2日目 プリティクッキーモンスター
私事にて恐縮だが、俺は昔から煙草はセブンスターと決めている。
数年前から弱めの奴に切り替えてはいるのだが、慣れ親しんだ味からは中々抜け出せない。
ゆるゆると煙を吐き出しながら、見飽きた非常階段からの光景を眺めていると、ギシリと背後の鉄扉が音を立てる。
1本27円……
そんなことを思いながら点けたばかりの煙草を消すと、建付けの悪い扉を開けてやる。
勢いを付け過ぎて、前のめりで転がり込んできたのは例の社長の娘だ。
「今日も来たのか。お前、学校行ってんだろうな」
「そんなこと言っちゃって。扉が開くの待ちきれなかったんじゃないの?」
黄色いランドセルを担ぎ直し、生意気盛りの大きな目で俺を見上げて来る。
……まあ、どこからどう見てもメスガキだ。
最初の頃はこいつをどうやって追い払うか考えていたが、最近はもう諦めた。
適当にあしらっていた方がむしろ被害が少ないと学習したのだ。
今日はどうやって絡んでくるつもりか。
様子を見ていると、なんだか少しソワソワしてやがる。
「どうした?」
「……あのさ、あんた毎日ろくなもん食べてないでしょ?」
「なんだいきなり。独り暮らしも長けりゃ、その辺完璧だって」
なにしろサプリのマルチビタミンとマルチミネラルを毎日飲んでいるのだ。
何が入ってるかは知らないが、マルチって書いてあるから大丈夫だろう。
「そういやそうか。あんたフラれて独り身だもんね~♡」
白い犬歯を見せてご機嫌な表情のメスガキ。
こいつ……ちょっと調子に乗り過ぎだぞ。
一瞬、脇腹でもくすぐってやろうかと考えたが、俺は余裕のある大人だ。こんな煽りには屈しない。
「あのな、俺は独りで問題なく生活できてる。これ一本飲んどきゃ大丈夫系の野菜ジュースも常備してるんだぜ」
「……あれって、そんなエリクサーみたいな物だっけ」
「詳しくは知らんが一日分の野菜って書いてあるだろ」
無意識に手が胸ポケットの煙草に伸びる。
俺はちょっと迷ってから煙草をズボンのポケットの奥深くに押し込んだ。
「それがどうしたんだよ。俺の生活指導でもしてくれるのか?」
「だ、だからさ。ろくなもの食べてないあんたに……その……家で……クッキーを……」
急にしおらしくなったメスガキが、手提げ袋からラッピングされたクッキーを取り出す。
そういやこいつ。たまにクッキーを焼いて来ては、うちの課の連中にふるまってたな。
「へえ、結構綺麗にできてるな」
「た、たまたま暇だったから作っただけだし! キモイ勘違いしないでよ!」
「分かった分かった。これ、紅茶クッキーか?」
「ま、まあね。感謝しなさいよ、おじさんが紅茶が好きだって言うから———」
なんかワチャワチャ言ってるが、紅茶クッキーってこの前作って失敗した奴じゃなかったっけ。
つまりリベンジということか。
「ありがとな、チームの連中喜ぶぞ。高橋なんか前回のを真空パックして机に飾ってるくらいだ」
「……あんたの同僚、キモくない?」
「お前の親父の従業員だぞ」
俺は小袋をつまみ上げる。
ふむ、確かに最初の頃より見た目が綺麗になっている。こう見えて裏では練習しているのだろう。
「それじゃ、あとでお前のファンに配っとくな」
「……え? いや、あの、それ」
何故か挙動不審にアタフタし始める小娘の姿に、俺は首を傾げる。
「どうかしたか。これ人に食わせちゃまずかったか」
「……あんたにあげた物だから好きにすればいいじゃん」
小娘はしゃがみ込むとプイと顔を横に向ける。
……ん? なんだこの反応。
俺は今日こいつが現れてからの会話を思い返す。
そして今の『あんたにあげた物』発言。
あれ……ひょっとしてこれって、俺の為に焼いて来てくれたのか……?
で、俺はそれを周りに配ろうとしていた?
