エピローグ
僕はポケットから一枚の手紙を取り出した。
アキからの手紙。
全てはここから始まったんだ。
「カオル、この手紙」
「ああ、お前がアキから貰ったやつか」
「後で返してくれるよね」
「ああ、必ず返す」
すると、夕紀ちゃんは興味津々といった様子で、その手紙を見て。
「アキ君からの手紙?何が書いてあるの」
手紙を奪い取ろうとする夕紀ちゃんの手を、回避して手紙を上に掲げるカオル。
長身の背と長い手の先にあっては、夕紀ちゃんも届かず、ぶーっとふてくされた顔になる。
「何よー、いいじゃないちょっとぐらい見ても」
「アホ!大事な証拠物件じゃ!」
「何よ、ケチ!」
「誰がケチや!このまえアイスティおごったったやないか!」
そんな二人のやりとりを見ながら、僕は手紙に書かれたアキのメッセージを思い出す。
『しばらくぶりだね。本当にしばらく過ぎて、俺も何から書いていいか迷っている。
ああ、そうだ。まずは千秋楽お疲れ様。
高校時代よりもさらに演技に磨きがかかったみたいだね。
やはり君は、役者になるべく生まれたのだろう。
舞台の上に立つ君を見ていたときから、それはよく分かっていた。
高校の頃から、君は際だって輝いていたから。
それなのに、俺はあやうくそんな君の才能を潰す所だった。
ずっと後悔していた。
君があの世界でしか生きられない、と分かっていながら、俺は君が役者になることを止めようとしていたことを。
そして君にあんなことをしてしまったこと。
許してくれとは言えない。
だけど、信じて欲しい。
本当に君のことが好きだった。
大好きだった。
誰にも渡したくないぐらい、君が好きだった。
なかなか君のこと、忘れられなかったけれども。
だけど、今は君のことを兄弟として、親友として見ることができると思う。
恋人というわけじゃないけれども、愛しいと思える子がいるから。
その子は俺の生徒で、最初、全ての物を拒絶して心を閉ざしてしまっていた。
両親を亡くしたのが原因でね。
唯一才能があった演劇も部活では認められなくて、教員も彼のことを蔑んでいた。
最初はどことなくお前に似ていた、彼が気になっていたのだけど。
だけど、接していく内にだんだん彼自身を愛しく思う自分に気づいた。
彼も俺に心を開いてくれて、役者になりたいという想いを俺に打ち明けてくれた。
今、俺はその子のために精一杯のことをしてやりたいと思っている。
ハル、俺は兄弟として、親友としてもう一度君とやり直したい。
今度、会えないだろうか?
千秋楽も終わって、少しは時間もあるかなって思ったのだけど……ううん、かっこつけて書いても気持ちが半分しか伝わらないな、これじゃ。
君に会いたい。本当に会いたいんだ。
色々話したいことがあるし。
薫や夕紀のこと……それに布結花のことも。
下に携帯番号とメールアドレス書いておくから。
連絡待っているよ。
村瀬暢秋
川村の家の裏山を降りた後、僕らは学校に寄って曽根ちゃんや、あと協力してくれた生徒たちに挨拶へ行った。
ただ生徒の一人、伊勢卓磨君には会えなかったんだけどね。
学校の校門を出たところで僕はカオルと夕紀ちゃんに言った。
「それじゃあ、僕戻るから。今日中に戻るように、今さんに言われていてね……二人はこれからデートとか?」
「そのとーり!」
にっと笑ってカオルは、夕紀ちゃんの肩に手を回そうとするが、その手はあっさり裏手で振り払われる。
「あいたー、つれないやっちゃな」
「私も仕事なの。あんただって仕事でしょ!?」
「そやけどねー。にしたってつれないっちゅうか」
ぶつぶつ言うカオルに僕はくすくすと笑った。
「ま、がんばれよ。あ、そうそう。今度くらしま座で舞台やるからさ、二人とも見においでよ」
「何て舞台?今すぐ予約するわよ」
夕紀ちゃんは携帯を取り出してチケット案内のサイトへアクセスを始める。
流石新聞記者。
行動が早い。
「江戸川乱歩原作 暗黒星って舞台なんだ」
「明智小五郎か。今のお前らしい舞台やないか」
感心するカオルに僕は苦笑いする。
「明智のようにはいかないよ、現実は。事件を解決したのは結局警察だし」
「はい、予約完了!カオル君の分もとっといたから、後で代金頂戴」
「は!?俺の予定無視して予約」
「9500円 S席二枚分、19000円頂戴」
「な……何でお前の分まで」
「私とデートするんでしょ?」
「へ?」
「だったらチケットぐらい奢りなさいよ」
そう言って片目を閉じる夕紀ちゃんに、カオルの顔がカァァっと熱くなった。
へぇ、やっぱりこいつ夕紀ちゃんのこと。
「しゃ……しゃあないな」
ぶつぶつ言いながらも、口元が緩んでいるカオル。
一方、密かに小悪魔の笑みを浮かべ。
「ちょろいちょろい」
と超小声で呟く夕紀ちゃん。
口の動きでかろうじて分かったんだけどね、その言葉が。
女って怖いや。
その時だった。
「工藤さん!!」
学校の校舎の方からだった。
僕はびっくりしてそちらの方を向くと、一人の男子高生がこっちに走り寄ってきた。
誰だろうか?
