45日目 少し大人になった日
「ピーチジンジャーティーのお客様は」
「あ、はい! 私です!」
最初の一杯をカップに注ぐと、店員はティーポットにカバーをかぶせてその場を去る。
私立高千穂女学院。初等部5年生、森立夏。
放課後、初めて友達と来たオープンカフェに思わずワクワクしてしまう。
椅子が高くて足が地面に着かないことなんて、それに比べたら小さなことだ。
紅茶から立ち昇る湯気を香りながら、友人に問いかける。
「ねえ理沙、急に相談なんてどうしたの? お勉強のことなら、私に任せて頂戴」
そう。勉強なら自信がある。
初等部5年A組クラス委員。入学以来、テストも学年一桁から落ちたことは無い。
同じく成績の良い理沙の気持ちを分かってあげられるのは、クラスでも自分くらいだ。
「ありがと、立夏。今日二人に来てもらったのは……その……」
はにかむ様に顔を伏せるのは、友人の加賀美理沙。
昔から目立つほど可愛かったが、最近何故だかやたらと大人っぽくなってきた。
理沙は湯気の立つカフェオレのカップを両手で包みつつ、恥ずかしそうに話し出す。
「あの……立夏にはまだちゃんと言って無かったかもしれないけど……実はね……」
これは———真面目な話だ。
立夏はカップを皿に置くと、背筋を伸ばして言葉を待ち受ける。
「あのね、千代花には昨日見られたんだけどね。あたし、前から気になる人がいて———」
「え」
つまりこれは———恋愛相談。
動きの固まった立夏と裏腹。
身にまとうオーラを沸き立つように燃え上がらせたのは、同じくクラスメートの百合園千代花。
「あらまあ!」
両手を合わせ、頬を上気させて身を乗り出す。
「まあまあまあ! 素敵、ようやく決心がついたのですね!」
「お茶がこぼれるからあんまり寄らないで。決心と言っても、千代花のとあたしのとでは、温度差があると思わない?」
「構いませんよ。男と女、最後に行きつくところは一緒です。なんなら私も混じりましょうか?」
「……ごめん。温度差で天気が変わる前に話を続けてもいい?」
理沙はカフェオレで喉を潤すと、千代花にうかがうような眼を向ける。
「話は戻るけどさ、千代花が昨日会ったあの人……どう思う?」
「例のおじさんですか? 子犬っぽいところとか嫌いじゃないです。私なら大丈夫ですよ」
大丈夫って……なにが?
そうツッコもうとした立夏は咳ばらいをして言葉を飲み込む。
そして代わりにしかめっ面で言葉を選びながら話しだす。
「口を挟んで悪いけど。おじさんって言うのは、この前言ってたプロポーズ未遂の人……?」
その途端、それまで澄まし顔をしていた理沙の表情が一気に緩む。
「えー、あの人はそうじゃないって言うけどー まあ、本人が気付いてないだけで、半分プロポーズみたいなものだけどー」
えへへー、と笑いながらグネグネ揺れる理沙の姿に、立夏はようやく状況を理解し始める。
「つまり……理沙は30才の男性と付き合ってるの……?」
「へ? つ、付き合ってるわけじゃないって。ちょっと、相手してあげてもいいなーって思ってて。だから、その、二人から見てそういうのってどうかなーって」
立夏は思わずテーブルを叩きながら立ち上がる。
カシャンと揺れるカップの音。
「待って! 私のお父さんなんか34よ!? 30才って、下手したら学校の先輩後輩くらいの差なんだけど!」
感情をむき出しにした立夏を、二人の友人は不思議そうに眺めながら揃った仕草でお茶を一口。
「へえ、立夏のお父さん若いんだ」
「ですね。立夏ちゃんのお父様、お母様とは上手くいってるの? 写真ある?」
……二人の反応、思ってたのと違う。
「え? あれ? 私が……私がおかしいの……?」
力無く座る立夏に軽く笑みを向けてから、千代花はカップを抱えて首を傾げる。
「でも理沙ったら、どうした風の吹き回しなんです。この前は、ゆっくり心を通い合わせるって言ってたのに」
「それがね……どうもおじさんに浮気の兆候が見られるの」
「あら……あの方も隅に置けませんわね」
———浮気。
定まったパートナーがいるにも関わらず、他の(主に)異性と関係を結ぶことだ。
理沙と30男は正式に付き合っているわけではないが、プロポーズも秒読み状態とのこと。
にも関わらず、浮気と言うからには———
「浮気ってことは、理沙とその人って関係がそこまで進んでるのっ!?」
再び立ち上がる立夏に、二人は落ち着いた視線を向けて来る。
「だからそんなんじゃないって。立夏、さっきからどうしたの」
「あらあら。立夏ちゃんもそういうのが気になるお年頃なんですね。今度うちに遊びに来ない?」
あれ……やっぱり自分がおかしいの……?
