9.5日目 恋の呪文はメスガキトキス
衝立で区切られた狭いミーティングデスク。
それを囲む様に俺を含めた三人の男が座っている。
「———でもこの人月ならなんとか年内に行けるだろ。なあ、勅使河原君」
「部長、それはもう任せてください。田中、どうにかできるな」
正面からの視線に加えて、味方のはずの隣からも咎めるような視線が俺に注がれる。
「いや……無理っすよ。いやもうホント」
絞り出すように出た言葉に、これ見よがしの溜息が返ってくる。
……俺が向かい合ってるのは、弊社パワハラ四天王の一人にして最強の男。
弊社の執行役員かつ業務部長である。
部長は不機嫌そうにテーブルをコツコツ叩く。
その様子を見て、我らが勅使河原課長は慌てたように俺の肩を掴む。
「おい、田中。部長がこうおっしゃってるんだぞ!」
「だからそもそもこの工数じゃ無理ですって。納期は年度内ならなんとか。それに合わせた人員を増やしての話です」
俺のぶっきらぼうな態度に、部長の表情が険しくなる。
「だからさあ、無理という言葉は嘘つきの言葉なんだよ! やるかやらないかの話をしてんだよ。なあ、勅使河原君!」
「部長、ごもっともです!」
パチパチパチ。拍手を始める勅使河原課長。
俺は表情を崩さず正面から部長を見つめる。
我ながら強気すぎるこの対応。
……しかし俺の狙いは部長ではない。
もう一度部長が口を開こうとした瞬間に合わせ、俺は勝負の一言を———
「っ?!」
俺は思わず腰を浮かせる。
無理もない。視界の端、チラチラしている小さな影は———例のメスガキだ。
「あいつ、なにやって———」
突然勢い良く立ち上がった俺に、さすがの四天王も言葉に詰まる。
「お、おい、田中!」
……こうなったら作戦を続行だ。
慌てる課長を横目に、俺はそのまま頭を下げる。
「……お二人のおっしゃる通りです。この案件は会社として最優先事項です」
「おお、田中! 分かってくれたか」
ホッとした顔になる課長。
生意気な部下が折れて、話はまとまった……ように見えるこの光景。
俺は二人に見えないようにほくそ笑む。
そう、俺の狙いは最初から四天王最弱にして、俺の直属の上司———勅使河原課長である。
「では、課長の持ち込み案件は断って、こちらに注力しましょう!」
「なっ?! し、しかしもうゴルフに———」
部長が課長を睨みつける。
「……ゴルフ?」
「いっ、いえ、なんでも……。だ、だが田中、あの案件も同時進行で———」
「でもあれ、契約どころか見積もり前ですよ。ふっかけて相手に断らせましょう」
俺は部長の出した提案書を大事そうに受け取る。
「我が社の為にもこの案件、二課全体でサポートすべきかと思います。常日頃、課長からも部長の案件には全力で取り掛かれと教えを受けております」
「ほう、勅使河原君が。なんだ、おべんちゃらばかりじゃなかったんだな」
楽しそうに笑う部長と裏腹、力無く笑う課長。
「……部長、納期の方ですがやはり年度末になるかと」
「年内だ」
俺は懐から手帳を出すと、せわしなくページをめくる。
「では……限界まで詰め込んで……なんとか2月半ばには」
「ま、急な話だし仕方ないか。宜しく頼むよ」
すっかりご機嫌になった部長は俺の肩を叩くと退場。
部屋には顔を青ざめさせた課長と俺が残った。
「それじゃ、早速提案書を精査しますね。工程表の叩き台を明日には」
「お、おい———」
俺は一礼すると課長を残して席を離れる。
……課長のクソ案件を蹴った代わりなら、部長の案件は天国だ。
実を言えば他の案件から使い回せる部分が多いのだが、そこはわざわざ言うまでもない。
これで当分週末は休める———
浮かれ気分で席に戻ろうとした俺は、そこに先約がいることに気付いた。
……さっき俺を覗いていやがった、例のメスガキだ。
隣の席の高橋をお供に、俺の机を漁ってやがる。
「———大丈夫、おじさんはしばらく叱られてるから。どこかにあるはずでしょ、早くなさいな」
「お嬢さん待って下さいよ。うちじゃ、あんまり消しゴムなんて使わないんです。僕のじゃダメですか?」
……消しゴム?
