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極東の壺  作者: 池田 華子
不遇の北条冬也
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 喫茶店のテーブル席にPCと資料が広げられ、それらを示しながら冬也と山科が絢音に報告している。結構際どい企業秘密と呼ばれる情報も含まれているが、三人は拓海の存在は気にせず声をひそめるでもなく話している。

 狭い店内で話が聞こえないということも無いはずだが、拓海は退室せずカウンターの内側で本を読んでいた。


 短くもない報告が終了し、絢音は拓海にコーヒーを頼んでいる。

「さっき買ってきて貰ったお菓子も一緒にいただきたいわ」

「やっぱり持ち込み食べるんだね。…うちのスイーツも美味しいんだよ?」

「存じております。それは後日のお楽しみにさせていただきますわ」


 冬也は二人の会話を聞きながら、拓海が読んでいた本に目がいった。何の変哲も無いような文庫だが、タイトルに釘付けになった。


「ヒトデはすごい、バッタもすごい」


 思わず声に出してしまった。

「そう!冬也も興味ある!? ヒトデのすごさについて語れる人がいるとは思わなかったよ。棘皮動物ほんとすごいよね!?」

 食い付きが半端ない。「きょくひどうぶつ…?」と、力無い冬也のつぶやきは興奮ぎみに話す拓海には届かなかった。

「ヒトデもウニもナマコもそうなんだけど、 (すごさを語る) 」

 拓海の話は止まらない。


「海の底にくっついているというイメージだけで、そんなに素晴らしいとは存じませんでしたわ。マスターはヒトデに学術的な興味をお持ちでいらしたのね」

 話の内容が頭に入ってこない冬也が返事できずにいると、絢音が感心したように本を確認している。

「学術的な説明は他にもおすすめの本があるけど、この本なら難しくないし無脊椎動物の世界を楽しめると思うよ。まあ、俺も最初はヒトデに目があるか知りたかったのが棘皮動物を調べる入り口だったんだけど」


「ヒトデに、目…? マスター、もしかして、目の開くヒトデをご存知…?」

 驚いた様子の絢音の言葉に、楽しそうに話していた拓海の表情が固まった。二人の盛り上がりに口を挟めずぼんやり聞いていた冬也も、絢音の声に真剣さを感じ、二人を観察するように見やる。

 三人とも何も言わず、やや緊張した空気が漂った。



「あっ、そう言えば、僕ヒトデ拾ったんですよねー」


 空気が壊れた。発言者の山科に三人が胡乱げな表情で視線を向ける。その視線に気づかないのか、あるいは気づいた上で無視しているのか、山科はのんびりした口調を崩さず話を続ける。

「北条部長が所長とのやり取りしている間に、気になってた船を見ようと思ったんですよね。結局近くまで行けなかったんですけど、公園の芝生にヒトデが落ちてたんです」


「待て待て、どこから突っ込めばいいか分からん。どうしても船が見たくて仕事をさぼったってことか?」

 冬也はヒトデのことなど忘れ、怒りをあらわにしている。仕事の後始末を一人でやることになったのも、重い荷物を一人で運んだのも、菓子を買いに遠回りさせられたのも、暑くて汗だくだったのも、山科の船への興味が発端なのか。


「いえ、どうしても見たいというより興味本位です。人気があるって評判だったんで」

 特に悪びれもせず、堂々と自分が正しいかのように山科は言う。


「てめえ、そんな程度で仕事ほったらかしやがって、良い度胸してんじゃねーか」

 山科の態度がさらに冬也を苛立たせ、精神的に追い詰めた。今回の仕事の件だけでなく、自分勝手に傍若無人に振る舞ってきた山科の前科が、冬也の脳内を走馬灯のように駆け巡る。

 確かに山科のSEとしての腕はピカイチだし、外国語も堪能で大変役に立ってきた。だが、コミュニケーション能力の低さと仕事に対する態度の軽さにより引き起こされたトラブルの方が多く、その後始末には大変な労力を伴っている。本来の自分の仕事ではない苦労を、何故、俺が、山科の代わりにやらねばならないのか!


「北条部長、落ち着いてくださらない? 殺気が漂ってましてよ。山科の仕事なんて、いつもそんなものでしょう」

「あんたがそうやって甘やかすから成長しないんだ。とばっちりと尻拭いはもううんざりなんだよ!」

 疲れた冬也は、怒りに任せていつも頭の隅にあった考えを口にした。


「こんな職場もう辞めてやる!」

「あなたが我が社の秘密をどれだけ握っていらっしゃるかご存知? 簡単に辞めていただいては困るわ」

「…だったらもうちょっと考えてくれ。待遇とか取り扱いとか」


 船への興味が冬也の取り扱いの話になってきている。自分の発言が、部長とその上司が退職についての話し合いに発展させていることには興味が無い様子で、山科は拓海に話しかけた。


「マスター、ヒトデって焼いたら食べられるんですか」

「えっ」

 殺伐とした空気は霧散し、あっけにとられた表情で三人は声の主を見て、自分の目を疑った。



 山科は、 スーツの内ポケットから、 ヒトデを、 つまんで、 出した。



 山科はにこやかに笑みを浮かべ、親指と人差し指で五角形の角の一つをつまんで持っている。

 ヒトデの鮮やかなオレンジ色と、山科の笑顔がまぶしい。


 予想できなかった光景に三人とも声が出せずに固まった。いち早く己を取り戻し、発言したのは拓海だった。

「デカラビア…? いや、和彦くん、ヒトデは食べない方が良いと思うよ。食べられるヒトデの種類はわずかで、多分それは違う。食べられる種類も、ウニみたいな中身の卵部分だけを食用とするんだったと思うから、ヒトデをそのまま焼いても食べられないと思うなあ」

 ヒトデに関しては拓海は饒舌だ。

「そうなんですか… 残念です」

 心底残念だ、と全身で語るように山科は言った。



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