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8/22

8、真のお嬢様

 

「へー! もう高校の範囲お勉強してるんだぁ!」

「当然ですわ」

 もう日は暮れてしまったが、タワー周辺は冬期でなくとも街路樹のイルミネーションが豊富なのでとてもきらびやかである。

「ピアノはいつからやってたの?」

「生まれた頃からですの。お習字もバレエもそろばんもやってましたのよ」

「すっごーい! 頑張り屋さんだねぇ!」

「そうですのよ」

「それにそんなに習い事をさせてもらえるなんて、お金持ちなんだ!」

「その通りですの。お金持ちですのよ」

 月乃はエッチな小熊様の巧妙ないたずらのせいでかつてないほどグッタリしていたが、あかりとおしゃべりしながら歩いているうちに少しずついつもの調子を取り戻してきた。あかりが目を輝かせて自分の話を聴いてくれるので気分が良くなった月乃は、ちょっとだけ自分の経歴を誇張して話してしまっている。

「あ、お店はあの交差点の先だよ」

「あかりさん、ホントにいいんですの?」

「いいのいいの! 協力してくれてるお礼だし、ご馳走するよ! 発表会も頑張ってたからさ」

 今日はあかりが晩ごはんを驕ってくれるらしい。一応年上のあかり様が誘って下さったわけだし、滞在中の月乃のお小遣いにも限りがあるからここはお言葉に甘えることにしたのだ。

 しかし、月乃は昨日飲まされかけた邪悪な紅茶のことを忘れていなかった。あのようなものを普段から飲んでいるあかり様の行きつけのレストランなど、どんな料理が出てくるか分かったものではないので、月乃はレストランに向かう前に一度着替えをしたいと言ってシャランドゥレグランドホテル701号室に戻り、昨晩ルームサービスで頼んだイチゴのクッキーの残りを食べてからあかりと合流したのだ。空きっ腹で毒物を摂取すると危険だからである。

「ここだよ」

「え? ここは何かの美術館ですわよ」

「ちがうちがう、フレンチのお店だよ」

「これがレストランですの!?」

 重要文化財顔負けの荘厳な佇まいとロマンチックなライトアップに月乃は勘違いしてしまったが、こここそがあかりの行きつけのレストラン『アカリ・キャセロール』である。

「さあ入ろう! 貸し切りにしてもらったから!」

「か、貸し切りですの!?」

「貸し切りですの♪」

 大きなガラスの自動ドアを二枚抜けた先で出迎えてくれたのは30名近い店員たちだった。

「いらっしゃいませ、お嬢様!」

 その30名の女性が全く同時にお辞儀をしてお嬢様コールをしてきたので月乃はビックリして肩がすくんでしまった。こんなに大勢の人の頭頂部を同時に見たのは月乃も久々である。

「この子は細山月乃ちゃん。みんなよろしくね」

「いらっしゃいませ、細山月乃お嬢様」

「細川ですわ・・・」

 ソファみたいなフワフワ素材の菱形が並んだ不思議な扉の向こうが、二人のための特別なお部屋である。赤いじゅうたんがやたら綺麗なので月乃はどこを歩いていいか分からず、あかりが踏んだ場所をなぞって歩いた。

「お嬢様、ご来店まことにありがとうございます」

 人形の家にありそうなかわいいテーブルにつくと、料理長と思しき背の高いおねえさんがやってきた。

「こんばんはぁ立花さん、今日も背が高いね」

「ありがとうございます」

 ちなみにこの立花さんは料理雑誌にもよく登場しているフレンチ専門の有名な料理人である。

「おまかせするから、月乃ちゃんのためにとっておきの料理お願いね」

「かしこまりました」

「あ、月乃ちゃんアレルギーとか、苦手な食べ物ある?」

 すっかりあかりにペースに流されて、ドキドキしながら天井のシャンデリアなどを見つめていた月乃は急に自分に話が振られてビックリした。

「え! ええと・・・苦手なものは・・・」

「うん」

「・・・な、納豆ですわ」

 月乃は小さい頃から納豆が苦手である。見た目が不気味すぎるので生まれてから一度も口にしていないのだ。もっともフランス料理に納豆なんか登場しないので元から心配はご無用なのだが、月乃は緊張しているのでそんなこと気づかない。

