第九章 友は簡単に諦めてはならない件
俺の眼の前で、黒い闇と紅い閃光が同時に弾けた。
佐久真の刀から放たれる闇は粘液のようで、俺の長剣に吸いついてくるがそれを俺の剣はその液体金属めいた闇を振りほどくべく刀身から太陽の輝きを放ち続けている。高速で振り続けられる刀と長剣が触れ合うたびにこの現象が起こっている。
「ヌラアア!」
「ウオオオ!」
佐久真の咆哮と俺の気合が至近距離で衝突し、激突点でスパークを散らした。夜闇を切り裂くほどの電撃に俺と眼の前の死神の顔が照らされる。
俺は佐久真の高速斬撃を受け止めるだけで精一杯だが、一瞬垣間見えたヤツの顔には余裕の笑みが浮かんでいた。
―まだ、先があるのか…!?
先ほどの変身で佐久真の全身を駆け巡るエフの邪悪はさらに強く、深くなった。それは彼の斬撃に《吸収属性》が新たに付与されたことが物語っている。だが、あの変身をしたことは能力者としては普通なのだろうし、俺はシャムシエルとの共鳴をさらに強める《フル・リリース》をも使っているのだ。その俺がたった今、悪魔との干渉に成功したような佐久真に負けるはずがない。
―柊太よ…なぜおまえが押されているか、知りたいか…?
不意に俺の体中に響くような声がした。シャムシエルだ。
―ああ…教えてくれ…こんな弱い俺じゃ祐太を助けても、守り続けることが出来ない…頼む、教えてくれシャムシエル…
―良いだろう、柊太の中にはまだ情けが残っているのだ。だから、おまえはまだ本気を出し切れていない、つまり…我々は限界に達していないのだ…
そんなことありえない、と言い返そうとするが実際、今俺の中には祐太、そして佐久真をも救おうとしている。
―ああ、俺は、二人を見捨てられない。でも、許そうとも思ってない…
―と、言うと?
―中途半端なんだ、俺は…いつもその中途半端で、人を迷わせる、人を傷つける…だから、それはもう…
ヤメだ。
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一心不乱に毒々しい無骨な剣を振り続けるがその刃が柊太を傷つけることはない。
もう少しで届く、というときにあのクリムゾン・レッドの長剣が閃き、その剣閃を塞ぐ。受け止めた剣を腐敗させるために液体金属に変化させ、それに毒属性をつけても柊太の握る剣から太陽を思わせる光が発生し、たちまち纏わりついた《毒金属》を吹き飛ばす。
明らかにこちらが押しているのに、決定的な一撃を決めることができず、俺(佐久真)は困惑していた。
必死に防御する柊太に対して、こちらは圧倒的なまでに、余裕を見せることができるほどに攻めているというのになぜか俺の刃は届かない。
「…ッち!」
もう一度受け止められ鍔迫り合いに持ち込んだところで俺は思いきり剣を押し返した。生まれた僅かな、しかし決定的な隙を作り上げたのだ。
「ノルアアアッ!」
叫びながら跳びかかった俺の眼の前で、真紅の光が静かに柊太の胸元から発せられていた。
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―ほう、やっと決心がついた…
―俺は、すべてを許す。その決心がついたよ…
―ふっ…それが君の選ぶ道ならば、私はなにも言わない…君のその覚悟があるなら私の全力を妨げていた障害も外れただろう…
―ああ、すまなかった…一回だけじゃ、決められなくて…でも、俺はもう迷わない…だから、《裁く》ためじゃなく《救う》ために、シャムシエル、おまえの力を貸してくれ。
―いいだろう…私の、いや…俺の全力をおまえに渡すぞッ!