その子が近くに来るまで、僕は誰だか分からなかった。
顔が確認できるくらい近づいた時、ようやく声の主が誰だか分かった。
「た……卓磨君」
「よ、良かった。まだ帰ってなくて。丁度補習が終わって教室戻ったら、絵沢たちからあんたが来ているって聞いたから」
そうか、それで会えなかったんだな。卓磨君とは。
それにしても一瞬誰だか分からなかったよ。
髪の毛黒くて短くなっているし、ピアスもとってある。
本当に昔の僕みたい、この子って。
「……あの、工藤さん。ありがとうございました」
「ん?」
「だって、工藤さんのおかげで先生が自殺じゃないって分かったし」
卓磨君の目からは涙が浮かんでいた。
本当にアキのことが好きだったんだな。
それにアキもこの子のことを……。
卓磨君は、涙をぬぐってから、まじまじと僕の顔を見た。
「……本当に、信じられないや」
「ん?」
「初めてあんたに出会った時、夢見てるのかと思った。今までずっと憧れていた役者がウチの学校の屋上にいるんだもんな」
「あ、憧れているって……て、照れるじゃないか、そんなこと言われると」
「本当に今でも信じられない……先生の友達があんただったってことが。でも、すごく嬉しいんだ。先生の友達と俺が憧れていた人が同一人物だったってことが」
「卓磨君」
「先生はもう帰って来ないけど……だけど、あの人は俺のことを信じてくれた。きっといい役者になるって言っていたあの人の言葉を俺も信じたいと思うんです」
手紙でアキが言っていたっけ。
この子には演劇の才能があるって。
「俺、学校辞めることにしました」
「え……」
「もちろん、残った補習を済ませてから辞めようとは思っているですが」
あらら、結構真面目。
僕はそんなことはしなかったけど。
「それで、劇団KONのオーディションを受けようと思っています」
卓磨くんの言葉に。
僕は半分びっくり、でも半分は嬉しかった。
どの劇団よりもKONを選んでくれたことが嬉しい。
「ウチの主宰者はむちゃくちゃだからね。いつオーディションやるか分からないけど……うん、卓磨君にはお世話になったから、オーディションやりそうな日を後でメールしとくよ。メアド教えてくれる?」
僕の言葉に驚きながらも、卓磨君は慌ててズボンの後ろポケットから、携帯を取り出した。
同じ会社の携帯だったので、赤外線通信でお互いのメールを交換しておいた。
僕が出来ることといったら、この子をオーディションの場に連れて行くことぐらいだ。
それからはこの子の努力と実力。
まぁ実力1%、努力が99パーセントだけどね。
その二つが備わっているかどうかだ。
彼の今の強い眼差しを見ていると、それはありそうな気がするのだけど。
「KONで待っているからね、卓磨君」
そう言って僕は卓磨君の肩を叩いた。
彼は後に、泉沢倬弥という芸名を名乗るようになった。
泉沢は亡くなった母親の旧姓で。
そして倬弥という名前は、本人の希望で僕が名付けたのだった。
彼がKONの舞台を踏むのは、まだまだ先のこと。
僕が稽古場に戻った時には、既にリハの準備が始まっている所だった。
舞台全体の様子を見守る男、今泰介。
ランニングシャツに、穴あきのジーパン、右手には木刀。
長めの髪を金に染めたその青年は、僕の姿を認めた瞬間、鋭い眼差しをふと和らげた。
「おせーよ、ぼけ」
ぶっきらぼうな口調の中にも、此処に戻ってきた僕を温かく迎える響きがあった。
「ただいま」
僕はにこやかに笑って言った。
そう、今はもう、ここが自分の家なのだ。
工藤潤。
それが今の自分の名前。
今さんに小突かれてから、僕は脚本家、八鳥さんの元に近づいた。
すっきりした僕の顔を見て、彼は満足そうに頷く。
「迷宮から抜け出せたみたいだね」
「ええ、おかげさまで。これで心おきなく明智を演じることが出来ます」
「その顔いいよ。事件を解決した後の探偵みたいで。今の君は、迷宮から抜け出した晴れやかさと、故人を思う切なさが同居している」
「嬉しくないですけどね」
「不謹慎なのは承知で言っているんだ。その思いを忘れるんじゃないよ」
「はい……ところで八鳥さん、今度のくらしま座の脚本がまだ書けていないんですよね」
「それを言うなって。おかげで主宰者様にもど突かれまくっているんだから」
「少し、参考になればなと思って……俺の話聞きません?」
「君の話?」
「白い蒲公英の話です」
「白い蒲公英……」
僕は八鳥に語った。
最初は喧嘩別れした親友の手紙から物語が始まる。
君が生きた証として。
君と共に過ごした青春を忘れないために。
僕はこの人に語る。
脚本タイトル『白い蒲公英』