「じゃ立花さん、納豆は無しでよろしくね」

「かしこまりました」

 立花さんは接客態度も一流である。

「さ、すぐに色んなの運んできてもらえるから、遠慮しないで食べてね!」

「あの、あかり様・・・ひとつおうかがいしてもよろしいですかしら?」

「おとめ座だよ!」

「いえ、星座ではなくて・・・」

「黄色かオレンジかな!」

「好きな色でもありませんの・・・」

「O型だよ!」

「血液型と性格は無関係ですのよ・・・」

「イヌ派かなぁ」

「好きな動物も違いますわ・・・」

「シャワーカーテン!」

「それは・・・ちょっと分かりませんわ」

 あかりとのおしゃべりは体力を使う。

「んー、じゃ何を訊きたいの?」

「つまりその・・・あかり様は一体何者ですの?」

 一般的な高校生は子供だけでこのようなレストランには来ないし、一流の料理人からお嬢様と呼ばれることもない。

「そうだなぁ・・・なまもの・・・かな」

 あかりが胸の辺りを隠して恥ずかしがっている。月乃はマジメなのでこの手の冗談にいちいち動揺する。

「へ、変な反応しないでいただけます?」

「何者っていわれても困っちゃうよ〜」

 あかりはいつもにこにこしているため相手をからかっていると勘違いされる事もあるが、別にそんな意図はない。

「お誕生日にご両親から何かお祝いを貰いましたの?」

「スキー場もらった」

「去年のお誕生日は?」

「セスナ飛行機」

「その前の年は?」

「火星の土地」

 月乃はこの時ようやく思い出した。細川家は確かに明治期を中心に富を築いたが、それはとある一族の力添えがあってこそのものだったのだ。その一族とは、江戸寛永期より製錬業にて栄え、江戸で両替商、大坂で造船業を中心に発展した日本五大財閥の一つであり、現在もなお関連企業の売り上げ規模が日本GDPのおよそ8%を占めている大財閥、津久田家である。

「・・・あかり様のお名前って津久田あかり様でしたかしら」

「そだよ」

「あかりお嬢様、月乃お嬢様、オードブルをお持ち致しました。サーモンと春野菜のテリーヌでございます」

「やったー! テリーヌだぁ!」

 まずいことになったなと月乃は思った。お金持ちのお嬢さまと一緒にご飯に来たというだけなら特に何の問題もなく、ただおいしく料理を頂くだけでよいのだが、月乃は先程あかりとの会話で散々調子に乗って「お金持ちですのよ」などと自慢しまくっていた。たしかに月乃はお嬢様だが少なくとも食に関してはかなり庶民的な生活を営んでいるため高級フランス料理の食べ方などほとんど心得ておらず、かといって今更あかりにテーブルマナーについて訊くなんて恥ずかしいことは出来ない。

