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9、サイン

 

 丸顔の三毛猫が月乃をじっと見つめている。

 こんなに広い運動公園の入り口がここだけとは考えにくいが、別の入り口を探して公園の裏側まで行くのも面倒なので月乃はどうしてもここから入りたい。しかし月乃が右へ移動するとネコも同じように移動して月乃の正面にペタンと座り、左へ移動するとやはり同じように移動してしゃがみ込むのだ。

「う・・・」

 月乃はネコにからかわれているようだ。一般的な少女なら「あ、ネコちゃんちょっとどいてね」などと言って通り過ぎるところだが、月乃はネコが非常に苦手なのでこれ以上近づくことができない。

「ど・・・どうしてわたくしの前に立ちますの?」

 実は月乃の家では小桃という名前のネコを飼っているのだが、そのネコが母にばかり懐いていて月乃の言うことをほとんど聞いてくれないため動物の扱いに自信をなくした月乃は、家にいる時は可能な限り小桃に会わないように生活している。

「・・・わたくしは忙しいんですの。どいてくださるかしら」

「ニャア」

「・・・ニャアじゃありませんわ」

 どいてくれる様子はない。このままでは今日のお仕事が全く進まないではないか。



 3日目の今日は細川遥様の依頼をこなさなければならないのだが、まずその遥様と接触する必要があるため月乃はこの運動公園にやってきたのだ。依頼が書かれた紙に彼女が休日に足を運ぶ場所が記されていたのはラッキーだったが、なぜこのような場所なのかは疑問である。見たところこの公園には小学生くらいの元気な女の子たちと通せんぼ上手のネコしかおらず、大学生のおしとやかなお姉様方が午前中から訪れるようなスポットとは思えない。

 不意に、月乃の背後から親し気な会話が聴こえてきた。

「え、買った日に冷凍すんの?」

「その日に食べないならね」

「冷蔵庫でいいじゃん」

「いや、別にいいけど冷凍したほうがずっと長持ちするよ」

「そのまま凍らしてんの?」

「ラップに包んでからフリーザーバッグに入れてる」

「いちいちラップ使うのもったいないじゃん」

「それなら買って来たパックをひっくり返して裏側からラップ剥がして発砲スチロールのトレーをどかしてからまた包み直せばいいよ」

「は? ・・・何それ、なんかせこくない?」

「せこくないよ・・・」

 小学生同士の会話でないことにすぐに気づいた月乃は、自販機の側面にへばりついて身を隠しながら二人の様子をうかがった。道を歩いて来たのはまさに大学生くらいのお姉様なので、あのどちらかが遥様に違いない。

「先客いる?」

「今日は誰も使ってないみたいだね」

「貸し切りじゃん」

 二人は月乃が入ろうとしていた公園の、道を挟んで向かい側のテニスコートを使いに来たらしい。ネコが邪魔してくれなかったら入れ違いになっていたところだった。

「ニャア」

 ネコが月乃の足元にやってきた。

「・・・褒めてもらえると思ってますの? 別に感謝なんかしてませんわ」

 とりあえず月乃は二人の後をこっそり追ってテニスコートに向かった。なにしろ情報が確かならあの二人のうちのどちらかが遥様で、もう一人が舞様とかいう告白の対象の女性なので、バレてしまってはまずいのである。なんとか遥様のみとコンタクトをとらなければならない。



 一人は優し気で幸の薄そうなお姉様で、もう一人は活発であまり知的な感じがしないお姉様だ。「ねえ遥ちゃん」「なぁに舞ちゃん」みたいな感じで名前を呼び合ってくれればすぐに分かるのだが、なかなか二人の会話にお互いの名前が出て来ない。月乃は手元の依頼書に記された情報に頼ることにした。

 遥様はご丁寧に自分のプロフィールと舞様のプロフィール両方を書いてくれている。二人は共通して音楽鑑賞が趣味らしいが、他の好みはかなりバラバラである。こんなので恋人同士になるのは難しいだろうなと月乃は思った。ちなみに月乃は今回も別に遥様の望みを叶えに来たわけではない。話は聞いてあげるつもりだが、恋なんてくだらないものに時間を使っていてはいけませんよと注意する気まんまんだ。