立夏はペタリと椅子に座る。
「ごめんなさい。話を続けて……」
立夏はションボリと紅茶をすする。
「それで、相手の猫ちゃんはどんな方? やはり義務教育中なの?」
「それが……職場の部下で」
千代花の表情が変わる。
「若くて美人でスタイルが良くて……性格もいいの」
「……手ごわい相手ですね」
「やっぱり……? やっぱり勝てないかな?」
千代花はゆっくりと首を横に振る。
「そういう時は、理沙ちゃんが勝ってる部分で勝負するの。若さとか肌の張りとか背徳感とか違法性とか」
「勝ってる部分……?」
理沙は可愛く眉をしかめて視線を宙に泳がせる。
「あの人、煙草も吸うし、美人だけど目の下にいつもクマがあるし……雑誌で読んだ女子力チェックでは負けてないと思うんだけど」
「……その人、お店の方?」
「だから職場の部下だって。いつもコンビニ弁当の話とか、禁煙自慢とかばっかりしてるから、あたしの思い過ごしかもしれないけど———」
物憂げに肘をつく理沙に向かって、千代花は思わず手を伸ばす。
「それはマズいわ」
「え? マズいって何が?」
「理沙ちゃん落ち着いて良く聞いて。男性の理想はいつだって、女性の身体を持った男友達なの」
「……なにそれ」
「男友達みたいに気を遣わず何でも言い合えて、なおかつ身体は女の人なの。剥かなくても食べられる蟹くらい都合がいいわ」
その例えには全然ピンとこなかったが、理沙の顔色が見る間に青くなるのが分かる。
立夏は心配そうに蒼い顔を覗き込む。
「ちょっと理沙、大丈夫?」
「だ、大丈夫……。あの人、やっぱおじさんのこと好きなのかな……? あたしじゃ勝てないかも……」
狼狽える理沙の様子に、立夏は三度立ち上がる。
「理沙らしくない。そんなことより相手の気持ちでしょ! 誰がその男のこと好きとか、関係ないじゃない!」
思わずあげた大声。
理沙と千代花が意外そうな視線を立夏の顔に向ける。
「えーっと……はい、聞き流してください」
……ついつい勢いで言い過ぎた。
立夏は顔を真っ赤にして、椅子に身を縮める。
「……ううん。ありがと立夏。あたし、勇気出た」
「え?」
「年の差とか法律とか相手の立場とか……ネガティブなこと考えてばっかりじゃなくて、自分の気持ちに正直にならないとね」
「……いくつか考えなきゃいけないこと混じってない? 私のせい?」
助けを求めようと千代花を見ると、彼女は潤んだ瞳をハンカチで押さえながら、しきりにうなずいてる。
「立夏ちゃんの後押しの言葉……私も感動しました。理沙ちゃんもこれで踏み出せますね」
「え? 待って待って、私そんなつもりで———」
「大丈夫、私が証人です。さあ理沙ちゃん。立夏にここまで言わせて、勇気を出さない子じゃないですよね?」
理沙は迷いの晴れた明るい表情でこくりと頷く。
入れ替わりに立夏の顔が暗くなる。
「あ、あの理沙……? やっぱりよく考えて……」
「大丈夫、あたしもう迷わないから。ちゃんと自分の気持ちを伝えるよ」
理沙は冷めかけたカフェオレを一気に飲み干す。
「……それはそうと千代花。さっきから爪先で私の足を触るのやめて。ちゃんと靴履いて。出来たら靴下も履いて」
「あら、理沙ちゃんったらイケずですね。立夏もそう思わない?」
……こんな話の中、テーブルの下では何をしていたのか。
呆れ顔の立夏に向かって、さり気なく片目をつぶる千代花。
「私に振るの? あのね千代花、もう少し真面目に———ふあっ!?」
立夏の口から思わず変な声が漏れる。
そう、理沙の足元から追い出された千代花の爪先が、彼女の膝———そして内腿に行先を変えたのだ。
「ちょっ! やめなさいって———」
「あら。やめるってなにを? はっきり言ってくれないと分かりませんわ」
両肘をつき、千代花は意味ありげな笑みを浮かべる。
「なーにを。やめればいいのかな?」
「だから……! ちょっ……千代花……足の指でモゾモゾしない……で」
こんな光景も見慣れているのか、理沙は小さく手を挙げると店員を呼ぶ。
「すいませーん。カフェオレお代わりください」
「へっ?! ちょ、ちょっと人は呼ばないで……っっ!」
森立夏。真面目一筋のクラス委員。
初めての友達との恋バナは———少し彼女を大人にしてくれた。
そんな冬の放課後。
やあ (´・ω・`)
ようこそ、メスガキハウスへ。
始めまして、かな。まずはこの水を飲んで落ち着いてくれ。
……ん? これまでに何度も来たことがあるって?
まずはグラスに映る人影を見てくれないか。ああ、顔を動かしちゃダメだ。
……そう、この店は当局にマークされているんだ。
会員名簿はすでに焼却済だ。HDDも破壊した。
もし聞かれても君はこの店に偶然来たと言い張ってくれ。
なに。僕のことは気にすることは無い。人生は別れと出会いの繰り返しなんだ。
君も聞いたことがあるだろう。
———花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ
……そう、元が漢詩のこの言葉は実は、メスガキの成長———そして官憲との争い———この避けられない無常を詠んだものなんだ。
僕はこのまま姿を消す。
なに、心配には及ばない。いま出した水はただの水じゃあない。
君がその味に再び出会った時、メスガキハウスと君の人生が再び交わる時さ。
……ああ。もう一杯くらい君に出す時間はある。
ニーハイ、タイツ、ルーズソックス、使いかけのソックタッチ、素足にサランラップ……全てに応えて見せる。
じゃあ、注文を聞こうか。