「あれ、月乃ちゃん、遠慮しないで食べていいんだよ」

「た、食べますわ」

「もしかして・・・サーモンと春野菜のテリーヌ嫌いだった?」

「す、好きですのよ。家でもよく食べますわ」

 まずテリーヌってなんなのと月乃は思った。

「そっか! よかったぁ。さっき月乃ちゃん家がすごくお金持ちって聞いたから不安だったの」

「そ、そうですの?」

 小さい頃にしつけの厳しい祖母からこういうお店でのテーブルマナーを教わった記憶があるがもはやそんなもの覚えていなので、あかりの真似をしながら食べていくことにした。ナイフやフォークやスプーンがお皿の周りに数本ずつ並べて寝かされているのでこの中から選んで使うものと思った月乃は、あかりがそうしているようにまずナイフとフォークを手にとった。例えば指先や手首の動き、肩の力み具合などから、月乃がお嬢様のレベルであかりに完敗していることがバレないとも限らないので、食器の使用方法の全てをあかりに真似る必要があると感じた月乃は、右利きのあかりの向かい側に腰掛けているせいで、無意識に左手でナイフを、右手でフォークを持ってしまった。テーブルマナーといえば通常ものを切る動作を右手で行うためナイフは右手である。月乃はピアノの発表会などは全く緊張せずに堂々とできるのに、なぜかこういう自分に不利な状況でなおかつプライドが掛かった場面では、まるでドミノ倒しのように小さなミスを重ねていく。

 左手のナイフをテリーヌにちょんと当てた瞬間にさっそくあかりが反応した。

「あれ? 月乃ちゃんもしかして・・・」

「な、なんですの?」

「もしかして・・・」

「う・・・」

「左利き?」

 あかりはいつも前向きな発想をしてくれる。

「そ、そうですの。左利きですのよ」

 本当は右利きである。自分のミスに気づいた月乃はたいそう焦ったが、ここはごまかしていくしかない。

「へーそうなんだぁ! 左利きって、天才的な人が多いんでしょ? いいなぁ、かっこいいなぁ左利き」

「べ、別に・・・こんなの普通ですわ」

 あとに引けなくなってしまった。あかりのキラキラ輝くお目々に見守られながら月乃は左手でお料理を切っていくしかなくなった。




「そういえば明日のことなんだけど」

 月乃が鯛のムニエルを左手のナイフで必死になってつついていると、あかりが話を切り出してきた。

「月乃ちゃんは次の依頼、どんなのがいい?」

 あかりはスカートのポケットから4、5枚の紙きれを取り出してトランプの手札のように並べて月乃に見せてきた。そういえばこんな仕事が残っていたなと月乃は思った。

「・・・なるべく上品で、恋愛がらみでないものをお願いしますわ」

 とばっちりでおっぱいを揉まれたりしたらイヤだからである。

「そうだなぁ、オススメっていう訳じゃないんだけどちょっと確認したいことがあって」

 あかりは紙を一枚選んで月乃に差し出した。

「細川遥さんっていう人から依頼が来てるんだけど、親戚か何か?」

「細川遥様? ・・・いいえ、多分わたくしの家系とは直接関係のない女性だと思いますわ」

「でも細川だよ?」

「細川なんてお名前いくらでもありますわ」

「ふーん、まあでもこれも何かの縁だからこの遥さんの依頼にしよっかな! 本当は私が知ってる仲良しな人からの依頼のほうが面白いんだけどピンと来るものが無いからさ」

 苗字が偶然月乃と一緒だからあかりに選ばれたのだが、実はこの細川遥という人物は既にあかりの知り合いである。彼女は余りの存在感の薄さから周囲の人間に名前すら覚えてもらえない少女で、昨年度までサンキスト女学園に在籍して元テニス部部長の安斎舞というちょっとした問題児の面倒を見ていた苦労人である。同級生の弓奈や紫乃に舞の件で頻繁にお世話になっていたのであかりも何度か話をしたことがあるのだが、あかりは彼女の名前など全く覚えていない。

「それで、どんな依頼ですの?」

「あかりお嬢様、月乃お嬢様、ブルーベリーのソルベをお持ち致しました」

「やったーソルベだぁ!」

 またよく分からないものが運ばれてきたなと月乃は思った。

「おいしいぃ♪」

「・・・それであかり様、依頼の内容は」

「あ、えっとね」

 あかりが紙を見つめながら美味しそうにソルベとやらを食べているので月乃もあかりの真似をしながらスプーンですくって口に運んでみた。すっきりとした後味で、香りがとても豊かなフルーツのシャーベットだった。これはかなり月乃の好みである。

