52日目 君とこれから
さて……これで全員分の課題の採点は終わった。
俺はファイルサーバーにデータを放り込むと、大きく伸びをした。
光浦電子専門学校の情報処理コース。日中はハローワークから委託された職業訓練の授業が中心だ。俺は現在、ここの講師をしている。
本日の授業は終わり、課題のチェックも終わらせた。
切りもいいし、軽く一服してくるか。ぼやぼやしてると夜間部が始まってしまう。
夜は転職希望者や資格試験のための社会人講座が待っているのだ。
腰を押さえながら立ち上がると、小太りの男性が俺の背後に歩み寄ってきた。
「田中君、お疲れ様。最近どう?」
「どうも校長。ぼちぼちですね」
校長は人好きのする笑顔を浮かべて俺の肩を叩いてくる。
この上司は俺の見立てからすると———聖人と言っても良い。
確かに無茶振りをしてくるし、断らない限り仕事を無限に頼んでくるが、訳の分からないことで怒鳴ったりしないし、仕事のミスを押し付けたりもしない。
なにより無駄な仕事を創造したりしない———忙しいのは単に人手が少な過ぎるだけなのだ。
「いつも“通し”で出てくれて助かるよ。最近は人手不足でね」
「全然いいっすよ。前の会社でもこのくらいの時間は働いてましたから」
俺は愛想良く笑って見せる。
……俺がこんなに素直なのは他でもない。実はこの職場には秘密があるのだ。
基本給は前より低いのだが、昼間部と夜間部を掛け持ち———つまり倍の時間働くと、何故か倍の給料が貰えるのである。現代の錬金術と言ってもいい。
「夕方の体験講座もよろしくね」
「あー、今日からでしたね」
義務教育でもプログラミング実習が取り入れられることから、この学校でも学生向けのIT講座を始めることになったのだ。
今日はあくまでも体験教室だ。優しいお兄さんキャラで、ガキどもを骨抜きにしてやるとしよう。
「任せてください。終わる頃には子供たちが申込書をもって行列してますよ」
「頼りにしてるよ。それと案件のお客さん、テーブルに通しといたから」
最後に大事なことを言い残すと、校長は小走りに立ち去っていく。
はて、約束は何も入ってなかったが、どこの誰だろう。
俺はネクタイを直しながら、応接スペースに向かう———
———ここに就職して4年になる。
最初は勉強ばかりで寝る間もなかったが、最近は仕事の合間に勉強しつつ資格をとったりと、今後につながる流れも出来てきた。
パーティションの裏、打ち合わせ用のテーブルに人の気配がする。
俺は営業スマイルを顔に貼りつけると、深々と頭を下げながら登場する。
「大変お待たせ致しました。今日はわざわざご足労———」
顔を上げながら、俺は思わず笑ってしまう。
「なんだ、お客さんってお前か」
「大事なお客さんっすよ。ちゃんともてなしてください」
うつむいて笑いを堪えているのは……恋川亞里亞。
俺はその向かいに腰掛けると、恋川の差し出したファイルを受け取った。
「ああ、もうそんな時期だっけ。何人だ?」
「今年の生贄は15名っす。どうぞお納めください」
俺は不運な犠牲者の履歴書をめくっていく。
「15名……今年も人数減ってないか」
「っすよ。最近、離職率が下がってるんす」
……俺が前の会社を辞めてから4年。
紆余曲折あって、それまで全くやってなかった新人教育をうちの学校でやることになったのだ。
恋川の力がなければ、ここに至ることも無かっただろう。
人材は育てた方が結果として利益に結び付く———そんな当り前のことが、ようやく前の会社に根付きつつあるのだ。
「賄賂の夢が破れました。今頃、左うちわの予定だったんっすけど」
「残念だったな。恋川も―――」
俺は言いかけた言葉を止める。
「――じゃ、なかったな。呼び方変えないと」
「……今まで通り恋川でいいっすよ」
照れるような恋川の仕草に、一緒に働いていた頃を懐かしく思い出す。
4年間……俺自身、環境の変化もあり必死にやっている内に過ぎていた。
そして周りも、ちゃんと4年分の時を刻んでいる。
「もっと堂々としろよ。恋川主任」
……そう、恋川は最年少で主任に昇格。二課の人材育成担当者として、現場仕事と二足の草鞋を履いている。
「やっぱ照れるんで主任はやめてください。それより仕事の話しましょうよ」
「了解。……今年も新卒が入るんだ。可愛そうに」
お、しかも18才新卒の女子社員までいるぞ。結構可愛いな。
俺が顔写真を眺めていると、恋川がテーブルを指先でトントンと叩く。
「新入社員に手出しちゃダメっすよ? 先輩、前科あるんすから」
「出してないだろ……」
「……ホントっすか? 神に誓います?」
「神に誓って出してない……よな? あれ?」
「どうっすかねー。先輩、酔うとたまに記憶無くしますし」
