狐憑き:序
「予想外の事態と相成ったが、起きてしまった事を悔やんでも致し方ない」
薄暗い御堂の中。ここからでは影にしか見えない村長が、淡々とした言葉を響かせる。
辺りには、同じく影にしか見えない村の大人達が、身動ぎもせず俺達を取り囲むように座っている。
一様に押し黙り、まるでこの場所に安置された仏像のように一切の生気を感じない。
何も喋らず、動かず、ただこちらをじっと見ている事だけは感じ取れる。
全身に無数に刺さる無機質な視線が、酷く不快で気持ちが悪い。
「不慮の事故とは言え、曲がりなりにも巫女の役目を継承したのだ。通例に従い、今後、お前には悪鬼羅刹を祓う先駆けとして働いてもらう」
村長の言葉は、僕の隣にいる少女に向けられた物だ。
彼女は村長の言葉を聞いても、ただ無表情のまま目を伏せているだけ。昏く沈んだその瞳には、何を考えているのかまるで映し出されていない。
「……良いな?」
「……はい」
村長の確認の言葉――実際には拒否権の無い、形だけの意思確認だが――それに対して少女は、すべてを諦めてしまった、といった風にぼそりと返事を返した。
「これよりお前は人ではない。人に害する者どもを討ち祓う為の道具そのものである。以後はそれをしっかりと認識して、それ相応の振る舞いをするように……」
事情をまったく知らぬ他所者がこの場面を見たなら、あの老人は何を気が狂ったような世迷言をほざいているのかと思うだろう。
なにせ、その言葉を向けられているのは、歳もようやく二桁を数えたばかりの年端もいかない少女なのだから。
そのような少女に対して魑魅魍魎を祓う先駆けだの道具そのものだの、頭がおかしいと考えても仕方のない事だろう。
しかし、この場に居る他の大人達は口を挟むどころか疑念を抱く様子さえ見せない。
彼らにとってはそれが当たり前の事だからだ。
生贄同然の役回りを古くから受け継ぎ続けてきたこの村の人間にとっては、それがたとえ幼い少女であったとしても、役目を継いだのならば全うするのが当然という訳だ。
……反吐が出る。
「以降は村の人間に帯同し、彼らの盾となり、矛となり働くように。それのみがお前の存在する理由だという事を努々忘れるな」
当然の事を語り聞かせているつもりなのかもしれないが、高圧的な喋り方が酷く癇に障る。
何が存在する理由だ。
お役目だか何だか知らないが、そんな物はお前が決める事じゃないだろう。
「…………」
隣にいる少女は何も言わず、ただ俯き続けている。
理不尽な命令を、ただ黙って受け入れようとする彼女の姿に、苛立ちにも似た怒りを覚えた。
彼女だけじゃない。周りを取り囲んでいる大人達にも、高圧的な言葉を向けてくる村長にも……。
そして何より、この状況で何も言えない自分自身に。
この状況を招いたのは、間違いなく僕のせいだというのに。
「しかと心得ておくように。……分かったな?」
繰り返される幾度目かの意思確認。
有無を言わせぬような圧力を掛けておきながら、あくまで本人の意思で同意したという形を取る。そんな欺瞞が透けて見えるようだ。
しかし、少女はそれを非難するでもなく、ただただ俯いているだけだ。
この状況を、僕はただ見ているだけなのか?
それで本当に良いのか?
僕のせいで彼女が失われるのを、黙って見過ごすのか?