「友達に告白をしたい、だってさ」

「・・・こ、告白って・・・やっぱり恋愛ですの?」

「うん。依頼の内容がすごい丁寧に書いてあるよ。かなりマジメな子みたいだね」

「告白のお相手は・・・?」

「女の子♪」

「どうしてこの街は女性同士の恋にあふれていますの・・・」

 大いなる疑問である。

「それについては前に小熊先輩様が言ってたよ。この辺りは単に女性多いだけじゃなくて、女の子同士の恋が生まれ易い環境のポイントが奇跡的な配置で並んでるんだって」

「・・・ど、どういう意味ですの?」

「わかんない。立花さん、ソルベおかわりできますか? 月乃ちゃんの分も」

「かしこまりました」

「今度はヨーグルトのソルベがいいなぁ」

「すぐにお持ち致します」

 おかわりなんてハシタナイので断ろうかと月乃は思ったが、あかりの方から言ってくれたわけだし正直ソルベは気に入っていたので嬉しかった。

「それにしても、今日の小熊先輩様も綺麗だったなぁ」

「・・・あかり様は遠目に見ただけですわ。わたくしなんか・・・む、胸を・・・その・・・」

「モミモミされた?」

「ひい!」

 思い出しただけで背筋がぞわぞわしてしまう。

「うらやましいなぁ。私も先輩様にエッチないたずらされたい」

「・・・だったらどうしてさっきわたくしを一人で行かせましたの?」

「野生の勘だよ! 先輩様と結ばれたいという強い気持ちが、敢えてここは身引いておきなさーいって胸の奥底から私の心に働きかけたのさ!」

「野生・・・ですの?」

「月乃くん。この街で自分の勘を信じることに関しては私の左に出る者はいないよ」

「・・・右に出る者はいますの?」

「私は自分を信じてるのさ」

 あかりは大財閥の娘であるという点を除けばやたら明るいだけのただの女子高生であるが、本人曰く彼女には野生の勘とやらがあるらしく、その明文化も数式化もできない不可解なものに自分の運命を委ねる器も兼ね備えているということだ。日本では古来からそのような特殊な能力を持つ人間のことを「テキトーなやつ」と呼んできた。

「・・・つまり適当ってことですのね」

「そういうことになるかな!」




「あかりお嬢様、月乃お嬢様、ヨーグルトのソルベでございます」

「わぁい!」

 月乃もお気に入りのシャーベットがやってきた。月乃はさっそく新しいスプーンを左手で持ってソルベを食べ始めた。爽やかさとまろやかさが融合した香り高いオトナな味わいの素敵な氷菓子である。

 ふと、テーブルから3メートルほど離れたミレー風の絵画のほうに目をやると、その脇に立っていた立花さんと目があった。彼女は月乃と目があった瞬間にちょっとビクっとした後、慌ててまっすぐ前を向き直してお人形のように動かなくなった。いくら客が2人だけとはいえ料理長がずっとここにいて大丈夫なのか疑問である。

「どうしたの月乃ちゃん」

「いえ、何でもありませんわ」

「今ボクが小熊先輩様の魅力について語っているのだから、よく聞きたまえ」

「分かりましたわ・・・」

「あの日は忘れもしない、私が月乃ちゃんと同じ中学3年生だった時のこと・・・」

 月乃があかりのどうでいい話を聞き流しながらもう一度横目でちらっと立花さんのほうを見ると、またまた彼女と目があってしまった。今度の立花さんはいつものクールなお顔を恥ずかしそうに崩してうつむくと、いても立ってもいられなくなったのかキッチンの方へ入っていってしまった。月乃にはなぜ立花さんがあのような反応をするのかよく分からなかった。



