行き遅れお嬢様とショタ従者
快活まっすぐ柴犬系ショタは正義
「お嬢、おはようございます!」
キラッキラした笑顔が寝ぼけた顔に眩しい。まだしっかりと覚醒していないことだけは自覚しつつ、もそりと体を起こす。
「…ん。おは、よ?」
瞼をこすって、目の前にいる13歳くらいの少年を見つめる。こげ茶の髪は短めで、青い目はキラキラと輝いている、将来は精悍な顔の男性になるだろうな、といった顔をしている。うちに昔からいる従者で、人懐っこく私にも割と懐いてくれている。名前はルドルフ。小さい頃から、ルドと呼ぶと嬉しそうにトコトコ走ってくるのがなんだか可愛くって、私も昔から彼に構っている。
「はい!」
私の挨拶にとても嬉しそうに返事をする彼の声は大きい。その声につられて段々と覚醒してくる頭が、私に今の状況を告げる。
貴女、年下とはいえ寝起きの顔を殿方に見られているのよ?
そうして、朝一番にもかかわらず屋敷に色気のない私の叫び声が広がったのである。
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申し遅れた。私はアイリーン。男爵令嬢である。他の貴族からは成り上がりと馬鹿にされているが、家族全体が「うちの一族は平民上がりだから仕方ないねー、根が庶民だもんねー」という価値観なのであんまり気にしてはいない。従者もあまりおらず、昔から雇っている一家の主人とその子どもの何人かを従者にしているといった感じだ。ルドはその中でも一番年下で、それでも私に一番歳が近い。ちなみに私は19歳という貴族にしては立派な行き遅れで、背の高い私よりすこし背の小さいルドは14歳になったばかりだ。従者にしておくにはもったいないほどの剣の腕前を持つ快活な少年でもある。それなのに何故従者としてこの家に残るのか、という質問に答えてくれないという反抗期に入ってはいるが、それでも仕事はきっちりこなしてくれるから良い。
ただ、それとこれは別である。化粧映えしない自分の顔を見つめながら、ドレッサーの前の椅子の背にもたれかかる。
「すっぴん見られた、終わった」
「あら、お嬢様。動かないでくださいな、髪が乱れてしまいます」
「もういいよ、終わった。女としての私は終わった。最悪」
「あらあら」
私より10歳も年上なのに、私の100倍綺麗なメイドに髪を整えてもらっても悲しくなるだけである。メイドは主人より目立ってはいけない、という価値観があるせいで薄化粧だが、どうみても私の方が女として終わっているし地味だった。加えてお洒落でも優しくもないから、そりゃあ行き遅れるでしょうね。
「でもお嬢様は学問で身を立てられるのでしょう?見た目はどうでも良いと仰っていたではありませんか」
「頭いいだけじゃ女が独り身でやっていけないじゃないの。跡取りでもないくせに独り身なんて、論文読む前に捨てられることになるわ」
私で妥協してくれて、私のやることに口出ししない人がいたらいい。しかしそんな都合のいい人が現れるわけでもない。正直相手の身分もどうだっていいから、そんな人がいてほしいものである。
「お父様やお母様が誰か適当に見繕ってくれないかしら。どっかにいないかしら、丁度いい人」
「ダメですよ、生涯の伴侶なんですから…しっかり見極めなくては」
「誰でもいいわよ。浮気だって散財しなければ怒らないわ。お手軽なのにな、私」
同じことをかれこれ3年くらい言っているが、恋愛結婚の両親にそんなこと許されるはずもなく、何度かあった婚約も全部断られてしまった。お手軽さにつられたクズ男を切ってくれたと普通は感謝するところだが、伴侶がいるだけで貴族界や学者界で動きやすくなるのだから、正直誰でもいいのだ。
「…そういえば、ルドルフが後でこの部屋に向かうそうですよ」
「なんで?」
「さあ?旦那様とも話し合ってましたし、何かあったのですかね」
会いたくない。すっぴんブスだなとか思われてるだろうし会いたくない。そう言わなくても分かっているくせに、メイドはにっこり笑って部屋を出て行ってしまった。相変わらず髪の毛は綺麗に結われていて、完全に顔が負けている。超キツそうな顔の女がやたら可愛い髪型してるってそれ笑われるに決まってますから。
メイドが出て行った扉が閉まる前にそこを何気なく見ると、見慣れた少年と目が合う。おそらくメイドが出てくるのを待っていたのだろう。少し決まり悪そうな顔をしながらも、しっかりと従者らしい礼をする彼が、少し大人びて見えた。どんどんおばさんになっていく気分を感じて若干萎えながらも、彼に入室を促す。
「お嬢、朝は大変失礼しましたっ」
「…お前のせいじゃないのよ、メイドが忙しかったから代わりに来てくれたのでしょう。驚いてしまって悪かったわ」
「でも、女性の素顔を見るなんて、伴侶にしか許されないのに、俺…」
「別にいいわよ、伴侶なんて誰でも」
「え!?」
もっと私の素顔が美しかったら良かったんでしょうね、と続くはずだった言葉は彼の言葉に消される。硬直する彼を見ながら首を傾げると、彼は唇をわなわなと震わせながら喉奥から声を絞り出した。
「誰でも…なんて」
「どうせ行き遅れなんだし、何も望んでないわ。相手がどんな人でも私で妥協してくれるっていうんなら喜んで受けるつもりよ?」
「…お嬢を大事にしない奴でもいい、っていうんですか?」
