5、ぎゅうぎゅう
図書館でおしゃべりをしてはいけない。
が、ここ女学園付属緑ヶ丘図書館にはコモンルームという空間があり、そこではおしゃべりも読書も勉強も自由にできるためお友達と共同で作業をしたい児童生徒たちに人気である。サンキスト女学園の関係者でなくても利用できるしカッコイイ図書カードをすぐに作ってくれるのでこの街を訪れた際はぜひとも足を運んでいただきたいおすすめスポットのひとつだ。
月乃はあかりに言われた通りにこの図書館へやってきたが、誰がその蒔崎美紗様なのか全く分からないので、まずは彼女と一緒にここに来ているという雪乃様を探すことにした。
顔を見るのは数年ぶりだが、自分の従妹を見つけられないはずがない。月乃は本棚の陰で大きな魚のぬいぐるみを抱きしめながら英和辞典の列を眺める雪乃を発見した。さっそく声をかけようかと思ったが、自分が一体なぜここに来たのか彼女に上手く説明する自信がないし、その説明はとても恥ずかしいものになる気がしたのでしばらく物陰から様子を見ることにした。
久しぶりに見た雪乃様はすっかり立派な小学生になっていたので月乃は胸の奥がくすぐったいような不思議なドキドキを感じた。
「ゆ、雪乃さん・・・ありましたか?」
声が高い女子高生がやってきた。制服を着ているのでおそらく彼女があかりの言っていた美紗様である。
「ない」
「あ・・・ゆ、雪乃さん。この本棚は英語の辞書みたいです。漢字辞書はあっちです」
「はい」
二人は小学生向けの漢字辞典をひとつ持ってコモンルームへ移動し窓際の席に腰掛けた。どうやら美紗は雪乃の宿題を手伝ってくれているらしい。人見知りをさせたら右に出るものはいないと言われたあの雪乃様が信頼しているということは、おそらく美紗様は悪い人ではないだろうと月乃は思ったが、恋心なんて軟派なものを抱いている点は感心できないので注意を促す気は満々である。
「あ・・・申し訳ございません! こちらの部屋に本を持ち込む場合は貸し出しカウンターにある用紙に名前と書名を記さなければいけませんでした・・・行ってきます」
「はい」
美紗と雪乃が離れた今がチャンスである。月乃は先程からずっとテーブルの下に隠れていたのでそろそろ周囲の人に怪しまれ始めたところだったからラッキーだ。
月乃はとりあえず、持って生まれたお嬢様の風を吹かせながら美紗に背後から近づいた。
「こほん。もし、あなた蒔崎美紗様ですの」
「え! は、はい! そ、そうですけど・・・! ど、どちら様でしょうか」
声高いなぁと月乃は思った。
「目安箱に入れられたあなたの希望を見て参りましたの」
「はぁっ! か、神様ですか!?」
「え? わ、わたくしは人間ですわよ」
美紗はあの箱を設置したのが神社関係者かなにかだと思っているらしい。
「に、人間さん・・・でしたか・・・。雪乃さんにお顔の雰囲気が似ているので鈴原様ご一家のご先祖様かと思ってしまいました・・・」
当たらずとも遠からずである。
「・・・とにかく、お話がありますの」
「お、お話ですか?」
「ついてきて下さるかしら」
「は、はい!」
月乃は柱の陰になる隅っこの席に美紗を連れて行った。なんだか月乃の方が年上みたいな雰囲気になっているが彼女はまだ中学生である。
「改めてお訊きしますけれど、雪乃様を抱きしめたいと紙に書いて箱に入れたのは美紗様、あなたですの?」
「は・・・はい! あの・・・そうなんです」
顔を真っ赤にした美紗は目をぎゅっとつむってうつむいた。心の動揺がすぐ顔に出るタイプらしい。
「わたくしはその願いを叶えに来たわけではございませんわ。美紗様に忠告と助言をして差し上げに参りましたのよ」
「は、はい!」
「率直に申しまして、その恋は諦めた方がよろしくてよ」
「そ・・・そうなんです!」
「え?」
「私もずっと前からいけないことだって分かってるんです・・・。なんと言っても雪乃さんはまだ小学生・・・。で、でも・・・どうしても好きっていう気持ちを抑えられないんです・・・! すべて・・・すべて私の精神が弱いのがいけないんです・・・!」