「立花様、どうかされたのですか?」

 急に立花様がやってきたので、厨房にいた5人の従業員は驚いてしまった。

「いえ・・・何も問題はありません・・・」

「そうなんですか? 少し頬が赤いようですが、体調でもわるいのでしょうか」

「い、いえ決してそんなことは・・・」

「そうですか・・・。それにしても立花様、今日お越しになった月乃お嬢様って方、とっても可憐ですね・・・」

 本人はまだ気づいていないが、月乃はかなりモテる女なのである。




「いやぁ、私もうお腹いっぱいだよぉ」

 フルコースを頂いてしまったので月乃のほうも大満足であるが、ここに来る前に食べてきたイチゴのクッキーが完全に余計だった。人を信じることは人を疑うことと同じくらい大切なことだということを学ぶことができた。

「どう月乃ちゃん、美味しかった?」

「そうですわね、わたくしが普段食べているものと遜色ないくらい美味でしたわ」

「よかったぁ! 立花さん、月乃ちゃんも美味しかったって」

「・・・あ、ありがとうございます」

 左効きという余計な設定が出来上がってしまったが、とても美味しい本格フランス料理を味わえて月乃は幸せである。

「それじゃ、晩ご飯のあとはやっぱりあれかな」

「あれってなんですの?」

「あれだよあれ。もしかして月乃ちゃんは晩ご飯を食べたらそれで終わりの人?」

 月乃には何のことかサッパリ分からなかったので、「あれじゃ分かりませんわ」と言いかけたが、今日の夕方からの一連の流れから考えると、もしかしたらお金持ちのお嬢様ならやって当然のマナーの一種がまだあるのかも知れないという思いがよぎったので、ここは話を合わせておくことにした。

「そ、そうでしたわね・・・あれが残っていましたわね」

「やった! じゃあ行こっか!」

「い、行く? どこへですの?」

「え?」

「あ、いえ、勿論分かってますわよ! あそこに決まってますわよね」

「そうだ、外に出てからは全部月乃ちゃんにお任せするよ!」

「ど、どうしてですの?」

「晩ご飯は全部私の好みで選んじゃったしさ、この後のことくらい月乃ちゃんにお任せするよ! 私なんかじゃ月乃ちゃんみたいな本格派お嬢様のセンスにはかなわないからね」

「え・・・そ、そうですの?」

 困ったことになったなと月乃は思った。どこへ行って何をするのがお金持ちのお嬢様として相応しいのだろうか・・・・・・丸一日予測不能なあかりワールドに浸っていたせいもあり、月乃の頭はすっかり混乱してしまった。




 外にでると、五月の朧月が二人を出迎えてくれた。

「じゃ、どこ行こうか」

「そ、そうですね・・・」

「月乃ちゃんのいつもの感じで決めていいよ」

 お金持ちのお嬢様ならばやはり上品で高級なイメージのある場所を選ぶべきであり、このゴールデンウィーク中に訪れた施設の中でもっともそのイメージに近いのは今のところタワーの足元のショッピングモールくらいである。

「シャ、シャランドゥレショッピングモール・・・」

「え? ショッピングモール?」

「・・・の入り口・・・付近・・・」

「入り口付近?」

「・・・のエスカレーター」

「エスカレーター?」

「・・・の下の辺り」

 あかりがいちいち首を傾げてくるので意味不明な条件を足していってしまった。ショッピングモールの入り口付近のエスカレーターの下の辺りで食後のお嬢様が一体何をするというのか。

「月乃ちゃん、そんなところで何をするの?」

「それは・・・ですね」

 実は当初のあかりの計画とは、彼女が普段やっているように食後の軽い運動ということでレストランの周辺の並木道を、公園を経由してのんびり駅のほうへ歩いていくというだけのことだったので、月乃の謎の発言にあかりも困惑気味である。