確かに最近、飲むと記憶が怪しいが。
俺は仕事モードに戻ると、書類をファイルに戻す。
「それでは確かにお預かりいたしました。今週中に時間割と見積もりを送ります」
「よろしくっす。これから先輩、時間あります?」
「なんかあるのか?」
恋川が口元で指を二本、ひらひらさせる。
「行くっすか?」
「……行こうか」
ビルの屋上。
吹き上げる風に恋川の髪が揺れる。
恋川はそれに構わず、真っすぐに手すりに歩み寄った。
「ここ、開放感あっていいっすよね。言いましたっけ。最近、非常階段が喫煙禁止になったんすよ」
「マジか。他のフロアから苦情来たのか?」
「なんか消防署の指導とかで。世知辛いっすね」
箱から煙草を咥えつつ、恋川が俺を責めるような眼で見て来た。
「うわ。先輩、電子タバコっすか。日和ってんじゃないですか」
「仕方ないだろ。俺ももう30代も半ばだし」
俺は電子タバコのiQOSにカートリッジを詰め込む。
悲しいが寄る年波には勝てないのだ。
徹夜は身体がもたないし、野菜だって小まめに食うようになった。
恋川は煙草をふかしながら、俺のiQOSを興味深げに眺めて来る。
「お前も気になるのか」
「ちょっとは気になりますね。私ももうアラサーっすから」
「あれ、もうお前も30になったんだ」
俺の言葉に恋川は抗議の声を上げる。
「ア・ラ・サーっす! あたしまだ26ですから」
「27じゃなかったっけ」
「……知ってんじゃないっすか。ええ、8月で28っすよ」
開き直ったようにそう言った———が、開き直り切れなかったらしい。
恋川は屋上の手すりを掴んだまま、しゃがみ込む。
「うっわ、なんも無い内にアラサーとか……こんなはずじゃなかった……こんなはずじゃ……」
……俺は何と言って慰めればいいのだろう。
「まあ、元気出せよ。俺なんか34だからな。同じアラサーでもギリギリだし」
「……半分は先輩のせいっすからね。つーか34でアラサーは無理あるっす」
そんな。30前半まではアラサーを自称しても許されると聞いていたのに。
しばらくは周りのビルを眺めながら、恋川の吐き出す煙を眺める。
黙る俺に焦れたのか、恋川が話を切り出した。
「……あれから4年、っすね」
「もうそんなに経つか……」
俺はiQOSを口から離すと、”あの日”のことを思い出す。
……4年前のクリスマス。理沙とイルミネーションを見た夜。
彼女の同級生が親とツリーを見に来ていたのだ。
仲睦まじく手を繋ぐ俺達を見て、疑問に思うのは無理もない。
学校で問題になり、理沙の両親は家族ぐるみの付き合いだと言ってかばってくれたが、俺の方が大事になる前に身を引いた。
折良く年末年始だったので、泊まり込みで何とか引継ぎの準備をして———退職届を出したのだ。
それは俺なりの勝手なケジメだったし、今でもそうして良かったと思う。自分の為にも。
あれから何度も俺に会おうとする理沙から逃げ回り、自分の心も仕事に逃げ込ませることで今に至った。
「会ってあげれば良かったのに。辞めた後、滅茶苦茶寂しがってましたよ」
……恋川があいつの話をするのは珍しい。
彼女なりの気の使い方だろう。たまにほのめかすことはあったが、理沙の名前はここ最近は一度も出ていない。
「……あれから会社には来てたのか?」
「6年に上がってからはすっかり減りましたね。受験で塾通いだったみたいっすよ。でもまあ———」
恋川は出来の悪い弟でも見るような、たしなめるような表情で俺を見る。
「中学に上がった理沙ちゃん……あれはモテるっすね。ガチっすよ」
「……そんなにか?」
「たまに会ってましたから。理沙ちゃんとは仲良しっす」
……まあ、そうだろうな。
小学生のころから、その片鱗は隠し切れないほどだった。というか、理沙の母親を見れば美人に育たないわけがない。
「……気になるんすか?」
考え込む俺を覗き込む恋川。
「そりゃ……責任感って意味ではな」
「社長も気にしてましたよ。ああ見えて先輩の事、気に入ってたみたいですし」
「……けじめだよ」
俺は自分に言い聞かせるように呟く。
何度目か忘れたほど繰り返した戒めの言葉。
「小学生の女の子が大人に恋をしたとして……許されるのは、憧れまでだ」
理沙は———小学生で、俺は三十路の大人。
それは理屈も感情も全て飲み込む大きな溝だ。
「彼女の中でそれが当たり前になるのが一番いけない。次の相手は俺みたいな真人間とは限らないぞ」
「真人間って自分で言いましたね」
「だって誰も言ってくれないし」
恋川は無言で空に煙を吹きかける。
「……理沙ちゃん、来月から高校生っすよ」
「そうか。もうずいぶんデカくなったんだろうな」
「中学の卒業式の後に来てくれたんすけどね、更に可愛くなってましたよ。どうっすか?」
……どうって? なにが?