「え! あ・・・そうですの・・・?」
「本当に・・・申し訳ありません!」
恋なんかしていると勉強も疎かになるし品位も欠けますわよと注意するつもりだったのだが、向こうからそんなに謝られてしまってはさすがの月乃も困ってしまう。どうやらこの美紗様は女性としての節度を弁え自分の心の弱さに向き合って苦しんでいる善良な少女であるらしいことが分かった。そうなると自分は美紗様の気持ちも知らないで単に彼女の心の傷に塩を塗り込みにきたとんでもない土足女ということになる。なんだか月乃の方が申し訳なくなってきてしまった。
「まあ・・・そこまでおっしゃるなら・・・今日は許して差し上げますわ」
「え、は、はい! も、申し訳ありません! ・・・ありがとうございます」
この期に及んで「許してあげる」なんて偉そうな物言いをする自分に月乃の胸は痛んだ。
とりあえず月乃は美紗と別れたが図書館をなかなか去れずにいた。恋なんてものを肯定したくないという思いと、あれだけ頑張っている美紗が報われないのは可哀想だという気持ちの狭間で揺れていたのだ。
「はぁ・・・」
月乃は一階の休憩室のはじっこにある長椅子に腰掛けてエントランス前の噴水が午後の日差しにきらきら輝くのをぼんやり眺めながら小さなため息をついた。
「雪乃ちゃんのぬいぐるみを使うことね」
「え?」
ガーデニア系のいい香りがふわっとやってきたかと思うと、綺麗な巻き髪金髪のおねえさんが隣りに腰掛けてそう声を掛けてきた。随分急なご登場だが当然月乃の知り合いではない。
「ど、どなたですの?」
「雪乃ちゃんがいつもあのぬいぐるみを抱きしめているのは、自分が甘えたら人に迷惑がかかっちゃうかも知れないって遠慮してるからなの。昔の雪乃ちゃんにはバニウオしかお友達がいなかったけど、今はそうじゃないのよ」
「バ、バニウオ・・・?」
「ちなみにあのお魚、しゃべる時は自分のことボクって言う設定らしいわ」
「しゃべる時・・・?」
「そうよ。がんばってね♪」
「ひゃっ!」
月乃の耳元でそう囁いて金髪のおねえさんは去っていった。月乃は結構くすぐったがりなので耳にいたずらされると変な声が出てしまう時がある。
先程の女性が何者なのかサッパリ分からないが、なにやらヒントを貰えたようである。たしかに雪乃様は自分の体ほどもある淡い虹色の巨大魚を終始抱きしめていた。あれを利用すれば美紗の切ない毎日にちょっとした花を咲かせられるかもしれない。
「・・・仕方ないですわね」
月乃は左のほっぺに人差し指を当てて首をかしげるという優美なポーズをしながらなんとか作戦を練り上げると、2階図書フロアのコモンルームに向かった。
雪乃は美紗のことが大好きである。
それが親しい友人としての好意であるか、それとももっと深い愛情であるかどうかはまだ分からないが、いつもそばにいて、近頃頑張って小学校に通い始めた自分をやさしく見守ってくれる美紗ことを雪乃は心から信頼している。以前は弓奈だけが大好きだったが、弓奈は自分の姉のお嫁さんになってくれたので今は雪乃の家族のような終身名誉ラバーだから、あえて好きな人として挙げる必要のない相手になった。
だから今雪乃は美紗のことがちょっと気になるのである。
「えーと、部首の索引から調べればたくさん見つけられそうです」
綺麗な横顔・・・細い指先・・・優しいまなざし・・・雪乃の隣りに座ってそっと寄り添い、宿題のお手伝いをしてくれる美紗おねえさん。時々よく分からない慌て方をしたり、顔を真っ赤にして高い声を出したりするけれど一緒にいると胸がぽかぽかしてくる。そんな時雪乃はバニウオをぎゅっと抱きしめるのだ。ふわふわなお魚に顔をうずめてお日様のにおいをくんくんするのだ。
「あ、もう一冊漢字辞書持ってきましょうか。一緒に調べていけば早いですね」
「うん」
「えっと・・・取ってきます」
「わかりました」
美紗が席を外した。漢字の読みや部首などをいくつか指定され、可能な限りたくさん漢字を見つけてくるというマニアックな宿題をもらったので、雪乃はこういった隙にもどんどん辞書を引いていった方がいいのだが、窓の銀のフレームの中に沈んでいく夕焼けの美しさについうっとりしてしまって辞書を引く手も止まってしまった。