「それは・・・つまり・・・あれですのよ」

 エスカレーターとお嬢様のイメージがさっぱり結びつかず、月乃は半分諦めながら小声で続けた。

「その・・・お勤め帰りの・・・おねえさま方を・・・こう・・・なんというか・・・ねぎらう?」

「お勤め帰りのおねえさま達をねぎらう?」

 自分でも何を言っているのか分からず月乃は顔を真っ赤にした。ああこれで自分が見栄を張ってお金持ちのお嬢様アピールをしていたことがバレてしまったなと月乃は思った。

「それ良いよ月乃ちゃん! すごく良いアイデアだよ!!」

「え?」

 突然大きな声を出さないで頂きたい。

「月乃ちゃんのお家では食後にそんな前向きで建設的でハートフルな活動をする習慣があるの!?」

「え・・・そ、そうですのよ。小さい頃からやってますの」

「へー!」

「生まれた頃からやってますの」

 よく分からないがあかりが喜んでいるのでこの流れに乗っていくしかない。

「さすがだよ月乃ちゃん! 真のお嬢様はやっぱり違うよぉ!」

「そ、そうですわね」

 口から出任せのただの思い付きなのにそんなに褒められると逆に恥ずかしくなってしまう。

「善を急げだよ月乃ちゃん! 今だったら丁度キミの従姉である紫乃先輩たちがパン屋のアルバイトを終えてショッピングモールの外に出てくるタイミングかもよ!」

「え・・・紫乃様が?」

「うん! ささ、行こう行こう♪」

「ああっ! ちょっと」

 並木道を駆ける二人の揺れる髪の向こうに、ぼんやりと柔らかな春の大三角形が昇っていた。




「弓奈さん遅いです」

「ごめんごめん、エプロン忘れちゃって取りに戻ってたの」

「しょうがない人ですね」

「あれ、ここにこんな箱置いてあったっけ」

「なかったです。目安箱とか書かれてあります」

「ショッピングモールのアンケートか何かかな。紫乃ちゃん、何か書いたの?」

「か、書いてないです・・・」

「そっか。じゃあ帰ろっか」

「はい」

 紫乃と弓奈は非常に忙しいパン屋のアルバイトを終えて帰路に就くところである。5日間あるゴールデンウィークのうち休みは最終日だけというなかなかハードな予定だが、2日目の仕事ももう終わってしまったのでこの調子でいけば案外あっという間なのかもしれない。少なくとも体力に自信がある弓奈にとってはそれほど厳しい連休にはならないだろう。

 ショッピングモールの出口付近にはエスカレーターがあり、これを下ることによって紫乃たちのマンションがある大通りに出ることができるのだが、そのエスカレーターに差し掛かる前に弓奈が異変に気がついた。

「あれ?」

「どうしました弓奈さん」

 二階フロアのガラス製の手すりから一階フロアのエントランスを見おろしてみると、エスカレーターの下の辺りでなにやら人が賑わっている。

「なにかやってるね」

「きっと怪しいセールスです」



「今日も一日おつかれさまでしたぁ! おつかれさまでしたぁ!」

「お、おつかれさまでしたー」

「お気をつけてお帰りくださぁい♪ 」

「く、くださーい」

「あ、素敵なパンツスーツのおねえさま、お足元にはお気をつけくださいね。今日も一日おつかれさまでございましたぁ! おつかれさまでしたぁ!」

「で、でしたぁー・・・」

 顔まではハッキリ確認できないが少女が二人、仕事帰りの人々になにやら元気に挨拶をしている。通行人たちは面白がって一緒に写真を撮ったり、握手してもらったりしているようだ。



「変わった子たちがいるね」

「危ない人かもしれません。関わらないほうがいいです。別の出口から外に行きましょう」

「え? じゃあ、そうしよっか」

 紫乃たちは月乃とあかりを見事に回避して東の階段へ向かった。

「おつかれさまでしたー♪ って言ってたね」

「通行のジャマになる迷惑な人たちです。ああいう事を考える人にはきっとろくな親戚がいないです」

 

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