……社会人になってそろそろ10年。小娘相手にやらかすとは。
「あー、でもちょっと小腹空いたな。これ、俺がもらっちゃっていいか?」
「……無理しなくてもいいし。おじさんだし。前髪スカスカだし」
「おじさんじゃないし前髪あるし」
俺はクッキーを一枚口に放り込む。
「あ、これ美味いぞ。うん、まるでプロみたいだ」
「……今更遅いし。おべんちゃらキモいし」
「ホントだって。ほら、紅茶の香りもするし。凄いな、腕上げたんじゃないか?」
「前の味を覚えてるとかキッモ。ちょっと身の危険感じるんですけどー?」
こいつ面倒くさいな、こいつ完全に拗ねている。
……いや、よく見れば口元がちょっとニヤケてるぞ。
「まああれだ。こういうの作れるって女子力高めっていうか、クラスでも他にいないんじゃないか?」
駄目押しだ。たかが10才の小娘、アラサーの褒め殺しに抗しきれるとは思えない。
目論見通り、メスガキは満面の笑みで立ち上がる。
「まあ、とーぜんよね! おじさん感謝してね。こんな可愛い女の子の手作りなんてそうそう食べらんないんだから♡」
メスガキ、完全復活だ。
俺は苦笑いしながら、もう一つ口に放り込む。
「はいはい、感謝感謝。俺、ちょっと飲み物買ってくるから」
「……紅茶ならあるけど」
小娘は細長い水筒を取り出す。
助かった。正直なところ、口の中パッサパサなのである。
「助かる、もらうな」
「あ———」
小娘の手から水筒を取る。これ、直接飲むタイプか。
俺は一気にぬるい紅茶をあおる。
「ごちそうさん。これ、茶葉から入れたやつか」
「ちょっ?! おじさん何で直接飲んでるのよ!」
手に紙コップをもった小娘が顔を赤くして俺に食って掛かる。
「紙コップでくれるつもりだったのか?」
「ひょっとして間接キス狙ってたとか?! キモッ! キモ過ぎるんですけど?!」
「え、おいおい。なんでそんなに怒ってるんだよ。ほら、その紙コップお前が使えばいいじゃん」
俺は紙コップに紅茶を注ぐ。
これで解決かと思いきや、小娘は信じられないとばかりに紙コップを凝視している。
「……自分が口をつけた水筒からお茶を注いで飲ませるとか。あんた変態ね、つくづくド変態ね」
「えー……次はそこなのか。しかもちょっと静かな口調で言うなよ」
そういや小学生の女子って、みんなそんな感じだっけ。
……子供の頃とかほとんど思い出せないけど。
「悪かったって。代わりになんか買ってやるから。それ俺が飲むぞ」
俺が手を伸ばすと、小娘は取られまいとばかりに紙コップを遠ざける。
「……もったいないし。あたし飲むし」
……なんで? もう訳が分からない。
小娘は目を瞑ると紅茶を一気に飲み干す。
「お望み通り、変態おじさんの変態紅茶を飲んでやったわよ。これであんた、あたしに逆らえなくなったわね」
「……なんで?」
「当たり前でしょ。変態おじさんの……その、変態の……そんな紅茶を飲んだんだから、責任とか発生するじゃない!」
いやその理屈はおかしい。それと変態言い過ぎ。
「全然分かんないけど、暇な時には相手くらいしてやるから」
「え、うん! ……じゃない! 相手してあげてるのは、あたしなんですけど」
「あー、はいはい。じゃあ、そろそろ戻るぞ」
「ちょっと、言ったからにはまだあたしに付き合いなさいよ」
「俺、仕事中だし。課長の奴、残業付けさせないくせにうるさいんだって。お前も非常階段は危ないから戻ろうな」
俺は小娘のランドセルを掴むと、建物の中に押し込む。
「ロリコンの癖に、すぐあたしを子供扱いするー!」
「いやお前子供だし」
廊下でワチャワチャしてると、通りかかった社員が俺をチラ見していく。
……この光景、あんまり他人に見られたくないぞ。
「あのな、俺ロリコンじゃないから———」
言いかけて俺は自分のミスに気付いた。
メスガキの奴は面白がるようにニンマリと満面笑うと、俺の腕にしがみ付いてきた。
「あれぇ~? 人目に付かないところで変態の変態汁をあたしに飲ませといて、ロリコンじゃないとか信じられないんですけど~?」
「馬鹿なこと言うなって。あれはただの紅茶だろ」
……こいつ、どうしてくれようか。
ふと見ると、総務のお局様がゴミを見る目で俺を睨んでいる。
いかん、あの人に掛かれば給湯室経由で社内に噂が広がりまくる。
「とっ、とにかく俺は仕事に戻るからな。お前も早く家に帰れよ」
メスガキを振り払うと、足早にその場を去る。
俺を追いかけるように、調子に乗りまくりのメスガキの声が響く。
「サボリーマンさん、じゃあまた明日~♡」
……ホント、勘弁してくれ。
本日の分からせ:分からせられ……70:30
途中までの完勝ムードが、最後の最後で逆襲を食らいました。職場のお局様に嫌われると辛いことになるので皆さんも気をつけましょう。私はもう駄目です。
次回、メスガキさんの攻めをアラサーさんが無慈悲にあしらいます。