良く分からんが宿題やるのに消しゴムでも借りに来たということか。
声をかけようとした俺は、メスガキの次の言葉に足を止めた。
「———おじさんのじゃないと、あれの効果が無いのよ。帰って来る前に見付けないと」
……俺が帰る前に?
こいつ何をたくらんでやがる。
「あ、ありましたよ! お嬢さん!」
「でかした、高橋君!」
高橋がかざした消しゴムに飛びつくメスガキ。
そんなことより———高橋君、だと。
俺のことは『おじさん』か『あんた』呼びなくせに。
微妙にむかついた俺は提案書を高橋の頭に乗せる。
「高橋、俺の机で何やってんだ」
「っ! 主任! あの、これは———」
「この提案書、PDFに落として俺に送れ」
「はっ、はい!」
走り去る高橋の背中を見送り、メスガキに向き直る。
「さて、どうして消しゴムなんだ? 言ってくれれば貸すのに」
「……消しゴムなんて知らないし」
……流石にそれは無理がある。
消しゴムを後ろに隠して、ツイッと目を逸らすメスガキの姿に、俺もようやく何かに気付く。
「……ひょっとして、消しゴムに何か仕掛けようとしてたのか?」
「なっ?!」
目に見えて慌てるメスガキ。
「なっ、なんの証拠があるのよ! 自意識過剰過ぎよ、キモッ! キーモーッ!」
顔を真っ赤にして反論するメスガキに、俺は思わず頬を緩める。
……やはりか。ガキの頃、俺にも覚えがある。
消しゴムにシャーペンの芯をこっそり刺しておくといういたずらだ。
消すたびに紙が汚れるという悪魔的ないたずらで、クラスでこれが流行った時は男子連中が阿鼻叫喚の争いを繰り広げたものだった。
「まあ、俺にも覚えがあるよ。懐かしいな」
「……え。おじさん、そんなことしてたの?」
「ああ。クラス中の男子が、お互いの消しゴムに仕掛けてたな」
「んんっ?!」
メスガキの奴、なんかやたらと驚いてるぞ。
俺ってそんなに真面目そうに見えるのか?
「えっ? え? その、あの、男子が? お互いに?!」
「ああ。なんか変か?」
しばらく目を丸くして固まっていたメスガキは、恐る恐るといった風に尋ねて来る。
「……ひょっとして……おじさんも?」
「ああ。俺は真面目だったから、他の男子に仕掛けられる方が多かったけど」
「っっ!!」
「仕掛けられたら倍返ししてたぜ」
「っっっっっっ!」
メスガキは、こぼれんばかりに大きな目を丸くした挙句、ついにはがっくりと肩を落とす。
……はて。なんか俺、変なこと言ったか?
「……今日の所はこれくらいにしといてやるわ」
メスガキは俺に消しゴムを返すと、悄然としたまま俺に背を向ける。
「え、おい、大丈夫か? ちょっと顔色が青赤いぞ」
「だーいじょうぶー あたしまけないしー」
メスガキは後ろ向きに手をパタパタ振りながら退場。
一体、さっきまでの元気はどこに行ったのか。
……それはそうと、消しゴムにいたずらか。俺は椅子に勢い良く腰掛ける。
友達と無邪気に騒ぐ、懐かしい記憶が頭を巡る。
……そういや女子は消しゴムで恋のおまじないをしてたよな。
好きな男子の消しゴムに自分の名前を書いて、バレずに100回使われればキスが出来る———
男子達は自分の消しゴムに名前が書かれて無いか、こっそり確かめてたものだった。
俺はなんとなく消しゴムのカバーを外し……綺麗な白色を確認して元に戻した。
本日のわからせ:わからせられ……70:30
アラサーさん、メスガキちゃんにあらぬ疑いをかけられました。
でもメスガキちゃんは一晩寝れば忘れるでしょう。まだ彼女の魂は腐っていません。
そして皆様にお願いです。
この新連載の行く末は皆様のご支援とわからせ力に掛かっています。
メスガキさんを存分にわからせたい方は、バナー下から★~★★★★★にて、わからせポイントを何卒お願いいたします。
わからせられたい人も、メスガキさんに★マークをお捧げ頂ければ幸いです。
きっと、おまじないを見抜いて突き付けたら、『……効いた?』と小悪魔の笑みで首を傾げてくれます。
ちなみに私も随分前から効いているのですが、術者が一向に名乗り出てくれません。