「当たり前じゃない。やっと大勢の人がちゃんと私の論文を読んでくれるようになるかもしれないのよ?それだけで満足…」
言葉を続けながらふと彼の顔をよく見ると、その目は少しずつ潤んできた。ぎょっとして言葉に詰まると、彼は苦しそうに眉を寄せ、ぐい、と袖で自分の目を擦る。
「…じゃあ、俺でもいいんですか」
「へ?」
「騎士団長に、養子にならないかと言われたんです。これを受ければ俺も貴族の端くれみたいなもんなんです」
「まあ!おめでとう、ルド!貴方騎士になるのね!栄誉あること…」
「お嬢!」
賞賛の言葉を振り切って、肩を強張らせながら彼は叫ぶように言う。青の瞳は真剣そのもので、大股でこちらに近づいてくる。
「…お嬢は、いいんですか?俺が、貴方を、その…お、よめさんにしても」
後半は真剣な表情が抜けて、うろつく彼の視線と真っ赤な耳が、すこし子供っぽくなる。というかお嫁さんって表現聞いたのいつぶりだろう、恐るべし可愛さである。
「…気持ちは嬉しいけど、ダメよ。貴方はかっこいいんだから…これからもっと貴方の前に素敵な女性が沢山現れるわ」
「…か、かっこ、いい…ですか?」
「かっこいいけど、そこじゃないわよ?話聞いてる?」
「…かっこ、いい…ってことは、好き…?」
「ルド、聞いてる?貴方顔まで真っ赤よ。湯気が出そうだわ」
「…うー」
照れているのは可愛いけれど、ここまで混乱されるのも困りものである。しかし、私だって鈍感ではない。彼の態度を見て、照れたい気持ちはある。だが相手が混乱してると冷静になってくるというもの。彼の顔を手で冷やしながらひとまずルドに深呼吸させる。
「ルド、落ち着いた?」
「ちか…」
「大丈夫、もう少しこっちに…」
くい、と開いた方の手ですこし彼を引き寄せようにも、ルドは微動だにしない。5歳離れているとはいえ、彼も確かに背が伸び出したし、男性らしくなっているのだろう。剣の腕が凄いのも頷ける。…顔はリンゴのように赤くてまるで乙女のようだが。
「…ほんとは、養子になりたくなかったんです。お嬢は、いつの間にかいなくなりそうだから」
真っ赤な顔のまま、彼は私の手を取る。その瞳は真剣さを取り戻しているが、すこし手は震えている。
「でも、決めました。お嬢が誰でもいいって言うなら、俺の、お、お嫁さんに!なって、ください!」
「…えっと、ルド」
「俺!もっと賢くなって、強くなって!かっこよくなりますから!お嬢が、俺を好きになってくれるように、いっぱい、手紙とか!書きます、だから!」
ぎゅ、と手を握られて5歳下の少年に迫られる気持ちは如何様なものだろう。すこしドキドキはするけど、どうしたらいいものかという気持ちの方が大きい。
「…じゃあ、私のこと、アイリーンって呼び捨てができるようになったらね?」
「そ、そんなの、今、呼べますよ!」
「…ふふ、ルドルフ?」
「あ、あいりー、ん…さん」
「ほら、呼べないじゃない?ね、呼べるようになって、それでもし、呼びたくなったら来なさいな。どうせ行き遅れているでしょうし」
開いている方の手で彼の頭を撫でてやると、呻くばかりで彼は何も言わなかった。彼を撫でれるのは今だけだろうなと思うと、なんだかすこし寂しくなってしまった。
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それから。
養子に行った彼から毎週手紙が来るたびに両親は感涙し、なぜか言っていないのに友人に事を知られ「犯罪だ!」と言われたりした。手紙を返しつつも、論文や学会で忙しかった私の一年などすぐ過ぎるもので、ルドが成人になるのなんてあっという間だった。
加えて成人になったら婚約ができるということもすっかり忘れていた。
「…あ、アイリーン」
「…貴方って物好きだわ」
求婚の花で知られる花でできた花束を受け取ることは、その人を伴侶として受け入れることになる。花束を私に差し出したまま目を瞑る彼を見つめた。
目の前の彼は私の背を越して、体格も騎士らしいしっかりとしたものになってきた。線の細い少年の姿はどこにもなく、唯一その顔立ちにあどけなさが残るのみである。
「…ルド」
花束を受け取らないまま、彼の名を呼ぶ。ルドは落胆を通り越して、絶望寸前の暗い瞳を開いて私を捉える。
「愛人、作っても怒らないからね」
そう言って花束を彼の腕から奪う。この匂いは結構好きだ。義姉が嬉しそうに抱いてたのを思い出した。兄夫婦も幸せそうだから、私もきっと充実した人生を送れるに違いない。
「あ、あなたって人は…!」
ルドは怒ってるのか泣いてるのか、はたまた嬉しいのかわからない表情を浮かべつつ、私の体を引く。特に抵抗もしなかったから、私の体はいとも簡単に彼の腕にすっぽりと収まる。自分でしたくせに恥ずかしいのか、ルドは少し唸った。
「…俺は貴方だけです、から」
「期待しないでおくわ」
「き、期待してください!」
あたふたとしつつも、怒ったような声をあげながらルドは言う。少し顔を上げると彼の耳元が視界に入って、真っ赤に染まるそれを見ると、自然と口角が上がる。
「ふふ、旦那様なのにまだ敬語なの?」
笑ってそう言うと、更にその耳は赤くなった。存外、彼をからかうのは楽しい。背が大きくなっても、声が低くなっても、強くなっても。
彼をこうやってからかえるのは私だけでいい。そう言うとどんな表情をするのか、想像するだけでまた、口角が上がった。