苦手なハーモニー
前を向けないときには後ろを振り返りがちです。
高校のときは色々あったと様々なことが思い出されます。
合唱やカラオケでハモるのが苦手だ。
ハモる機会は結構あったはずだが、どうもいい思い出がない。練習不足か、はたまた自信の欠如か、他のパートにつられてしまい、音程がおかしくなってしまう。
もちろん、すべての合唱が壊滅的にだめだったわけではない、と思う(記憶の美化でなければ、だが)。中学校のときには「木琴」という曲で学内選考を経て町内コンクールまで進めたので、少なくとも「大声で音程を外して足を引っ張る」事態は避けられていたはずだ(「音量担当」だったので、少なくとも声は出ていたはず)。中学校の頃、合唱コンクールの課題曲では「大地讃頌」が定番だったところ、なぜかうちのクラスは別だったので、今でも印象に残っている。
この曲は、当時国語の教科書にも載っていた金井直の反戦詩に、短調の曲をつけたものだ。国語と音楽の両方で歌詞を何度も読んだだけに、今でも(かなり危ういものの、なんとか)一応諳んじ得ることができそうだ。さすがに今、男声パートを歌える自信はまったくないが。
してみると、苦手意識が生じたのは高校の「芸術・歌唱」の講義が原因でありそうだ。
高校の芸術は「芸術」の単位を埋める以上の位置づけではなかったので、歌唱だけが選択肢だったわけではなく、希望していたわけでもなかった。しかし、面白そうだと思って希望していた「工芸」が「今年は学年に2人しか希望者がいないから開講しない」と言われてやむなく移る羽目になったのだ。その時点では、「多分男声合唱だろうから何とかなるだろう」と根拠なき楽観のうちにあったことを覚えている。
ふたを開けてみると、歌唱の科目はかなり特異なものだった。普通科とはいえ、元々フリーダムな気風のある高校だったので、各教員にも講義運営の自由度、裁量の余地が与えられている感じではあった。ただその中でも、歌唱は突出していたように思う。なにせ、男子校でありながら「男声合唱」を行う機会自体皆無だったのだ。
よほど印象が鮮烈だったのだろう、今でも各学期の成績評価項目(課題)を覚えているので書き出してみる。
1学期:以下の2つのうちから1つを選択
・フィガロの結婚、アリア「もう飛ぶまいぞこの蝶々」独唱(中間部一部省略)
・ラ・ボエーム、アリア「古外套の歌」独唱
自分は前者を選択した。もちろんイタリア語など分かるはずもないので、はじめの作業は「テープを聴いて楽譜にルビを振ること」だった。まんまカタカナ発音で、意味も何もあったものではない。
2学期:フィガロの結婚、3幕冒頭のアリアを「音大生との混声デュエット」で
3学期:以下の2つのうちから1つを選択
・何か楽器を演奏しながら歌う
・何か踊りながら歌う
自分は前者を選択し、ピアノを弾きながら英語で「エーデルワイス」を歌った。楽器の適性がないのに、小中学校を通じて習わされていたのはいささかしんどいものだったが、このときばかりは役に立った。
講義も、音楽の担当教員が思春期の学生を意識(あるいは悪のり)したのか、
・ラ・ボエームをビデオで観て、教員が下ネタの暗喩を解説する
・伊丹十三作品を観て、下ネタを解説する
というのがあったことは覚えている。振り返っても「なんだこれは」という内容だったことは確かだ。
話がそれた。問題は2学期である。
期末試験の際には上野の音大から声楽科の女子大生が2名だったか来て、いきなり本番だった。教員がどういったコネを使ったのかは定かではない。
来訪は試験時限定だったので、練習で音をあわせる機会はなく(そもそも練習を講義時間でどこまでやったのか覚えていない)、練習するとしたら自宅でテープと合わせるしかなかった。当時は一般的な科目の成績がまるでだめで、「せめてここで点数を稼ごう」と思っていただけに、ある種必死に自宅で練習した。今にして思えば、その労力を主要科目の学習に費やすべきだったのだろうが。
しかし、相手は(その時点ではもちろんまだ「学生」ではあったのだが)プロで、こちらは専門的なトレーニングを受けたこともない素人である。しかも、こちらは非モテの男子高生、女子大生と接する機会など絶無である。1対1、並んでだったか向かい合わせだったかすら覚えていない(それだけアガっていたことだけは覚えている)が、冷静に歌える状況にはそもそもなかった。歌う前の自己紹介の際に声が裏返り、教員にからかわれたことも思い出される。
このアリアは(それ自体、今なお自分の理解の外にある)「恋の駆け引き」を題材としている。前半は男女の掛け合い主体となっていたので、そこは何とか乗り切れた。しかし最後は、男女で2音ずれて並行にハーモニーを構成しなければならない。ここでついに女声につられてしまい、「斉唱でもなければ2音ハーモニーでもない」不協和音を発生させ、赤面のうちに次の学生と交代した。
芸術の成績が3学期中最悪だったのは言うまでもない。
その後、学校でハモる機会はなかったが、サークルで出かけたカラオケでハモる機会はあった。しかしこれになると、そもそも元の曲の認識があやふやな自分には、メロディーラインが精一杯で、ハモりは成立しえなかった。別のところで、クリスマスの企画としてヘンデル「メサイヤ」を合唱するというのもあるにはあったが、こちらは練習不足で本来自分の歌うべきパート自体ができなかった。つらつらと思い出すのは、このあたりのことである。
転職後はカラオケに行くことも数えるほどで、今後ハモることがあるか自体怪しいものだ。それでも、ただ一つ、高校の校歌だけは、今なお上のパートも下のパートも暗譜で自信を持って歌えるし、ハモれると思う。一方、小中学校は(転校もあったとはいえ)メロディーラインがぎりぎり歌える程度、大学になるとそれすら危うくなってしまう。それを考えると、校歌のような直接的に必須のものではないものにまで打ち込んだ高校時代は、当時も色々あった(一方で色恋はなかった)にせよ、人生において最も充実し、かつ幸福だった時期なのだろう、と今では思っている。
カラオケに行っても必ずしも歌わなかったりするのですが、それはまた別の話に。