「ノルアアアッ!」
佐久真が跳びかかってきた。だが…
瞬間、俺の胸の辺りに熱が生まれた。熱いわけではない。野花に降り注ぐ太陽の光のような暖かさ。
右手に握っていた《コンヴィクション》の、これまでのギラギラした冷たい輝きが温かい輝きに変わった…気がした。
俺の胸元からは紅い輝きが解き放たれた。その光に押し返されるかのように佐久真が後方に吹き飛ばされた。そして放散された光は再び俺の胸元に凝集し、それは二つの四角柱の底面同士を付けた形をした真紅の宝石となり、俺の胸の中に入り込んでいく。その宝石は俺の《ホーリーズ・ハート》に入っていったことを、俺は本能的に感じ取った。そしてそれは、俺に新たな力を与えた。
白かった角が黒く染まり、瞳は中心こそ真紅だが、周りはスカイブルーに染まっている。
―ほう…柊太、おまえは俺に新たな力を与えたようだな…
一瞬にしてシャムシエルと俺のみの閉鎖空間、《静寂の太陽》に移動させられた俺は周りの風景の変わりように驚かされた。
西日の傾く黄昏色をしていたそこは今では蒼炎に囲まれた夜色をしていた。
「俺が、シャムシエルに力を…?」
俺の眼の前に立つシャムシエルの姿は白い着物姿から、炎でできた特攻服のようなものの下に浅黒い肌が剥き出しになっている。脚は袴で覆われているが、足先は下駄だけを履いている。そして、その右手に持っているのは…
深い藍の長剣。
「それが、新たな力か?その剣…名前は?」
「《サーヴェイション》…意味は、《救い》だ…」
フッ…と苦笑してしまってから、微笑みながら言った。
「その名前、おまえが決めたのか?」
「な、なぜ笑う?」
照れたように浅黒い頬を赤らめて問い返すがすぐに思い直したように右手の剣を見て言った。
「この姿になり、この剣を見た時、なぜかその剣から俺の意識の中に直接送り込まれた気がしたんだ。」
「剣…から…?」
「ああ、語りかけられた。そんなイメージだった。声は優しい女性の声だった。落ち着いているが、温かさのある、君たち人間の母親のような…そんな声だった…俺たち神は、死者の声や意思を聞くことがある。だから…死者の声願いを聞いたのかもしれないな…」
「そうか…その人は誰を助けてほしかったんだろうな…って、そんな話は後にしてさ、その剣と姿は、どういう事?」
話を切り替えるために首をふるふる振ってから、問いかける。
「これこそが新たな力…《蒼炎・百華繚乱》…これも、さっき言った女性の声に乗せて届けられた名前だった…」
「どんな能力なんだ…?」
喉をゴクリと鳴らして興味津々に問いかける俺にニッと不敵な笑みを浮かべて答えた。
「それは、実際に暴れて試してみるのが一番だろ?」
意識は再び長里高校の校庭に戻された。
「へ…眼と角の色が変わったからって、なにが変わるんだよ!?その程度の変身でオメーが強くなる訳ね―んだよ!」
そう叫んだ佐久真は俺の返答を聞く前に右手の長剣を高々と振りかぶりこちらに踏み込んでくる。
反射的に眼を見開いた瞬間、俺の眼に数輪の瑠璃茉莉の花が蒼炎と共に咲き乱れた。世界が藍く染まる。
すると、一瞬時が止まり、佐久真の動きも止まった。その一瞬間を見逃さず、左に転がり回避する。藍く染まっていた世界が元の色を取り戻すと共に時間も動き出す。空を裂いた佐久真はバランスを崩し、倒れ込む。その隙を見逃さず、次は意志的に己の眼に炎と共に花を咲かせ、時を一瞬のみ止める。
先ほどは回避のために本能的に使ったが、今回のこの能力の使用した理由は攻撃の初動を見せず、確実に俺の攻撃を届かせるためだ。再び藍く染まった世界が一瞬止まり、時間と色が同時に正常になるときには俺はもう《コンヴィクション》の間合いに入っていた。
佐久真はなにが起きたのかわからないと言ったように眼を見開き、俺の右手の長剣を見た。
だがそこで佐久真は驚異の反射神経を見せ、右手の黒剣を閃かせコンヴィクションの剣閃の間に構えた。俺の剣を振る力に逆らわず受け流す。佐久真の白く長い髪の毛先をを血の色をした長剣が裂いた。地面に突き立った紅い剣を抜き、反撃を迎え撃とうとしたが…間に合わない。佐久真は火花を散らした二刀がすれ違った直後、左足一本で地を蹴り、もう右手の黒剣を振りかぶっていたのだ。佐久真に向けられている左手で炎の盾を作り出そうとしても、このタイミングで作り出し受け止めようと思えば、正確に相手の剣の軌道を読み、ごく小さな盾を生成する必要があり、リスクが高すぎる。
―左手に…もう一刀、剣があれば…
―まだよ…これを、使って…
シャムシエルの声ではない。知らないが人の声だが優しく、すべてを包み込むような滑らかで落ち着いた、女性の声だった。
刹那、俺の左手に蒼炎が吹き荒れた。その中から美しい藍色の長剣…《サーヴェイション》が現れた。開いていた左手でグッと群青色の柄を握り、縦に振りぬこうとする佐久真の剣の軌道に横に合わせて、受け止める。
―いまだ、柊太!
