46日目 勇気を出して
季節の境目が無くなりつつある昨今。
子供の頃は意識することも無く冬が来ていて、気が付けば春になっていた。
最近は秋と夏とが行ったり来たりを繰り返している内に、ひょっとして今は……冬?
……と思った時が冬の始まりだ。
そんなことを思いながら吹きっ晒しの非常階段でタバコをふかしていると、背後から扉のきしむ音。
今日も例のメスガキが来たのか。
振り返るとそこには誰もいない。
……あれ。最近ひどくなってきた耳鳴りかな。それとも幻聴……?
そういや去年辞めた山下も、最後には誰もいない机に話しかけていたような———
ギギギ……
良し、今度こそはっきり聞こえたぞ。
これで空耳なら流石に病院に———
「あれ?」
振り向くが、やはり誰もいない。これは病院直行コースか。
保険証の在り処を思い出そうとしていると、ゆっくり開いた扉の裏から小さな頭がひょこりと出て来た。
「どうした。来るんなら———」
頭がひょこりと引っ込む。
あの頭、メスガキに間違いない。しかし一体、かくれんぼでもしてるのか。
俺は吸いかけの煙草を携帯灰皿に放り込む。
「どうした。来るなら早く出てこいって」
「……うん」
恐る恐る、といった感じで出て来るメスガキ。
「えっとね……おじさん、ちょっといいかな」
「その前に今日は風あるから場所代われ。ここなら風が来ないぞ」
「え? ありがと」
はて。今日はどうしたのか。
いつもは口さえ開けば俺をからかってくるというのに、まるで恥ずかしがり屋の乙女のようにモジモジしている。
「なんか話でもあるのか?」
「駅前のアーケードがさ。イルミネーション始めたでしょ?」
イルミネーション……
そういえば帰り道、やたらピカピカ光っていて電気代大変そうだなあとか思ってたが。
「確かに光ってたな。なんか祭りでもあるのか」
「え……ほら12月よ、12月」
「12月?」
12月といえば年末進行、年末調整、大晦日に大掃除……
ああ、掃除機の紙パック買ってこないとな……
「……おじさん? 生きてる?」
「ああ、悪い。年末の大掃除のこと考えてて。そういやお前、うちに靴下多くないか? 少し持って帰れって」
「あ、うん。持って帰るけど、話を戻していい?」
「え? 大掃除の話じゃなかったっけ」
「……じゃあ、おじさんの脳味噌に合わせて出来るだけ短く言うね?」
「それは助かる」
「クリスマス」
メスガキはちょっとむくれたように言い放つ。
クリスマス……
えーと、赤と白の髭おじさんが子供のいる家に入ってくるイベントだよな。
「ってことは、いま12月だっけ」
「え……そこまで戻る?」
信じられないような眼で見てくるメスガキの姿に、俺もようやく脳味噌に活を入れる。
「待て待て、ちょっとボンヤリしていただけだ。つまり今は12月で、それにちなんだ話題としてイルミネーションとクリスマスを持ち出してきた、と」
「うん、良く出来ました」
メスガキは俺の頭をナデナデしてくる。
よし、まだまだ俺の頭も捨てたもんじゃない。
「ようやく頭が回り始めたところだし、そろそろ仕事に戻るな。お前も冷える前に中に戻るんだぞ」
なんだか自信がわいてきた。
さあ一気に仕事を片付けるぞ。今年の年末は職場や居酒屋じゃなくて、家で紅白を見るんだ———
「あ、ちょっと待ってよ!」
意気揚々と引き上げようとする俺の上着を掴んでくるメスガキ。
「どした?」
「あの……その、今月ってクリスマスじゃん?」
「そうだな。ひょっとしてなんか欲しいのでもあるのか?」
……こいつが欲しがるのって何だろう。
あんまり高い物だと困るな。キングダムの新刊は予約したし、それでクリスマスプレゼントってことにならないかな……
俺のしみったれた心配を余所に、メスガキはモジモジと爪先で床を小突いている。
「違くて。……その……イブの日、あたし塾で帰りが遅いの」
大変だな。今時の子供はクリスマスも塾なのか。
……俺がガキの頃? クリスマスプレゼント欲しさに8時過ぎたら布団に直行していたぞ。
で、プレゼントのゲームボーイのソフトを夜中にこっそりやろうとして、本体を隠されたことに気付くまでがワンセットだ。
