30日目 ようこそ新たなる世界へ
日暮れ前にも関わらず、今日はやたらと薄暗い。
空にはやたら厚い雲がたれこめ、今にも雨が降り出しそうだ。
ゆるゆると舌の上で煙を転がしていると、遥か遠くの空が一瞬、白く光ったような気がする。
「ひと雨来るな、これ……」
ドシン、と扉に勢い良く取り付く音。開けてやると、メスガキが転がるように非常階段に飛び出してきた。
「おじさん、いたいた! 今日もお疲れ様!」
「お疲れ。今日は随分勢い良いな」
「だって、帰っちゃうといけないと思って」
時刻はまだ16時前。天地がひっくり返っても帰ったりしないので安心して欲しい。
メスガキは息を整えつつ鏡を取り出し、乱れた髪を整える。
「まだ就業時間だし。なんか俺に用でもあるのか?」
言いながらも先日の電気屋でのプロポーズ騒ぎを思い出す。
誤解は解いたはずだが、こいつのことだから何を言い出してからかいに来るか分からない。
俺は身構えつつ、携帯灰皿をポケットにしまう。
「外回りから直帰とかかもしれないじゃん。今日じゃないと意味無いし」
今日……なんかあったっけ。
11月17日は確か———レンコンの日だな。あとTOKIOのリーダーの誕生日。
「ちょっと準備するから後ろ向いてて」
「準備ってなんだ?」
「だからこっち見ないでって」
メスガキは俺の顔を両手で挟むと、力任せに回そうとする。
やめて。折れる。
仕方なく後ろを向くと、背後でなんだかゴソゴソと作業を始める。
「なあ、俺そろそろ仕事に———」
「もうちょっと大人しく待ってて♡ ね? もう大人だし出来るでしょ」
……出来るけど。割と大人だし。
スマホを見ながら待っていると、しきりに何かを擦るような音が聞こえる。
「お前何してんだ?」
「もうちょいだから。よし、点いた! もう見ていいよ」
……? 一体何だ。
戸惑いながら振り向くと、メスガキが紙皿を差し出しながら立っている。
カラフルな紙皿の上には茶色のカップケーキ。
3本のロウソクがゆらゆらと小さな炎を揺らしている。
「これ、どうしたんだ」
メスガキははにかむように目を伏せながら、ぶっきらぼうな口調でぼそぼそと呟く。
「えーと、その……今日……誕生日でしょ?」
「誕生日……リーダーの?」
「リーダー……? 大野君?」
……流れる沈黙。
それを破ったのはメスガキの驚きの声だ。
「えっ?! 今日っておじさんの誕生日と違うの?! こないだ11月17日だって言ったじゃん!」
「……そういやそうだ。今日、俺誕生日だ」
城島リーダーの誕生日は覚えていたのに、自分の誕生日を忘れていたとは。
俺は紙皿を受け取る。
カップケーキには砂糖で『30』の文字が。
……ってことは昨日、20代最後の日だったのか? 夕飯、普通にコンビニの焼うどんだったぞ。
「驚かさないでよ。間違えたかと思ってちょっと泣きそうになったじゃない」
「悪い。現実から目を逸らそうと、本気で忘れることに成功してた」
ゆらめく火を眺めていると、形容し難い感情が胸の中に湧き上がるのに気付く。
俺はそれを振り払うように、ろうそくの炎を一気に吹き消す。
「おじさん、お誕生日おめでと」
パチパチパチ。
メスガキが手を叩く
「これお前が焼いたのか。良く出来てるじゃん」
「へへ……頑張ったし」
褒め言葉に、照れたように口元をムニムニし始めるメスガキ。
「ホントはさ、プレゼントとか買ってこようと思ってたんだけど。うちの学校、お友達に市販の贈り物をするのが禁止なの」
「禁止?」
「うん。見栄張って高額な贈り物し合ったりするのが問題になって。誕生日とかもメッセージカードや手作りの物にしましょうねって」
ふうん。金持ちでも、俺ら庶民と同じようにお金の悩みからは抜け出せないのか。
「なんか食べるのもったいないな」
「いいから食べなさいよ。美味しいんだから」
確かに食べるために作ってくれたのだ。
俺はケーキを掴むと、遠慮なく齧りつく。
「あ、これ美味いな。中に木の実が入ってるのか」
「胡桃を細かくして入れてみたの。焦げてない?」
「大丈夫。ほら、お前も食うか」
何気なく差し出すと、メスガキはちょっと辺りを見回してから、端っこをちまりと齧る。
「……美味しい」
「随分遠慮するんだな」
「あたし、そんな食いしん坊じゃないし」
メスガキはハンカチを取り出すと、ちょんちょんと口元を拭く。
どうやら今日はお澄ましさんモードということらしい。
「そういやお前って誕生日何時だ?」
俺はもう一口ケーキを齧ると、何気なく尋ねる。
「あたしの?」
「ああ。俺ばっかり貰うのは悪いだろ」
「……先週。もう11才なってるし」
過ぎてた。
もっと前なら、なんてことなかったのだが。先週は微妙に近過ぎる。
「えーと、なんか食いたいものでもあるか?」
「お祝いとかいいし。先週映画連れてってもらったし」
まあ、あの映画は仕事の内———いや、有給使ったからプライベートか。
ポップコーンが誕生日プレゼントだったということで何とかならないか。
なんとなく考え込んでいると、空が更に暗くなっていることに気付く。
ポツリと雨が落ちてきたと思った瞬間。
大粒の雨が一気に降りだした。
踊り場にも雨が降り込み、慌てて壁際に避難する。
「中に入るか」
「もうちょい、こうしてようよ。割と楽しいし」
……それは構わんが。
雨に降られながら、壁際で30男と並んで立って何が楽しいのか。
不思議に思って隣のメスガキを見下ろすと、満面の笑顔が返ってくる。
……一体何がそんなに楽しいのか。
やっぱり乙女心は分からない。
俺はもう一口、ケーキを齧った。
本日の分からせ:分からせられ……40:60
アラサーさん、誕生日おめでとうございます。無事に30の大台に達しました。これから転がるように年を重ねていくのですが、本人はまだ気付いていません。
そして次回アラサーさん、年下乙女に女心を教わります。
メスガキちゃん、今日ばかりはちょっと素直です。いつもこんなんなら、アラサーさんもイチコロだったかもしれません。そうでないかもしれません。
そんなメスガキちゃんを素直にさせたい人も、逆に全てをさらけ出したい人も是非★~★★★★★を投げて頂ければ幸いです。
きっと、メスガキちゃんが『こういうの好きなんだ~♡』とか言いながら、あなたのパソコンの画像フォルダを念入りに調べてくれます。
最近はGoogleDriveになんでも保管できるので、パソコンに見られてはいけないものを保存する必要が無くなりました。
これで不慮の事故で何かあっても大丈夫と思ってましたが、むしろ何かしでかしたら公権力によって全てが暴かれるのでしょうか。……悪いことはしません。




