始まりの街―エニシド― 4
「フフン♪」
今日のミツキは鼻歌を歌い、いつもよりテンションが高い。いや、高くなったと表現した方が正確か。
ログイン直後のミツキはいつもと変わらない様子だ。広場のベンチに座り今日の予定を考えていた。
日課である、MPポーションを先ず一本作る。フィールドに行くときは一本、街を散策するときは六本のMPポーションを製作するが、予定を決めていないため、MPポーションの製作の手は止まっていた。
広場にはいつも通り多くのプレイヤーがいる。
サービス開始日は全員が同じ初心者用の装備だったが、今の彼らは様々な装備を身に着けていた。
戦闘を重視した機能的な装備、個性的というか奇抜な格好の装備、見た目を重視したオシャレな装備、アニメや漫画のキャラに似せた装備など挙げればキリがない。
今や微妙にダサいデザインの初心者用の装備を着ているプレイヤーはミツキくらいだろう。
ミツキは自分の服を見た後、MPポーションを作り始めた。予定が決まったようだ。
MPポーションが五本完成すると、ベンチから立ち上がり防具屋を目指した。
広場近くに店を構える、防具屋。
品揃えは戦士の鎧から魔法使いのローブ、さらには従魔専用の装備と幅広く揃えられている。しかし、ミツキが望む装備はこの店の趣味とは違っていた。確かに多種多様な防具が置かれている。
だが、どれも普通だった。防具としての性能が特別に良い、見た目が格好良いなど目立つ物が無い。
次に寄ったのは、北門に向かう途中にある店だ。商品をマネキンに着せて、見た目の良さを売りにしている。その内の一体は純白の全身鎧を着け、どこかの聖騎士と思わせる作りだ。
しかし、それは見た目だけで、防具としては初期装備より少し良い程度だった。その全身鎧だけ、特別、ではなくこの店の商品はどれも見た目以外の部分は残念な物ばかりである。
ミツキにとって防具の性能はいまいちでも構わないと思っていた。エニシド周辺の敵からダメージを受ける前に倒すことは簡単だからだ。
しかし、この店の商品は格好が良い物ばかりで、ミツキが欲しい、可愛い服は無かった。
広場にいたプレイヤー達は多種多様な防具を着けていた、だから、自分の気に入る装備もすぐに見つかると思っていた。
ところが、彼らのほとんどは生産プレイヤーが作った物で、NPCの店で買った者は僅かだった。
そうとは知らないミツキはエルサに教えもらった店へと足を向ける。
大通りから細い道に入り、迷路のような要り組んだ道を進む。エルサから聞いて地図を手に入れていなければ辿り着けなかっただろう。
WSOのマップ機能は地図を読み込んでさえいれば非常に便利だった。エルサから貰った地図がこの街を詳細に書いてあったというおかげもあって、ミツキでも迷わずに着いた。
「ここ、だよね?」
そこは、民家に『ターシャのアトリエ』と看板が置かれているだけだった。周りも住宅ばかりで店らしい建物は無い。ミツキは緊張した面持ちで扉を開ける。
カラン!