ぽかんとしている俺に、恋川が言葉を続ける。
「小学生に手を出すのはどうかと思いますけど、高校生なら———」
「高校生でも駄目じゃね?」
「……っすね」
終了だ。
「周りに男子もいるんだろ。俺のこと覚えてたって———」
胸をよぎるのは———寂しさに似た鈍い痛み。
「———昔よく遊んだ近所のお兄さん。そのくらいの扱いだよ」
「先輩……」
しんみりと俯く俺に恋川は気遣わし気に———
「お兄さんは……図々しくないっすか?」
……気のせいだった。相変わらず無神経な奴である。
「今じゃなくて当時の話だって。あの頃俺、まだアラサーだったし。今のお前と一緒だかんな」
「いやいやいや。20代と30代を一緒にせんといてください。私まだ26ですし」
「え。お前、あくまでサバ読む気か?」
「嘘も10回繰り返せば本当になるって、お局様も言ってましたから」
「お前、お局様と仲いいのかよ」
お局様のいつも不機嫌そうな表情を思い出す。
恋川は顔を強張らせる俺に向かって、掌を上に向けて玉でも転がす仕草をする。
「———私こう見えても人タラシっすから」
さすが元弊社の最年少主任。恋川亞里亞だ。
「先輩、そろそろ次の授業じゃないっすか」
「え? ああ、そろそろ戻らないとな」
iQOSのカートリッジを捨てようと携帯灰皿を取り出す。
———あのクリスマスの日、理沙にもらった物だ。
じっと見つめる俺の頭を軽く小突く恋川。
「……もう一度、色々と考えてあげてください」
恋川は火を消すと、階段に向かって歩き出す。
遠ざかる足音。俺が思わず視線を向けると、予想に反して恋川と目が合った。
「……どうした?」
「私、モテますからね。いつまでも売れ残ってませんよ?」
恋川はそう言い残すと、手を振りながら姿を消した。
——————
————
学生向け体験教室。
それが終わったら夜間部の授業が始まる。
「今日は飯食う時間ねえな……」
机のカロリーメイトを食べるタイミングを考えながら教室に向かっていると、正面に小さな人影が立ち塞がる。
「すいません、体験教室の受付はどちらでしょうか」
やたらハキハキとした口調で尋ねてきたのは、小柄な少女だ。
中学生くらいだろうか。リスを思わせるくりくりした瞳で、俺を見上げている。
「ああ、それなら後ろの階段を下りたらすぐだよ。張り紙も貼ってあるから」
「ありがとうございます!」
少女はぺこりと頭を下げると、俺の背後に向かって声をかける。
「ほら、だから言ったじゃない。やっぱこの下だって」
「でも立夏ちゃん。2階はあの子の匂いしませんでしたよ?」
「だから匂いで判断しないでって」
妙なことを言いながらこちらに近付いてくるのは、長い黒髪をふわりとなびかせた少女。
10代半ばに見えるが、整った顔立ちはやけに落ち着いた空気を漂わせている。
少女は俺の顔を少し驚いたように見ると、
「……あら」
と、呟く。
……この子、どこかで会ったことがあるか?
思わず見つめると、少女は包み込むような潤んだ瞳で見返してくる。
「おじさま、どうかされました?」
「あ、いや。前にどこかで会わなかったかなって思って」
失言にも似た俺の言葉に、少女は柔らかい笑みを浮かべた。
「あら。ひょっとしておじさま、私を誘っていらっしゃるの?」
「はい? いやいや、違います!」
「あら残念。……でも、そうですよね」
何故か嬉しそうに頷くと、隣を通り過ぎようとする小柄な少女の手を握る。
「立夏、じゃあ帰りましょ。用事は済んだわ」
「え? なによ千代花が来たがったんじゃない」
「だって邪魔をしちゃ野暮ってもんでしょ。安心して、その分私が立夏を可愛がってあげるから」
黒髪の少女は軽く一礼すると、友人の手を引き階段に姿を消した。
……なんなんだ、あの二人。体験教室に来たんじゃなかったのか……?
