21日目 警察には言わないから
「これ、美味しいね。カニ……が入っているの?」
「カニカマだよ。カニっぽいカマボコ。王将のチャーハンに入ってるから真似してみたんだ」
「へえ、これが。カニカマって炒めるとこんな感じになるんだ」
今日の昼飯は特製のカニカマチャーハン。
上機嫌で口に運んでいたメスガキは、ふと不思議そうな顔をする。
「そういや、なんでわざわざカマボコをカニっぽくしてるの? カニ食べればいいじゃん」
……そうきたか。俺は卵スープで口内を洗い流すと、決め顔でメスガキに向き直る。
「いいか。カニの身は含まれる水分が多く、家庭用のコンロだとチャーハンが水っぽくなる」
スプーンで具のカニカマを掬う。
「カニカマなら水も出にくく、過熱をしても味が損なわれにくい。あらゆる家庭料理……特にチャーハンには最適なんだ」
「つまり、あえてのカニカマ……ってわけなんだ」
「その通り。あ・え・て、だ。カニ缶が高いからとか、そんな理由ではない」
「へえ、勉強になるね」
メスガキはちょっと寄り目でチャーハンを凝視しつつ、山盛りの一口を頬張った。
……こいつ意外と騙されすぎやしないか。将来が心配だ。
「ご馳走様でした!」
「お粗末様でした」
食べ終えたメスガキは、食器をカチャカチャと重ね出す。
「んじゃ、あたしがお皿洗うね。おじさんはゆっくりしといて」
「夕飯の仕込みするから俺が洗うぞ。お前は先に歯を磨いとけ」
「はーい♡」
俺は伸びをしながら、食器を運ぶメスガキの背中を眺める。
……しかし今日は油断した。
これまでアポなしで朝から襲撃されたことは無かった。
だからついつい昼頃まで家に居たら捕まってしまったのだ。
昼前にぶらりと牛丼でも食べに出て、電気屋でも覗こうと思ってたのに。
「まあ、材料を腐らせずに済んだからいいか」
最近は食材を家に置いているから、自炊もするようになった。
料理なんて18で一人暮らしを始めた時以来だが、意外と覚えているものである。
どうせ今日も夕飯を食べていくのだろうし、鍋でもやるか。
取り寄せた『とり野菜みそ』があるから、あとで春菊と白滝を買いに行くとして、冷蔵庫の白菜は使い切るか———
冷蔵庫の中身を思い返しながら食器を洗っていると、チャイムの音。
……あいつ、またなんか勝手に買ったんじゃなかろうな。
エプロンで手を拭きつつ、扉を開ける。
「はいはーい、お待たせしま———」
俺は思わず言葉を失う。
玄関の外、立っていたのは良く見知った顔———
「……由香里」
「近くまで来たから。ちゃんと生きてるのかなって」
由香里は少しぶっきらぼうにそう言うと、顔を伏せる。
数か月ぶりに会う彼女は少し痩せたか。
こいつは俺の彼女———残念ながら頭に『元』が付く。
……何でいきなり家に来たんだ?
思い返せば、携帯を着信拒否にされていただけで別れを告げられたわけではない。
ひょっとしてまだ、完全には切れてなかった……?
「今日はどうして……」
「……合鍵。返してなかったよね」
「お、おう」
……まあ、そんな美味い話は無いよな。
気まずい沈黙。
由香里は落ち着かなげに顔に掛かる長い髪を払う。
……でも合鍵をわざわざ返しに来たのだ。最後に話くらいはできるかもしれない。
「少し上がってくか?」
「……ん。でも、あんまり時間ないよ」
「長くは引き止めないよ。他にも由香里の荷物あったかもしれないし」
……あれ。
今の俺の部屋、由香里を上げても大丈夫な状態だっけ……?
「慎二、どうしたの?」
「えっと……それがだな」
……いや、全然大丈夫じゃないぞ。
部屋にはメスガキの痕跡だらけ。脱ぎ散らかされたニーソックスも転がっていた気がする。
「悪い、やっぱ駅前の喫茶店にでも———」
「おじさーん、歯磨き粉もう無くなったよー」
ガシュガシュガシュ。
歯を磨きながら洗面所から顔を出したのは例のメスガキ。
口元から歯磨き粉をたらりとこぼしつつ、目をぱちくり。
「……お客さん?」
由香里は俺とメスガキの顔を何度も見比べると、長い長い溜息をつく。
「……そういうことなんだ」
「待って。どういうこと?」
どうもこうも。これ、完全に誤解されてはいないか。
「待て待て。こいつは、その、あれだ。姪っ子で」
「……この年頃の姪っ子なんていないよね」
「うん。いないな」
……俺の個人情報を知り尽くしているだけに、やりにくい。
「つまり親戚の子供ってことにしてるけど、そういうんじゃなくて」
「慎二、おじさんって呼ばれてるんだ」
「あ、はい。でも、おじさんというのは一般的な呼び名で、俺まだおじさんじゃないし———」
ああ、俺は何を言ってるのか。
由香里はゆっくりと首を振りながら、俺の手に鍵を握らせる。
「昔は付き合ってた仲だし。警察には言わないから」
「ありがと。いや、そうじゃなくて」
「いいの。今日はちょっとはっきりさせたくて来ただけだから」
この雰囲気に固まっていたメスガキが、おずおずと声を掛けてくる。
「あの……あたし、帰ろうか?」
「そうか。じゃあ———」
助かった。よし、早く帰ってくれ。
胸を撫で下ろした瞬間、由香里がメスガキににこりと微笑みかける。
「いいのよ。あなた、可愛いわね。慎二のことよろしくお願い」
「あ、はい……。よろしくされました……」
勝手によろしくするな。そしてされるな。
「あの、色々と誤解が無いか? パワポで事情をまとめてくるから、少し猶予を———」
「ううん。私、もう帰るわ」
何かが吹っ切れたのか。由香里は付き合っている時にも見せなかったような、爽やかな笑顔を見せる。
「———それじゃ、お幸せに」
本日の分からせ:分からせられ……50:50
アラサーさん、貸してた合鍵が返ってきてよかったですね。
これで正真正銘のフリーなので、倫理的問題もクリアされました。(されてない)
次回、よろしくされたメスガキちゃんは一回お休み。
初心な後輩、恋川さんの登場です。
そして皆様、傷心のアラサーさんに★マークを投げて頂ければ幸いです。
きっと、家に帰るとテーブルの上にメスガキちゃんの『一日お疲れ様♡』と書かれたメッセージカードが置かれています。窓ガラスに開いた穴には目を瞑ってください。
私は、帰ったら郵便受けに弁護士からの手紙が入っていて以来、大抵のことでは動じなくなりました。あがり症の人にはお勧めです。