―おうッ!
その刹那、シャムシエルの声が聞こえ、右手の《コンヴィクション》を離し、空いた掌に蒼炎の剣を作り出し、それを佐久真の胸に、正確には《ダークス・ハート》に狙いを定めて突いた。瞬間、蒼炎の剣から鮮やかな青色の光が発生した。
「許しの裁き》ッ!」
―届け…ッ!
半ば願いながら、突きだした炎刀の切先が佐久真の心臓に刺さるところをしかと見るべく、眼を見開いた。
蒼炎の切先が佐久真の黒い服を焼く。服をジリジリと焼け焦がしていくその剣先は、しかし佐久真の肌は、一切、焦がさなかった。
刺さる、というよりかは佐久真の体に入り込んでいく。そしてその剣は、ジン・佐久真の一生を終わらせた。黒緑色の闇を胸元から撒き散らしながら少しずつ、黒いねっとりとした粘液質の何かが出てくる。
それを確認した俺は、炎の剣を無数の小刃に変え、それを、遠くで放心状態に陥っている祐太に飛ばす。祐太のダークス・ハートに刺さり、黒い氷の結晶が胸元から勢いよく飛び出た。それはカキンッという金属質の落下音と共に校庭の固い土の上に落下した。それは祐太の首にチェーンを伸ばし、ネックレスと化した。
粘液質だった黒いなにかは、だんだんと人型になっていき、やがて口を開いて、苦しそうに叫んだ。
「グガアァァアアアッ!コノ、ウルサイホドノ、ヒカリ…オマエ…ハ、シャムシエル、カッ!?」
―すまん…柊太…ちょっと、貸してくれ…
そこで、俺の記憶は途絶えた。
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「行くぞ、リカッ!」
「テン・フォーッ!」
禍々(まがまが)しいエフを感じ取ったと同時に、クリスの厳しい声での指示が走った。校庭に突入すると同時に、放心状態の平西佐久真と青崎祐太を保護する。そして即座に撤退した。私とクリスは…
「柊太っ?撤退だよっ?」
なんども呼びかけるが答えるどころか、こちらに見向きもしない。
―と、ふいに…
―今は、柊太ではありません…
―え?どういう事?
美麗で透き通るような声が意識の底から聞こえてきた。《月の女神ディアナ》だ。
私の咄嗟の問いに冷静に、しかしどこか狼狽えたような声で答えた。
―あれは、シャムシエルです…しかし、普段の彼ではない…
―だから、どういう事よ!?
意識を会話に集中させつつも、視線は唯一の想い人を捉えていた。シャムシエルの能力の炎で赤く発光している。だが、その赤は、情熱ではなく、怒りの赤に見えたのは私だけだったのだろうか?