俺がセピア色の追憶に身を委ねている間にも、メスガキはなにやらモジつきを続けている。
「で、でさ。折角だからイブの夜に、イルミネーションとか……公園のツリーとか見に行きたいんだけど……」
「塾で遅いんじゃなかったか。流石に一人じゃ危なくないか」
父親気分という訳でもあるまいが。なんとなく言った一言に、メスガキが突然、目を輝かせる。
「だ、だよね! だから、おじさんに一緒に行って貰えたらなーって!」
「まあ、構わんけど」
「え、ホント?!」
まあ、どうせ予定もないし。
クリスマスの日くらい残業もほどほどで切り上げ、家でチキンで一杯やるのも悪くない。
「だからそんな嘘つかないって。帰り道だし、付き合ってやるよ」
「ホントだよ?! イルミ見て、ツリーの前で仕掛け時計の鐘を聞くの! あのね、それでね、それで———」
興奮気味にまくし立てるメスガキの鼻をつまんで勢いを止める。
「むいー、なによ」
「少し落ち着けって。いいけど俺と一緒でいいのか? 家で父さんや母さん待ってるだろ」
「……おじさんがいいし。つーか、パパもママもイブの夜は毎年仕事で遅いし」
メスガキはそう言うと、長い睫毛に包まれた目を伏せる。
……あ、なんか悪かったな。
俺は頭をかきながら、今度はメスガキの頭にポンと手を置く。
「分かったよ。その日の夜はお前に空けといてやるから」
「……うん」
ま、これも慈善事業みたいなものだ。
そのくらいでこいつの機嫌が良くなるならお安い御用———
「……ねえ、いつもお前お前って言うけど。あたしの名前覚えてる?」
「覚えてるって」
「どうかなー」
メスガキは疑いの目を向けながら、俺の顔を覗き込んでくる。
……なんだこいつ。折角ご機嫌な感じで話が終わりそうだったのに。
俺が呆れてその場を去ろうとすると、両手で俺の腕を掴んでくる。
「覚えてるんなら名前言って」
「え。いや、だから覚えてるって」
「言って」
俺の顔を正面から真顔で見つめて来るメスガキ。
なんとなくばつが悪く、俺は目を逸らす。
「理沙……だろ」
……なんか照れる。
いや、こいつを女として意識してるとかそんな訳では無い。家族でもない女子を名前で呼べば、なんとなく照れるというものだ。
これで気が済んだかと思ったが、今日のメスガキはなんだかしつこい。
「もう一回」
「一回だけだって。どうしたんだよ、今日はなんか変だぞ」
「うー、だってー」
「分かった分かった。今度続きは聞いてやるから」
口をムニムニさせて不本意そうにしているメスガキの頭をわしわし撫でると、俺は扉を軋ませながら大きく開ける。
「寒いし風邪ひくぞ。そろそろ中に入れ」
「えー、寒くなったら温めてもらうからいいもん。また上着借りておじさんの匂いに包まれたげる」
……中に丸聞こえな状態でそんなこと言うな。
もう一度、俺が口を開く直前。
メスガキは跳ねるような足取りで建物の中に入ると、くるりと俺を振り向く。
いつもと違う、はにかむような素直な笑顔を真っすぐに俺に向けて来る。
「イブの夜……楽しみにしてるね」
本日の分からせ:分からせられ……80:20
メスガキちゃん、頑張りました。クリスマスイブにイルミネーション&ツリーとか、これで効き目がなかったら、アラサーさんはもうダメです。死んでます。死んでるので埋めましょう。
そして次回アラサーさん、もう一人の恋と向き合います。
ちなみに私はクリスマス前後は出来るだけ街を出歩かないようにしています。理由はあえて言いません。
なので関係ない話をするんですけどね、沖縄に行ったとき居酒屋で釜飯を頼んだんですよ。
持ってきてくれた女の子が蓋を開けてくれたんですけど、布巾で木の蓋を持って、素手で釜を押さえたんです。
その子は、熱っ! って言った後、……えっ? 何が起こってるの?! みたいに固まったんです。
そのままずっと見てたかったんですけど、『その布巾で釜の本体を押さえるのはどうでしょう』って言いました。私、大人なので。
そしたらその女の子、『あっ!』って言って照れ笑いしながら蓋を開けてくれました。
可愛かったので、お金持ちになったら沖縄で泡盛飲んで暮らそうと思いました。




