1日目 アラサーさんとメスガキちゃん
ビルの非常階段。
俺はフェンスに肘をかけながら、タバコの煙を溜息混じりに吐き出した。
「畜生……。クソ営業の奴、安請け合いしやがって。なにがデモ版はほとんど出来上がってます、だ」
要件が何も固まってないのにデモ版も何もないだろが。
しかもこれで契約に至って無いとか、相手が競合相手をチラつかせて値引きを迫ってるとかいうクソ案件だ。
溜息をつきながら二本目の煙草に火を点けていると、きしむ音を立てながら背後の鉄扉が開いた。
狙いすましたこのタイミング。腕力不足で身体ごと押す扉の開け方。
見るまでもない。いつものあいつだ。
……ったく、来るならせめて二本目に点ける前にしてくれ。
溜息混じりに携帯灰皿に煙草を放り込む。
カシャ。スマホのシャッター音が非常階段に響く。
「まーた、サボってる。ザコリーマンのおサボリ現場頂きました~♡」
声の主はランドセルを背負った小娘だ。
デコったスマホを小さな顔の前にかざし、ニヤニヤと俺を見てくる。
「大人の仕事にはリフレッシュも必要なんだよ。おこちゃまには分かんないだろうけどな」
「リフレッシュがサボりと煙草とか、メンタル弱弱~」
「言ってろ。ランドセル外れてから生意気言え」
黄色と白の太ストライプのニーハイソックス、やたらと短いスカートに派手なシャツ。
小学生向けのファッション雑誌から飛び出してきたようなメスガキは社長の一人娘だ。
気を遣う———段階はとっくに通り過ぎたが、うっとおしいには変わりない。
「ランドセル外れたらどうするつもり? あたしをそんな目で見てるんだ。きゃー怖ーい、変態だ~♡」
言いながら俺の隣に並んでくる。
実に面倒な話だが。ここ最近、このメスガキにやたら懐かれている。
さて、こいつがいるんじゃ煙草も吸えない。
俺はポケットから棒付アメを取り出す。
「ほら、お前これでも舐めて少し黙ってろ」
「こんなもの舐めさせて、何かやらしーこと考えてるんでしょ」
ニヤニヤとからかってくるメスガキに、キャンディを押し付ける。
「安心しろ。俺はガキには興味がない。理想のタイプは杉本彩だし」
「あたしと比べたらおばさんじゃん」
「お前と比べたら、大抵の女がおばさんだろ」
大体、小5なんて下の毛も生えてないだろ。
……あれ、生えてないよな?
「なんかイヤらしい視線を感じるんですけどー」
「安心しろ、気のせいだ」
俺にそっちの趣味は無い。
……それに疑われて仕事を辞める羽目になっても全然構わないし。
今辞めたら同僚や後輩が潰れるよなー、とか思ってたら周りに先を越されて、後任が入ってきたらきたで、先に辞められて……の繰り返しでこの年になっただけだ。
「おじさん、彼女はいないんでしょ? 寂しいおじさんを、可愛いあたしが構ってあげてるんだから感謝してよね」
「いるぞ」
「え」
口から飛び出たアメが放物線を描いて落ちていく。
「あーあ、なにやってんだよ」
「そんなことより……さっきなんて言ったの?」
「だから俺、彼女いるって」
「えっえっ。だって……あんたいつも終電まで働いてるし、土日も大抵職場じゃん」
「ガキには分かんないと思うけど。社会人ってそんなもんだって。仕事の合間に時間作って会ったりするんだよ」
……俺に彼女がいるってそんなに意外か?
急に顔を青ざめさせたメスガキは、デコった爪をカリカリと掻きだした。
「おい、どうした」
「そ、そーだっ! そんなこと言って、実はエア彼女なんでしょ?」
「馬鹿言ってんなって。ちゃんと彼女との写真もあるぜ」
「……嘘だよね?」
「そんな嘘つくかよ。ほら、こないだデートに行った時の写真だ」
ふっ、大人の力を見せてやる。
俺はスマホの写真を突き付ける。
「ええっ?! 絶対嘘でしょ! こんな可愛い彼女———」
スマホに掴みかかってきたメスガキが、ピタリと動きを止める。
「……着物? 初詣? いま10月よ?」
……そういやそうだっけ。
一日中オフィスにこもっていると、季節感が無くなってくるよな。えーと、確かそれ以降にあいつと会ったのは……
「バレンタインにも一緒に飯を食ったんだぜ」
「だからもう10月なんだけど。もしかしてそれ以降会ってないとか?」
「心配すんな。新年度で忙しいから、落ち着いたら連絡をくれるって———」
……あれ。4月頭にそう言われてから、あいつから連絡無いぞ……?
「そういや……新年度始まってから結構経ってるよな……?」
「あたしもう5年生になってから半年たつわよ」
「!」
俺は慌てて電話を掛ける。
『この番号はお客様のご都合により———』
……着信拒否だ。何て分かりやすい展開だ。
俺は頭を抱えてしゃがみ込む。
「ま、まあ、イザとなったらあたしが構ってあげるから。……嬉しいでしょ?」
「それ、今と変わんねえだろ……」
何で俺、小学生のガキの前でフラれた上に慰められてんだ。
「ま、おじさんみたいの相手にしてくれるのって、あたしくらいかもね~♡」
得意気にありもしない胸を張るメスガキ。
「おっさんじゃねーって。俺まだアラサーだぞ」
「え、アラサーはおじさんでしょ? おじさん前髪、スカスカだし」
「ちがうって。それに前髪はこういう髪形だから」
……ったく、なんで生意気なメスガキとこんな話をしてるのか。
そろそろ仕事に戻るか。
「俺、仕事に戻るから。お前も暗くなる前に帰れよ」
「え~、暗くなったら変態のおじさんに何かされちゃうんだ~♡ きゃっ!」
俺はメスガキの首根っこを掴むと、建物の中に放り込む。
「急に何するのよ!」
「ほら、子供だけで非常階段に出ない。それとみんなの仕事の邪魔すんなよ」
「うー」
さて、今日こそスーパーの開いてる時間に帰ってやる。
仕事の段取りを考えながら歩いていると、背中から身体ごとメスガキがぶつかってくる。
「おい、はしゃぐなって」
「ふーんだ、明日こそ覚えてなさいよ!」
あかんべーをして走り去るメスガキの背中には、黄色いランドセルが揺れている。
……あいつ明日も来るのかよ。
俺は頭を掻きながら、ガムを口に放り込んだ。
本日の分からせ:分からせられ……50:50
アラサーさんがメスガキさんの攻めを大人の余裕で完封するも、それとは無関係にフラれてメスガキさんに癒されるという痛恨のミスです。
次回、アラサーさんの大人の貫禄、見せつけられるか。