「100本勝負ね」

「いや、そんなにやらないし・・・今日なんかテニスって気分じゃないんだけど」

「は? ほら早く立って」

「はいはい」

 二人はテニスを始めるらしい。活発な方のお姉様はテニスが大好きなようだ。

 ここで月乃はひらめいた。遥様が書いた自分のプロフィールに『サンキスト女学園元テニス部副部長』とあるから、テニス好きの彼女が遥様に違いないのだ。あまり恋に悩むような繊細な女性には見えないが、だからこそ告白できずに苦しんでいるに違いない。硬派少女月乃ちゃんのお説教により彼女を苦しみから解放してあげるには、なんとか彼女だけをこちらに呼び寄せる必要がある。

「ニャア」

「ひぃ!」

 先程のネコが付いてきていた。

「・・・あなたまだいましたの? わたくしネコは嫌いですのよ」

「ニャア」

「・・・ニャアじゃありませんわ。今わたくしはコートの右側にいるお姉様だけをこちらに呼ぶにはどうすればいいか考えていますの。邪魔しないでくださる?」

 月乃の話など聞いていないネコちゃんは、月乃の足元に座ってあくびをしたり、自分の耳や頭を撫でたりしている。家にいる小桃もそうなのだが、どういう訳か月乃に寄ってくるネコたちは言うことを聞いてくれないくせにそばを離れようとしないので厄介である。

 そうこうしているうちに事件は起こる。勢い余ったテニスボールがコートの外に飛び出してきたのだ。この運動公園のテニスコートはフェンスの作りが適当である。

「やべ」

 そう言って出て来たのは、月乃が遥様に違いないとにらんでいるあの活発のお姉様である。これはかなりラッキーな状況だが、ボールが転がって来た場所はここから少々離れているため、月乃が彼女に会うには今いる卯の花の木陰から出なくてはならないが、そんなことをするともう一人のお姉様に気づかれてしまうかもしれない。どうせ恋に協力するつもりなど無いのだから気にしなくていいかもしれないが、誰にもバレることなく遥様の心の内だけで解決できるのであればそれが一番である。

「ニャア」

 月乃のカバンに付いている小さなリボンのキーホルダーをお手々でバシバシ叩いて遊んでいたネコがテニスボールに気がついて追いかけていった。ボールに追いつくとしばらく匂いをかいだり噛み付こうとしたりした後、どうやら気に入ったらしく、器用に前足や鼻先を使って月乃がいる木陰にボールを運んで戻ってきた。

「・・・な、なに持ってきてるんですの? あまりウロウロしないで欲しいですわ」

「ニャア」

「・・・ニャアじゃありませんわ」

「おいネコ!」

「は、はい!?」

 当然お姉様はボールとネコを追ってくるので木陰で月乃に会うことになる。月乃は状況を深く考えずにネコに冷たくしてしまったが、実はこのネコちゃんまたしてもお手柄である。

「あれ・・・こんなところで何してんの? あんた誰?」

「ご、ごきげんよう。ボールはお返ししますわ」

「え? あ、どうも」

 遠くから覗いていた時は、運動することしか能がない乱暴なお姉様かと思っていたが、近くで拝見すると意外にも上品で美しいお顔をしていたので月乃は少し戸惑ってしまった。

「あんたうちの知り合いに凄い顔が似てるんだけど・・・もしかして、鈴原紫乃の従妹か何か?」

「えっ」

 初めて自分の正体が一発でバレたので月乃はびっくりした。あまり賢い感じがしないお姉様だが観察力は人並み以上らしい。

「ネコ連れてるあたりもかなりそれっぽいし」

「・・・まあ、わたくし個人のことは些細なことですわ」

「は?」

「重要なのはわたくしがここに来た理由ですわ。わたくしは目安箱の使者ですの」

「めやすばこ? ・・・何言ってんの?」

「あなたが希望を紙に書いて入れた箱ですわ」

「箱・・・? ああ! はいはい! あれか!」

 お姉様が目を輝かせた。やはりこの人が遥様なんだなと月乃は思った。

「すっげえホントに来てくれるとは思わなかった! じゃあ貰って来てくれるの? サイン」

「え・・・サイン?」

「シンガーソングライターAkaneのサインだよ! 色紙はカバンの中に入れていつも持ち歩いてたんだ! もしかしたら本当にあんたみたいな子が来てくれるかもと思ってさ!」