「いらっしゃい」
扉に付いた鈴が鳴ると、奥から声が発せられた。暫くすると、恰幅の良い中年の女性が出てきた。
「おや、異世界からの迷い人かい、珍しいお客じゃないか」
女性が言う、異世界からの迷い人はプレイヤーを指す。そして、プレイヤーをそう呼ぶNPCは決まって、プレイヤーに協力的ではない。ミツキもその事は知っていた。
「エルサさんに紹介されて来ました。もしかして迷惑でしたか?」
「あの方の紹介かい?なら、好きに見ていくといいよ。
ただ、この店は住民向けに作られているから、あんたが気に入りそうな物はないと思うけどね」
あまり好意的に見られていないが、許可を得た事で、店の商品が試着可能となった。
商品全体を眺める。
ここは、女性服しか扱ってないが、種類の多さは圧巻だった。普段から着れるラフな物から、パーティーに着ていくドレスまで、色々あった。そのどれも品質が良く、寄ってきた防具屋より2割程安い値段となっていた。
ミツキは現実で買い物をするように、可愛い服を見つけると、鏡の前で服を自分に当て、全身のコーディネートが決まると試着する、そんなことを繰り返している。
そして、決まった装備がこれだ。
『白のニットセーター』
〈レア:N〉〈品質:D〉〈耐久:100〉
『ワインレッドのケープ』
〈レア:N〉〈品質:D〉〈耐久:100〉
『ワインレッドのフレアスカート』
〈レア:N〉〈品質:D〉〈耐久:100〉
『茶色のショートブーツ』
〈レア:N〉〈品質:D〉〈耐久:100〉
長袖のニットセーターはシンプルなデザインで、清楚なイメージを作り、足首まであるロングスカートはドレープを用いた美しいシルエットにより、エレガントな雰囲気を醸し出している。
そして、スカートと同じ色のケープを羽織ることで、エレガントかつフェミニンなコーディネートに仕上げたつもりだ。
靴はパンプスが良かったが、戦闘時や森に入ることを考慮し、動き易く、全体のバランスを崩さないショートブーツを選んだ。
「おばさん、これください」
選んだ服をカウンターに持っていくと、おばさんは一つずつ確認し、料金を計算する。
「あいよ、全部で46000Nになるよ」
「ここで着替えてもいいですか?」
「なら奥の部屋を使いな」
「ありがとうございます」
ミツキは支払いを済ませ、奥で買ったばかりの服に着替えた。表に戻ると、少し嬉しそうにおばさんは言う。
「なかなか似合ってるじゃないか」
照れながらお礼を言い、店を後にした。
こうして、鼻歌を歌うほどご機嫌になった。
「すいません、エルサさん居ますか?」
装備を新調したミツキは店を教えてくれたエルサに感謝するため、教会に来ていた。
プレイヤーがリスポーンして、教会から出ていく光景はよく見かけるが、プレイヤーが教会に入っていくのは非常に珍しい。なにせ、ここの責任者は特定のプレイヤー以外、まともに会話をしてくれないからだ。
声をかけたシスターは先日の人で無かったが、丁寧に対応をしてくれ、エルサの元へと案内してくれた。前回倒れた時の部屋ではなく、エルサの個人的な部屋だ。
まず、目に入るのは多量の本。仕事の資料ではなく、私物と思われる物が大半だ。散らかっているのではなく、図書館のように棚に整然と並べられているが、部屋の半分以上は本で埋め尽くされていた。
空いたスペースに読書のための落ち着くシックなデザインのテーブルとソファー。
エルサ自身の快適な生活を重視した、客人を想定していない部屋だった。
「あらあら、なんて可愛いのかしら」
部屋へと通されたミツキを見てエルサは言った。
ミツキはスカートを持ち上げ、膝を曲げる。所謂、カーテンシーをして、ミツキなりの優雅な物言いをする。
「エルサさんが紹介してくださったお店で購入したのですわ」
「まるでおとぎ話に出てくる少女のようだわ」
とても嬉しそうなエルサはミツキの手を取り、ソファーまでエスコートする。そこでは、さっき案内してくれたシスターが、お茶とケーキの準備している。
「今日はお店を紹介してくれたお礼を来ました。これをどうぞ」
ミツキはインベントリから教会に来る前に買った、お菓子が入った袋を取り出し、それをエルサに渡す。
「あら、ありがとう。後で大切に頂くわ」
「好みがわからなかったから、仕事の合間に食べ易いお菓子を選んでみたの」
「ふふふ、ちなみにミツキちゃんは私がどんな仕事していると思ってるのかしら?」
「教会の掃除とか、神様へのお祈り?」
ミツキは現実で教会に行った経験はなく、ましてや、神父やシスターの仕事内容を知らない。無難に当たり障りないことを言ったつもりだったが、エルサはくすくすと笑う。
「掃除は下の者がするわ。大昔は神に祈ってたらしいけど、今は誰もそんなことしないわ。私の仕事はたった一つよ」
エルサは人差し指をミツキの顔の前でピンと立て堂々とした面持ちで言う。
「この街に張られている結界の維持、それだけよ」
「もしかして私、エルサさんの仕事の邪魔ばかりしてる?」
口に手を当て上品に笑う、エルサ。
「ミツキちゃんなんか勘違いしてない?」
「えっ?結界を維持するために、二十四時間体制で異常がないか調べて、問題が見つかれば、すぐに対応出来るように色々と準備をして…あっ、それに街周辺のモンスターが活発になってないか調べたり………え?」
笑いを堪え、聞いていたエルサだが、ここまでが限界だったようだ。いつも上品に笑う彼女が、今はカラカラとお腹を抑えながら笑っている。
暫くして、エルサはふぅ、と息を整え、話し出す。
「こんなに笑ったのは久し振りだわ。
私はそこまで仕事熱心ではないわよ?毎日、結界の維持に必要なマナを供給してるだけで、五分もあれば終わる仕事よ。
だから、いつ来ても歓迎するわ」
盛大に勘違いをしていたミツキは顔を赤らめている。誤魔化すようにケーキを一口食べると、精神異常耐性上昇のバフが付き、落ち着きを取り戻す。
(うぅ、なんかエルサさんの手の平で転がされてる気分だよ。このケーキもそれをわかっていたような効果だし……あれ?)