――ふざけんな。
お前らの勝手な都合で、彼女を――
「……分かったな?」
少女の沈黙を反抗と取ったのか、村長がなおも威圧的な口調で念を押す。
返事を求められている。そうと分かった彼女は、ただただ従順に恭順の言葉を返そうとする。
――失って堪るものか。
「……は――」
「分からない」
少女が返答しようとするのを遮って、僕は口を開いた。
もしかしたら、これは単なる自己満足なのかもしれない。
僕と彼女、双方にとって災いとなる事かもしれない。
でも、僕はこの行動を選択した事に胸を張ろうと、意地を張り続けようと決めた。
彼女の手を離さない為に――
この日を一生、後悔しないように――
凪いだ湖面のように静かな堂内に、一石を投じたかのようにさざめきが広がる。
感情を見せずに、ただ傍観していた大人達が動揺しだしているという、その事実だけで幾分か気が晴れたような気がした。
「……お前は関係ない。単にあの場に居合わせだけの童が。お前に問うべき事柄は何も無いのだ。大人しく口を噤んでおれ」
村長の言葉にも、先程までとは違い、僅かな苛立ちが見て取れた。
僕の一言が村長の鉄面皮を崩したのだと思うと、もっと言ってやりたくなる。
「全然、まったく、これっぽっちも分からない。村の戒律だか何だか知らないけど、女の子一人に何もかも背負わせて踏ん反り返ってる大人のやり方なんて分かりたくもない」
あからさまな非難の言葉に、周囲のざわめきが大きくなった。
周囲から粘つく様な威圧感と針のような視線が刺さるのを感じるが、構うものか。
とにかく、ここは一歩も引き下がる訳にはいかない。
引けばずるずると取り返しのつかない状況に流される事になる。
そして、僕はそれを一生後悔する。
それはただの直感だったが、絶対に間違ってはいないという確信があった。
「……貴様のような餓鬼に何が分かる。このお役目を否定すれば、多くの無辜の民を犠牲にする事になるのだぞ」
「だから、彼女を犠牲にするのか? 彼女の人生を踏み台にして、それで皆で幸せだと笑うのか? それがアンタ達の正義なのか?」
勢いに任せた言葉が口を衝く。
大人達を納得させるような論も理も無い。ただ、感情に任せただけの稚拙な反抗。
もう少し僕が大人だったら、あるいはもっと気の利いた言い回しでやり返せるのかもしれない。
でも、それでいいと思った。言葉を選ぶ必要なんてない。
今はただ、胸の内にある想いをすべてぶつければ良い。
稚拙な言葉でも陳腐な言い回しでもいい。
ただ、己の思うままをぶつければそれでいいと思えた。
「僕は違う。僕は嫌だ! 彼女に全部背負わせて、その上でのうのうと暮らすのなんて真っ平だ! そんな正義、僕は認めない!」
叩きつけるように叫ぶ。
小さな身体からありったけの声を振るわせて。
ざわめき始めて居た周囲の大人達が、気圧されたように再び押し黙った。
またもや凪いだ御堂の中を、再び淡々とした――しかし、たしかに静かな怒りを込めた村長の言葉が響く。
「分別の分からぬ餓鬼風情が……。我らは遥か昔からそうして人々を守ってきたのだ。貴様の言い草は多くの民を危険に晒すのみに非ず、そうやって人々を守ってきた先達の想いすら踏み躙る物言いなのだぞ!」
次第に語気が荒くなる村長の言葉。
もはや押さえ込んでおけぬ程に、頭に血が昇っているらしい。
対して、僕は自分でも驚くほどに冷静だった。
「……いいさ。どうしても、誰かが犠牲にならないといけないと言うのなら――」
既に覚悟は決まっている。
後は、それを言葉に出すだけ。
古いしがらみに憑りつかれた、頭の固い、踏ん反り返って威張り散らしてる大人共に叩きつけてやるだけだ。
「僕がなってやる。彼女の代わりに、僕が怪物退治でも何でもしてやる!」
――今にして思えば、これはまさに一世一代の啖呵だった。
それと同時に、俺の後の人生を決定付けた瞬間でもあった。
子供ながらに精一杯背伸びをして、随分と思い切った事を言って除けたものだと、我ながら少し呆れる思いもある。
しかし、後悔は無い。
むしろ、あの時、ああ言えた自分を誇りに思う。
きっと、この先も困難ばかりが待ち構えているだろうと思うけれど、たとえどんな終わり方になったとしても、あの日の自分を悔いる事は無い。
それだけは自信を持って、そう言い切れるのだ。