「おい、リカっ。シュウタなら大丈夫だ。先に行くぞ!」
隊長の指示には逆らうことができず、救急車との待ち合わせ場所に佐久真を担いで行った。
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「キサマだったのか…《サタン》…だが、キサマの真の力には遠く及ばないようだが…?」
「ダマレ…シャムシエル…キサマ…コロス…オレノ…セキネンノ…ウラミ…ハラス…」
体は人型、全身真っ黒、釣り針のように湾曲した角、肩甲骨の辺りから生える猛禽類のような翼、ただ濁った黄色い二つの眼が発光している。
その黄色い眼を見つめ返しながら、地面から真紅の長剣を引き抜きつつ、シャムシエルは再び言い放った。
「負け犬の遠吠え、か…グダグダ言ってる暇があったら、速いとこ掛かってこい。」
「ダマレッ!ダマレッ!キサマッコロスッ!《ヤミドク》ッ!」
サタンは両掌黒緑色のエフ弾を作り出し、それをシャムシエルに向かって撃ち出してきた。それを真紅と藍の奇跡を描きながら斬っていく。
「シネッ!シネッ!シネェェエエエッ!」
怒りと憎悪の咆哮を轟かせながら、さらに高速化させたエフ弾を撃ち続ける。
だが、それを超えるスピードで二刀を振り続けるシャムシエルにはその攻撃は届かない。
「もう…飽きた…安心しろ…すぐに殺してやる…」
シャムシエルは二刀を振り続けながら呟くような声で言ったはずだが、それはしっかりとサタンの耳に届いていた。怯んだ一瞬を見逃さず、シャムシエルは地を蹴り、夜空に舞うサタンに急接近する。
「キサマの積年のなんたらは、晴らされることはない…だが、俺のそれは今、晴らされる…《アイツ》の仇を討つことで、な…さらばだ、魔人サタンよ…聖なる太陽に照らされ、浄化されよ…」
空中に留まっていたのは、ほんの一瞬だったがそれだけを言い、あとは、叫びだけだった。
「《断罪の裁き》ッ!」
先ほど柊太が放った《許しの裁き》は青色の光の奇跡を引いていたが、シャムシエルの放った《断罪の裁き》は二刀にクリムゾンレッドの輝きを帯びていた。
この攻撃は二刀による ――――――― 三十連撃。
アクロバティックな右手の右下からの斬り上げ、回転の勢いを止めず左手の右上からの斬り下ろし、さらには右手の剣による三連高速斬り、左手の三連撃、そこからはめにも止まらぬ速さで、二刀の剣閃が残像となり、柊太=シャムシエルの体のまわりをレッドクリムゾンの光が彩っていく。
「ハアァアアアアアッ!ウッラアアアッ!」
「グギャアアアッ!シャ…ムシエ…ルウウウゥゥゥ……」
断末魔が聞こえても剣は止まらない。黒い粘液質の液体を吹き散らしながら、赤く発光する二刀の剣を振り続ける。
いつしかシャムシエルの眼には優しい光など消え失せ、代わりに殺気と怒りがギラギラと輝いていた。
そして、狂喜乱舞の三十連撃が終わった時には、サタンは燃え、浄化されていた。
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俺は目覚めると、校庭の真ん中に突っ立っていた。仄かに青い月光が俺には至近距離で浴びせられるLEDライトのように思えるほど眩しかった。開きかけていた眼を再び閉じ、そしてゆっくりと開く。
そこには、なにもなかった。
先ほどまで行っていた激戦の痕も、敵対していた佐久真と祐太の姿も、そして二人を病院に運ぶよう指示していた利華とクリスの気配も感じられない。
祐太の元に向かうべく、一歩目を踏み出した時に、自分の腰に携えた二刀の重みが俺の膝を折らせた。その場に倒れ込み、息を荒げる。
「ハア…ハア…おい、シャムシエル…ハア…オマエ、どんな戦い方したんだよ…?」
俺の意識があるうちはこんなに膨大な疲労を感じてはいなかった。しかし、今になってここまで大きな疲労感に襲われていることは事実なのだ。ということは、俺の体を借りて戦っていたシャムシエルに理由があるのではないかと俺は推測し、尋ねた…のだが…
声が返ってこない。そして、その体勢のまま応答を待っていると、全身の力がさらに抜けていくのを俺は感じた。逆立っていた紅い髪が、降りてくる。黒く染まっていく。角も、消えていく。
「おい…シャムシエル…どうした…?」
「すまない…俺も、少し…ぐッ…つ、かれ…た…」
「……そっか」
それだけを伝えるので精一杯だったのだろう。腰にあった二刀も消え、シャムシエルとの共同体が完全に消滅すると蓄積されていた疲労も消えた。俺は体を起こし、利華やクリス、そして祐太を追うべく、独り、夜道を走り出した。