「ちょっ……なんで指を絡めるのよ?! あなたはいつも強引なんだから」
「でも立夏、強引なの好きでしょ?」
上の階まで響いてくるこの会話。ホントにいったい何なんだ……
……いかん。変な妄想をしている場合じゃない。そろそろ教室に行かねば。
俺は歩きながらタブレットを立ち上げ、教材を確認する。
60分のうち半分はIT業界の紹介だ。体験談をまじえつつ、この世界に興味と憧れを持ってもらわないと———
教室の前、時計を確認。授業開始まであと5分。
俺は咳ばらいをすると、教室の扉を開ける。
……疎らに座る若者たちの視線を感じ、俺は思わず目を伏せる。
最近、希望に満ちた若い瞳を見ると心が苦しくなるのだ。
俺はさり気なく目を逸らしつつ、教壇に立つ。
「みなさん、出席手続きはお済ですか。17時から体験講座を始めますので、手元のパソコンの画面に”体験講座受講中”の表示が出てない方は言ってください」
手元のタブレットで出席者を確認。
……出席者12名。まあ、最初はそんなものだ。
画面をスクロールして名前を確認していると、名簿の一番下、そこに並んだ名前に俺の指が止まる。
目を擦って見返すが……間違いない。
俺は恐る恐る顔を上げる。
教卓の正面、制服に身を包んだ少女が両肘をつき、口元のにやけを隠そうともせずに俺を真っすぐ見つめている。
4年の月日を重ね、美しい少女に育った彼女は———
「……ザーコ教師♡ 教室スッカスカ♡」
4年前と変わらぬ口調でそう言った。
俺は膝から崩れ落ちそうになりながら、苦笑いを浮かべる。
「お前……なんでここにいるんだ?」
「おじさん、あたしから逃げられると思った?」
……思ってた。
今、こいつの顔を見るまでは。
なんと言えばいい?
また会える……なんて思っていなかった。
会ってはいけないと思っていた。
だが目の前の理沙の存在が、心の壁を簡単に消し飛ばしていくのがはっきり分かった。
「仕事中だぞ。ちゃんと授業は受けてもらうからな」
「望むところよ」
理沙の勝気な笑顔から目が離せない。
今はっきり分かった。
———俺は彼女に、とっくに分からせられていたってことに。
理沙は心から幸せそうな笑顔で白い歯を見せる。
「とことん教えてもらうから♡ 私のせーんせ♡」
やあ (´・ω・`)
ようこそ、メスガ……いや、ただの変哲もないバーに。
どこかで会わなかったかって?
なぜだか良く言われるんだ。世の中には良く似た人が3人いるって言うけど、私の場合はこの近くに住んでいるのかな。
じゃあ、注文を聞こうか。
……シマシマのニーソックス? 悪いけどここにはお酒しか置いてないんだ。
そんなに酔いたい気分ならとっておきのバーボンはどうだい。
あ、それの箱は開けちゃ駄目だ。売り物じゃないからね。
開けちゃ駄目だって…………嗚呼、中身を見ちゃったのかい?
ただの黒いハイソックスだ。それ以上は———
え? お客さんには分かるのかい? その素晴らしさが?
……
…………他には言わないって約束してくれ。
これはちょっとおませなJKが、小さな時から好きだった人とようやく結ばれて、幸せなキスをした時に履いていた品だ。
人生の半分にも近い間、ずっと想い続けていた相手とようやく心を通じ合わせることが出来た、その瞬間の幸せが詰まっている。
悪いがこれはいくらお金を詰まれても譲れない。
全てを失った僕が、これだけを手にようやくここまできたのだからね。
不思議だね。お客さんとは初めて会ったのに、そんな気がしない。
……実はカウンターの裏に、少し変わったモノがあるんだ。
興味があるのなら……注文を聞こうか。
———アラサーさんとメスガキちゃんの恋の物語。
これにて完結です。
元メスガキちゃんは二度と元アラサーさんを見失わないでしょう。
そして彼が腹をくくった瞬間から、二人の新たな時間が始まります。
最後にここまで二人を見守ってくれた皆様。
本当にありがとうございました。
二人の姿をより多くの方に届けるため、最後にブクマ、バナー下から★のシャワーで祝福頂ければ幸いです!
━━━(ノ゜∀゜)ノ ┫:。☆彡・:*:・゜'★,。・:*:♪・゜'☆ァ*・゜゜・*:.。★☆彡..。.:*・゜━━━!!!!




