15日目 新人来たる
「おい、田中。ちょっと来い」
集中しているところに投げられた課長の声。
俺は苛立ち紛れにEnterキーを強めに叩く。
「課長、なにかありましたか」
「なにかあったかじゃないだろ。早く来い」
俺が机の前まで行っても、もったいぶってなかなか話し出さない。
イラっとした俺が口を開こうとした瞬間、課長はドヤ顔で書類を机に放る。
「喜べ。うちの課の増員希望が通ったぞ。開発一課の恋川が来ることになった。」
「……マジっすか? うわ、しかも今日からじゃないですか」
倒れて休職中の社員の代わりなど、今まで希望が通ったことは無い。
俺は通知書を信じられずに何度も見返す。
「あれ、あいつ一課ですよね。あっちは大丈夫なんですか」
「さあ。あっちはあっちでどうにかするだろ。恋川はお前に任せたぞ」
「はい? でも恋川は新採一年目ですよ」
話を整理すると、先月倒れたのは隣のチームの主任でリーダーの百々瀬だ。
代わりに恋川を入れるなら、今いる誰かをリーダーに指名して面倒を見させるのが筋である。
「あっちのチームもお前が面倒見ろ。頭数は揃ったから問題ないだろ」
「いや、無茶言わないでくださいよ。二つもラインの管理とか無理ですってば」
「じゃあ恋川の異動を断るか? 大体お前が関係もないのに増員しろとか口うるさく言うから———」
課長の説教が始まった。
俺はメトロノームのように時折「はい」、「その通りです」と相槌を打ちながら時間が過ぎるのを待つ。
「———という訳だ。恋川の指導、頼んだぞ」
「はあ……それで、本人はどこです? 今日から配属ですよね」
「この時間に来いと言ってある。その辺にいるんじゃないのか? あとは適当にやってくれ」
課長はこれで終わりとばかりに、自分のパソコンに目を戻す。
……ホントにこれでいいのか。
まあ、上司が良いって言うんだからこれでいいか。
俺はポケットから煙草を取り出して、非常階段に向かう。
きっと一課での引継ぎに時間がかかっているのだろう。後で様子を見に行くか。
「恋川か……元気にやってんのかな」
恋川亞里亞。今年3月に大学卒業したばかりの新入社員だ。
新卒でうちの会社に来るとか、前世で余程の罪を犯したのだろう。
そして今年の4月から3か月、俺のチームで研修と称した現場投入で一緒に仕事をした仲でもある。
研修終了後、開発一課長のゴリ押しで連れていかれたのだが。もう戻ってくるのか。
初々しくて可愛らしい子だったが、あの時期は全体的に修羅場っていたので記憶が朦朧としている。
未経験だったがやたら勉強熱心で、3か月目には戦力になり始めたくらいだったから優秀なのは間違いない。
『新しいことばかりで勉強が楽しいんです! 田中先輩、これからも色々教えてください!』
———研修最終日、俺にお菓子と共にくれたお礼の言葉を思い出す。
こんな環境でも、目をキラキラさせて前向きな奴だったな……
俺は思い出に浸りながら、非常階段に繋がる重い鉄扉を押し開ける。
扉を開けた途端、嗅ぎ慣れないメンソール系の煙草の香りが鼻をつく。
……先客が居るのか。後ろ姿はスーツ姿の女性。
戻ろうか迷った刹那、女性は俺に向かって軽く会釈をする。
「……チッス」
「お、悪い。他行くわ」
「いいっすよ、隣どうぞ」
そう言われて断るのも感じが悪い。
煙草をくわえながら隣に並ぶ。
……女はまだ若い。
にもかかわらずボサボサの髪、化粧もしているのかしてないのか。
目の下にクマを作り、眠そうな表情のまま鼻からゆるゆると煙を吐き出してる。
……素材は悪くないのにもったいないな。
そんなことを思いながら良く見ると、その横顔には見覚えが———
「……もしかして恋川か?」
女は指先で灰を落とすと、俺に気怠い瞳を向ける。
「あれ、田中主任ですか?」
……間違いない。こいつ、恋川亞里亞だ。
目をキラキラと輝かせていた新卒の22才。
……たった4ケ月合わない内に、何故ここまでやさぐれてしまったのか。
「お久しぶりです。田中主任、こっちのフロアでしたね」
「ああ。しばらくは俺んとこに入ってもらうから、よろしくな」
俺の言葉に驚いたのか、固まる恋川。
くわえたままの煙草から灰がポロリと落ちる。
「……そうなんっすか? てゆーか私、二課に異動なんすか?」
「あれ、お前どこ行くか聞いてなかったの?」
「とにかく7階に行けとだけ。なんか辞令貰いましたけど、そっこーゴミ箱突っ込んだんで読んでないッス」
「お、おう……そうか」
……開発一課で彼女に何があったのか。
あまり深く考えまい。俺は気を取り直して、煙草をもみ消す。
「あとでお前のチームの連中、紹介するから」
「はい! あ、挨拶が遅れてすいません! よろしくお願いします!」
恋川は勢い良く頭を下げる。
と、火の消えた手元の煙草を見る。
「あれ、灰皿忘れてきちゃった」
「それなら俺のに捨てろよ」
携帯灰皿を差し出すと、恋川は照れたように笑いながら俺のすぐ前に立つ。
「すいません、使わせてもらいます」
「おう……」
嗅ぎ慣れない煙草の匂いと、少しばかりの汗の匂い。
俺は何故かドギマギしながら、一歩足を引く。
「お前、少し変わったな。いや、悪い意味じゃなくて———」
「じゃあ、どういう意味ですか?」
「ほら、煙草とか吸うようになったしさ」
「そっすね。でも———」
恋川は一歩前に出る。
煙草吸いにも関わらず、綺麗な白い八重歯がチラリと覗く。
「———煙草だけじゃないっすよ」
恋川は悪戯っぽく笑って見せた。
本日の分からせ:分からせられ……ノーコンテスト
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