第八章 隊長の過去は苦(ビター)だった件
今回は少し、視点を変えてヒソヒソとなにか企んでいる二人の仲間たちの様子です。
―まだ、柊太なら、やってくれる…
長里高等学校の敷地外方面の正門横の壁に背を預け、息をあげているのは黒い戦闘服に身を包んだ翠川利華だ。門を挟んで同じように背を壁に付けた長身の白人アメリカンも息をあげるまではいかないが冷汗が頬を伝っている。
戦っている訳でも無い二人がなぜこんなに消耗しているかというと―少なくとも利華は―精神的にかなりキテいる。
柊太なら、私(利華)が最も愛し、最も信頼しているあの普通な高校生ならばやってくれると信じている…そのはずなのだが…
「ハァ…ねえ、クリス?ホントに柊太は大丈夫なの…?」
月明かりの下だとさらに映える彫刻像のような彫りの深い鋭い輪郭を見上げながら尋ねると、クリスはあえてなのかこちらに視線は送らず夜空を見上げながら答えた。
「リカ…おまえは信じていないのか?己が愛する男のことを?」
「え、ハッ、ハア!?」
つい大声を出してしまい咄嗟に口を塞ぎ顔を少し出し校庭を覗いてみたが幸いというべきだろう、どうやら聞こえていなかったらしい。代わりに険しい顔をした柊太とエフ同士が衝突した衝撃がこちらを押した。まるで入ってくるなと言ってきているかのように…
その次に意識したのは自分の頬の熱量が平熱を明らかに超えている事だった。顔をひっこめ、慌てて両手を頬に当てる。
すべての元凶である上官に極力、声を小さくして怒鳴る。
「んもう!なんてこと聞くの!?」
すると我らが隊長は悪びれる様子もなく青い瞳で見下ろしてきた。
「ん?柄にもないことを聞いてしまったかな?いや、だが俺は単純に疑問に思ったのだ…愛する者のことを信用していないように息は荒く、冷汗まで掻いている。」
「……」
言い返せないことが悔しいが実際に思っていたことだ。
二秒の沈黙の後、クリスは電灯があまり無いからだろうか星が煌めく夜空を仰ぎながら語りだした。
「俺はな…恋をしていた女がいたんだ…」
「い…た…?」
首をコロッと傾げるて問うと、フッと笑いながら答えた。
「ああ…過去の話だ。俺と同じ職業柄でな…彼女は、俺が所属していた部隊のオペレーターでな。いつも冷静で情に流されない、だが仲間が犠牲になることを気にしないことから《冷酷な女参謀》という異名までつかられるほどだったな。だが、本当は彼女は、シーラは冷酷どころかまるで真夏に咲き誇る向日葵のように優しくそして美しい女性だったんだ…彼女が俺の部隊に配属される頃には異名は組織内に広まっていた。もちろん俺たちの部隊にも情報は入ってきた。そして、最初の作戦の決行日、彼女は銃弾を体に受け俺を庇った。」
えっ、と眼を見開いた私は彼が月ではなく星を観ているのだろうと思った、なぜか、だが。
「オペレーションルームから飛び出し、俺たちの部隊が突撃していたビルの最上階に…銃も持たずにだ。その後、彼女はなんとか一命を取り留めた。そして俺は病院のベッドに横たわる彼女に尋ねたんだ。「なぜあの時、私を庇ったのか」と…するとシーラは《冷酷》の異名に似合わない天使のような微笑みを浮かべながら言ったんだ。「隊員を守るのが私の役目でしょ?」と…それからだ、私が彼女に笑顔を咲かせ続けてもらいたいと想い始めたのは…」
だが、隊長のその穏やかな表情は一瞬で怒りの色に曇ってしまった。
「それから数カ月が経った頃だった…ヤツが来たのは…いや、来てしまったのは…」
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俺は瞼の裏にあの惨劇を映し出していた。
赤々と燃え上った砂漠地帯、自分の見上げる先には機械音を断続的に鳴らしながら飛ぶ一羽の烏…いや、全身を機械的な漆黒の無骨な剣を右手に吊り、同色同材の鎧で身を包んだ一人の人間だ。だが、顔は不気味な笑みを浮かべているかのような赤い亀裂の入った機械的な仮面で覆われており顔は見ることはできない。俺以外の隊員は血を砂に吸われながら倒れ込んでいる。そして俺自身も左肩を灼熱の感覚が襲い、穿たれた部分からは赤黒い液体が次々に垂れてくる。最期の足掻きと分かりながらも右手でアサルトライフルの銃床を右肩に押し付け照準を安定させる。そして、引き金を引く。
だが、渾身の覚悟で放った銃弾は当然の如く金属鎧に全て弾かれてしまう。そして右手の細長い黒いモノを雑に大上段に振り上げ――
「…!?」
その時、俺の目に飛び込んできた景色は最も望んでいない光景だった。
俺の前で両手をいっぱいに開いた小柄で、しかし夜の景色でも目立つ金髪姿の女性がその無骨な機械剣に左の片口から右横腹にかけてを切り裂かれたのだ。
「あ、ああ…し、シー、ラ…」
俺は乾いた砂の上に仰向けに倒れ込んだ愛する者の名を掠れ声で呼びながら膝立ちのまま近寄った。
だが、彼女は重そうに瞼を持ち上げると口元を綻ばせた。
「あ、りがとう、隊長…わたし、みたいな、無知な、使い捨ての女に…」
シーラは、そこで最期の力を振り絞るかのように、息を大きく吸った。
「愛をっ…教えてくれてっ…」
そう言うとシーラは眼を閉じ、それは永遠に開かないものだと、俺は悟った。
「あ、ああ…ぐ、うおおぁあああ ―――――――――――!」
何年振りだっただろう、あんなに声をあげて泣いたのは…その時の逡巡が再び駆け巡る。
―愛を教えた?何を言っている、教えてもらったのは俺だ。俺はただシーラのそばにいただけだ…そばにいたかっただけ、そうすれば幼少期に軍に売り飛ばされた過去なんていつの間にか消え去ると思っていた。
それはシーラが俺を満たしていたから。ただの自己満足のために一緒にいるだけだったような俺には旅立つ君を、俺のせいで死んでしまったことを悔やむ資格さえないのだろう…ならば、俺にできる事…それは、あの機械鳥を―――
殺ってやる。
そう決意した瞬間、俺は気を失った。気が付いたのはアメリカの病院だった。右手の甲には艶やかさの含まれた痣ができていた。
痣の件は含めずにそこまで話すと門を挟んで隣に立つ少女はその端整な顔を月に向けた。彼女の顔にはなにか、決意したような色が浮かんだ―――気がした。
―彼女たちはまだ若い。これから先、間違えを犯すこともあるだろう。だが、私のような醜い大人にはなって欲しくない。いつまでも初々(ういうい)しい、純粋な心を持つ人間になって欲しい。だからこそ―――
そこまで考えた時、門の向こう側から激しく、熱く、冷たい剣閃の音が聞こえた。