は全て無視をしていた。
「分かったって。ちゃんと出るから」
「それに……住所も教えてよ。引っ越したじゃん」
「住所聞いてどうするんだよ」
俺の意地悪な問いかけに、理沙は拗ねたように口を尖らせる。
「……年賀状出すし」
「もう3月だぞ」
「沢山余ってるし。毎日出さないと来年のお正月に間に合わないし」
「郵便局に持っていったら、代えてくれるぜ?」
「違くてぇ……」
……まあ、さすがの俺も何が言いたいのかは分かる。
俺はスマホのプロフィール画面をスクショすると、LINEで送る。
「……あ」
「年賀状は年に一枚な」
「うん!」
「勝手に家に来たりしない。守れるか?」
「うんうん!」
「さっきLINEのブロックも解除したから、ほどほどに―――」
言いかけた言葉に、理沙の髪が一瞬逆立つ。
「やっぱブロックしてたんだ! 道理で既読付かないと思ってた!」
……あ、迂闊なことを言った。
「怒るなよ、俺が悪かったって」
「悪いと思うんなら約束をしてくださーい」
約束?
不安に思う俺の前、理沙が指を一本立てる。
「ひとーつ。私からの連絡を着拒しない!」
「分かった、もう二度としない」
ん? 一つってことは、約束事項は複数あるのか?
二本目の指がぴんと立つ。
「ふたーつ。私を子ども扱いしない」
「だって子供……あ、はい。分かりました」
これ以上、言い争っては無駄である。
再び腕に柔らかさんを押し付けられては、さすがの俺も理性を保てるとは限らない。
「みっつ。ちゃんと私を名前で呼ぶ」
「あー……まあ、そのくらいなら」
「よっつ―――」
理沙は俺の正面、身体が触れるくらい距離を詰めると、大きな瞳で見上げて来る。
「―――いま理沙って呼んで?」
「え……」
俺は心臓の高鳴りが聞こえないことを祈りながら、理沙の頭に手を置いた。
小さく震える理沙の肩。
「……理沙。これから仕事だから、大人しくお家に帰れるか?」
「はい、慎二さん♡」
笑顔―――という言葉はこいつのために生み出されたに違いない。
理沙は輝くような笑顔で俺の鼻をつつき、軽やかに身を翻す。
「それじゃ、これから改めてよろしくね♡」
「……お手柔らかに」
……まったくもってこいつの言う通り。
俺は深々と溜息を付いた。
そう。理沙のターンが始まったのだ―――。
課外授業こと延長戦の1話目です。
私もこんな一途で健気な美少女に迫られたいものです。
……ものです。
ちなみに現実では私のターンが終わったきり誰のターンも始まりません。
致命的なバグが起こっているのではないでしょうか……?
次回、理沙ちゃんと仲良し二人がお買い物に出かけます。