「色紙・・・え? あの」

「ちょっと待ってて。持ってくるから」

 どうやら月乃は2分の1の確率でハズレを引いてしまったらしい。テニスが大好きそうな様子だったから、今の人が元テニス部副部長の遥様だと思ったのにどうやら彼女は舞様だったようである。

「あ・・・」

 改めて手元の依頼書を読んでみると確かに遥様は元テニス部副部長だが、舞様は元テニス部部長だった。月乃ちゃん世紀の大失敗である。

「ニャア」

「・・・そんな目で見ないで頂きたいですわ。誰にでも失敗はありますわよ」

 バッグを抱えた舞様がご機嫌なステップでやってきた。人の気も知らないで呑気なものである。

「じゃーん色紙。こっちが表だから間違えないでね」

「・・・でも、わたくしサインなんて」

「あ、今の顔鈴原そっくりじゃん」

「うう・・・」

「知ってるだろうけど、Akaneってのはこの近所に家があるらしい超有名な歌手ね。ヒマな時は駅前とか自分で探し回るんだけど全然会えないんだよねぇ。変装してんのかなやっぱ。実はうちの知り合いの倉木って奴がAkaneと仲がいいから、そいつに頼めばすぐ貰えそうなんだけどあいつゴールデンウィークはずっとバイトで忙しいみたいだからさ。連休が終わると今度はうちのほうが忙しくなるし、だからあんたに頼みたいんだよねぇ。あ、Akaneの知り合いって言えばサンキストの香山先生も昔からの友達らしいけど、先生も連休はクラブの指導かなにかで忙しいと思うんだよね。世の中は思い通りにならないもんだなぁ」

 よくしゃべるお姉様である。

「・・・あの、わたくしはそもそも願いを叶えにきたわけでは」

「まあまあそう言うなって。紙に書いた通り、ちゃんと報酬も用意したから」

 舞様はカバンから紙袋を取り出した。

「・・・なんですの?」

「袋はくしゃくしゃだけど中身は無事だから」

「・・・そんなもの用意しても、サインは貰って来ませんわよ」

「ほら、トビアザラシのクッキーとフルーツケーキのミックス缶」

「えっ!?」

 トビアザラシ製菓のクッキーと言えば月乃が大好物としている元気が出る超高級スイーツである。しかもこの缶は上から見るとピザのような形と大きさで、高さが10センチほどもあるデラックスミックス缶と呼ばれるものであり、数量限定の特別製だ。

「菓子パンのシール20点集めて応募したら当たっちゃったんだよね。ホントは3等の粉末スポーツドリンクのセットが良かったんだけど」

「・・・こ、こんなものを・・・わたくしが頂けるんですの?」

「あげる。だからサインよろしくね。フルーツケーキって言っても多分カステラみたいなやつだし賞味期限はまだまだ大丈夫だから」

「わ、わかりましたわ」

 受け取ってしまった。

「んじゃあね! サインもらったらまたうちを探してよ」

「は、はい」

 こんなはずではなかった。遥様に声をかけて恋なんて下らないものを諦めさせ、それで全てが丸く収まる予定だったというのに。今日は長い一日になりそうである。

「ニャア」

「・・・べ、別に食べ物に釣られたわけではありませんわ。たまには人助けもいいかなと思っただけですのよ」

 月乃はすっかりネコとおしゃべりができるようになってしまった。

「仕方ないですわ・・・なんとかしてAkaneさんという歌手のサインをもらって来ましょう」

「ニャア」

「・・・あなたは付いて来なくて結構ですのよ。駅前はここと違って人や車が多くて危ないですし、迷子になっちゃいますわ」

 とりあえず手がかりとなるのはAkaneの知り合いと噂の倉木様と香山先生だが、居場所が判明している香山先生とやらを頼ってみようと月乃は思った。生徒会の仕事があるからなどと言って自ら始めた目安箱プロジェクトをサボっているあかり様も学園にいるので彼女の協力も取り付けられれば一石二鳥である。

 こうして月乃はクッキーの缶をぎゅっと抱きしめたまま、お昼時に賑わう休日の駅前へ向かうのであった。

 

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