42日目 僅かに柔らかい
「ねえ、二人とも早くおいでよ!」
「おい、あんまり先行くなって」
構内のイチョウ並木を軽やかに駆けていくメスガキ。その後を追う様に舞い上がる黄色の落ち葉。
その姿に俺は思わず———
「……なんであんなに動けるんだ?」
ぼそりと呟いた。
総武線と西武新宿線を乗り継いで、一時間。
……なんだかすでに疲れている。
今日訪れたのは私立相ノ浦女子大学。西東京に位置する中堅の女子大学だ。
結菜の大学見学に付き合うのはいいのだが、何故メスガキまでいるのだろうか。
「お前があいつを誘ったのか?」
「うん。理沙ちゃん、来たそうだったし」
隣を歩く結菜はパンフレットから顔を上げる。
「いい子じゃん。慎ちゃん、優しくしてあげなきゃだめよ」
「なんだよあんなに疑ってたのに」
「理沙ちゃんと良く話したら、変な関係じゃないって分かったし。あれよね、社長の娘さんの世話役ってことは、爺やみたいなものよね?」
爺や……まあそんな解釈で納得してくれるなら。
結菜の奴、何故かワクワクした顔で拳を握る。
「帰りに片眼鏡と白手袋買わないと! 慎ちゃんのこと、ウォルターって呼んでいい?」
「良くない。そもそもお兄さんと呼べ」
最近、俺の設定が独り歩きしてはいないか。
俺はどこにでもいる平凡なサラリーマンだというのに……
「それにさあ、慎ちゃんも隅に置けないね。彼女と別れたって聞いて心配してたけど、早くも次の人見付けたんだ」
「え? なに言ってんだお前」
結菜は白い歯を見せて、シシシと笑う。
「分かってるって。昨日、洗濯してあげたでしょ? Y シャツに口紅ついてたじゃん」
「なにそれ!?」
頭の中を色々な可能性が駆け巡る。
金曜の夜……確か恋川に肩を貸したけど、その時に付いたのか?
それともグニャグニャの恋川が電柱と間違って俺に抱きついてきた時か———
「いや、それは偶然……その……」
「照れなくたっていいし。理沙ちゃんの口元と比べてサイズも全然違ったし」
「え? あいつにそれ見せたの?」
「うん、慎ちゃんのロリコン疑惑も晴れて、家族一同安心してるよ」
「待ってくれ、まさか親父やおふくろにも見せたのか!?」
「もちろん。昨日の動画に理沙ちゃんのインタビューやワイシャツの映像も加えて、8分の作品に仕上げたんだよ?」
……受験生、勉強しろ。
「後でその動画見せろ。そして永遠に削除しろ」
ミツバチのようにあっちこっち走り回ってたメスガキが駆け戻ってくる。
「立看板が沢山あるね。あれでしょ、学生運動って奴?」
「学園祭が近いからその看板だ。さっきのパンフレットにチラシ入ってたぞ」
チラシの『相ノ浦女子大学学園祭』の文字を眺めていると、記憶の沼から何かがじんわり浮き上がってくる。
確かここ……恋川の母校じゃなかったっけ。
そうだ。思い出した。
そういやあいつ、大学まで出てうちの会社に来たんだよな……?
「結菜、本当にここ受けるのか? 就職先とか調べたか?」
「え? なに突然。もちろんだよ、心配いらないって」
結菜は目を輝かせながらパンフレットを覗き込む。
「部活色々あるんだよね。あ、薙刀部とかカッコイイな」
「やめとけ。彼氏できなくなるぞ」
「……薙刀部に失礼じゃない?」
だって俺が知る限り、サンプル1/1で行き遅れそうな感じに仕上がってるし。
結菜は腕時計を見ると、パンフレットをぱたんと閉じる。
「そろそろ時間だし説明会に行ってくるね。じゃあまた後で」
「え? 俺達はどうすればいいんだ」
「折角だから二人で見学しておいでよ。愛しの妹の母校になるんだよ」
「受かってから言おうな」
まあ、兄と謎の女児同伴で説明会に出席もないだろう。
結菜とメスガキが手を振り合う。
「じゃ、理沙ちゃん。慎ちゃんのことお願いね」
「はーい、お願いされました♡」
……さて、俺の身はメスガキに委ねられたらしい。
俺は手元の案内図に目を落とす。
女子大なんてめったに来る機会は無いし、折角だから見学するか。
気のせいかもしれないが、ちょっといい匂いするし。
「どこか行きたいところはあるか?」
「んとね、デザイン系の実習棟で卒業制作が展示されてるんだって。行ってみようよ」
腕を引っ張るメスガキに促されるまま、キャンパスの奥に向かう。
さっきから、すれ違う女子大生が俺達をチラ見していく。
親子にしては年の差が近い俺達は、周りからは妙に見えるのだろう。
何しろ俺は、まだまだ20代でも通用する青年なのだ。
「確かこの学校、部外者立ち入り禁止だったよな……」
首から下げた入構許可証を見えやすいようにかけ直す。
と、メスガキがニヤニヤしながら俺に入構許可証を見せて来る。
「どうした?」
「田中……理沙だって。ちょっとドキドキしちゃわない?」
「しちゃわない」
そう。大学見学とはいえ、家族以外は同伴できない。
守衛室で入構手続きをした時、メスガキは俺の娘として名簿に記入したのだ。
「あのな、俺達がなんか仕出かしたら結菜の合格がさらに遠のくんだぜ。気を付けてくれよ」
「大丈夫だって。可愛い義妹の為じゃない♡」
……妹? 設定上じゃ、結菜はお前の叔母さんなんだが。
メスガキは俺の腕にしがみ付いてくる。
「おい、あんまりくっ付くなって」
「まさかあたしを、おじさんの妻だって言い張るとは思わなかったなー♡」
……? なに言ってんだこいつ。なんか変な物でも食べたのか。
そうなると、昨日の昼飯も夕飯も俺が作ったから……俺のせい?
「えっと。お前、なに言って」
「照れなくたっていいじゃん。田中理沙、って結構響きがいいしー」
娘の設定だったんだが、なんでこいつそんな勘違いを……?
……いやしかし。
仲睦まじげに腕を組んで歩く俺達の姿は、ここではかなり目立っている。
ここで否定して、変なことを言われても困る。凄く困る。
「とにかくほら。ちゃんと前向いて歩きなさい」
「はーい♡ あ・な・た♡」
「だからあんまり身体をくっつけるなって……」
俺は腕に伝わる僅かに柔らかい感触から意識を逸らそうと、すっかり葉を散らしたイチョウ並木を見上げる。
……まったく、子供のごっこ遊びにも困ったものである。
本日の分からせ:分からせられ……40:60
メスガキちゃん、動画でアラサーさんのご実家にもデビューです。一体どんな場面が選ばれたのか……結菜ちゃんの動画編集のセンスに全てがかかっています。
そして次回アラサーさん、初修羅場?
職場の近くにミッション系の高校があるんですけどね。髪染め禁止らしく、生徒は地味な恰好をしてるんですよ。数年前までは生徒の3分の1が三つ編みだったってくらいの学校で。でも卒業して附属大学に進むと、みんな今風の茶髪になるんです。
なにが言いたいかと言うと、特に何が言いたいわけでもなくて、まだ三つ編みJKも細々と残っていますよという皆様への報告でした。