頭に一つの疑問が湧く。
「この街って壁に囲まれてるよね?」
壁があれば結界は必要ないのでは?逆に結界があるのに、わざわざ壁を作るのか?どちらか一方が先にあれば片方は不要だ。
しかし、ミツキはこの街の壁はNPC達が整備している姿を見たことがある。エルサは今も結界を維持していて、NPC達はどちらも必要としているようだ。
その答えは簡単だった。
「そうね。結界は魔物からは守ってくれるわ。でも、犯罪者や危険な物は普通に通れるの。
それを防ぐための壁よ。」
この街の壁は魔物に対して、どれだけ効果があるかわからないが、人の出入りを門に限定させる機能は十分にあった。門には衛兵が在中して、通る人やその荷物を確かめる。
当然、犯罪者や危険品目に指定されている物は弾かれ、街に入ることは出来ない。これらを結界で防ぐことは不可能だ。
ミツキはなるほどと納得すると伴に無知な自分に気付かされた。このゲームの設定、いや、この世界のことを全く知らないと。
それなら、公式HPや攻略wikiで調べればわかるだろと思うかもしれないが、どちらも大した情報は載っていない。
公式HPは意図的に情報を出していないと噂される程、まともな情報が載っていない。
攻略wikiはスキル関連が最も多く、次点で種族などの情報だ。このゲームの世界観については予想の域を出ず、明確にわかっている正しいは情報が記載されていない。
まるで、この世界のことはこっちで調べろと物語っているように。
「ところで、ここにある本はエルサさんが集めたの?」
「ええ、旅商人が時折持って来るのを買っていたらこんなにも集まったわ。長生きをするものね」
冗談っぽく言っているが、本屋や図書館の類いの施設が無いこの街でここまでの本を集めるのは大変だっただろう。
「ミツキちゃんも本は好きかしら?」
コクりと頷く、ミツキ。
最近はWSOばかりで、読書時間は減ったが、以前は暇な時は本を読んでいた。
「なら、ここで気になった本があれば好きなだけ読んでいっていいわよ」
「いいの??」
「私の身近に本好きな人が居なくて寂しかったの。互いに読んだ本についてお話するのに憧れてたのよ。ダメかしら?」
ミツキの手を握り訴えかける、エルサ。
「私で良ければ」
ミツキは本棚に向かい本を手に取り表紙を見る……文字が読めなかった。アルファベットでも日本語でもない、記号のような文字が並ぶだけで意味が理解できない。
「文字がわからない…」
呟いたミツキに、エルサが反応する。
「あら、そうなの?先ずは文字の勉強からかしら」
エルサは何か思い付いたのか、肩を落とすミツキにソファーで待つように言う。一冊の本を選び、ミツキの隣で本を広げる。
「私が読んで上げるわ」
「これは?」
「この本はね、貴族達が自分の子どもに文字を教えるため、詩人のお話を纏めた物よ」
「エルサさんが教えてくれるの?」
「私じゃ嫌かしら?」
「ううん、すっごく嬉しい。ありがとう」
ミツキは満面の笑みを浮かべ、エルサに抱きついた。