「ゆ、雪乃ちゃーん」
突然どこからともなく雪乃を呼ぶ声が聞こえた。
「だぁれ」
「わたくし・・・じゃなくて・・・ボ、ボクだよ、バニウオだよ」
この声の主は月乃である。近くのテーブルの陰に隠れてそれっぽい声を作って話しかけているのだ。
「バニウオ?」
「そ、そうだよぉ・・・」
月乃はもう顔から火が出そうなくらい恥ずかしかったが、先程の金髪のおねえさまの助言を生かした作戦などこれくらいしか思いつかなかったし、もう始めてしまったからあとにも引けない。
「・・・おねえちゃん?」
「ち、違いますわ! バニウオですのよ!」
やっぱり自分は紫乃様に声が似ているんだなと月乃は思った。テーブルの下を探られる前に用件を伝えなければならない。
「ねえ雪乃ちゃん」
「なぁに」
「いつもボクをぎゅってしてくれてありがとう」
「うん」
「わたくし、とってもしあわせですわ」
「うん」
雪乃はこの声がバニウオのものでないことくらい分かっているが、誰が話しかけているのかはあまり気にならなかった。
「だからね、この幸せをもっと・・・たくさんの人に配ってあげて欲しいんですの」
「くばる?」
「うん。いつもみたいに、ぎゅうって」
魚ばかりでなく人間にも抱きつきたいのだが、そんなことをしても嫌われないかどうか雪乃は不安である。
「うーん・・・」
ちょっとうつむいてもじもじする雪乃に、月乃は最後の一押しをすることにした。
「美紗ちゃんってとってもいいおねえさんだよね」
「うん」
「ありがとうっていう気持ち、雪乃様ならきっと伝えられますわ」
「ほんと?」
「うん。ほんのちょっと勇気を出して、がんばってみてネ。ボク、応援してるよ!」
美紗が戻ってくる気配があったので月乃はこのあたりで引きあげた。物凄い恥ずかしかったが、後半は結構ノリノリで魚を演じていたことに月乃本人は気づいていない。ともあれ成すべきことは成したのであとは様子を見るだけである。
「お待たせしました。同じ辞書がなかったので似たものを持ってきました」
夕焼けに左の頬を赤く染めながら、美紗が帰ってきた。
「これは漢字を学年別に調べられるみたいので便利かもしれませんよ」
美紗は辞書を開いて見せてくれたが、雪乃は今宿題のことなど考えていない。緊張するけど、苦しいドキドキじゃない。恥ずかしいけれど、つらい恥ずかしさじゃない。あまり味わったことがない不思議な感覚で雪乃の頬はあったかくなっていた。
「では・・・ここから、調べてみます?」
そう言って美紗がこっちを見た瞬間がきっかけとなり、雪乃の心と体が一歩前へ進んだ。雪乃は魚を机の上にぱふっと置いて立ち上がると、椅子に腰掛けたままの美紗の体にそっと抱きついたのだ。
「え・・・?」
美紗は一瞬なにが起きているのか分からなかったが、自分の頬に触れた雪乃のふわふわもちもちなほっぺの心地よい感触と、鼻先に香る雪乃の柔らかい髪の百合の花のような甘い香り、そして自分の背中に回された雪乃の細い腕と、胸に感じられる華奢な体の感触、それらひとつひとつを落ち着いて整理していった結果、ようやく自分の置かれた状況を理解できた。
「ゆ、ゆ! ゆ! 雪乃さん・・・! な、な、なにをしているのですか!?」
美紗に抱きついているのである。雪乃さんを抱きしめたいなどとお願い事をしてしまったが、まさかこんなに早く、しかも雪乃さんの方から来る形で夢が叶ってしまうなんて美紗は考えもしなかった。
「ゆ、ゆ、雪乃さん・・・! いいんですか、こんなの・・・」
あったかい・・・やわらかい・・・いいにおい・・・そして、気持ちいい・・・美紗は幸せすぎて頭がくらくらした。
一方雪乃のほうも美紗とほとんど同じだった。バニウオとは違ったすべすべでぽかぽかな美紗の頬や、ふわふわポヨンな感触のおっぱいに密着して雪乃はとても気持ちよかった。ずっとこのままでいたいと思わせるようなとても深い安心感に身を委ねて、雪乃は美紗にぎゅうぎゅう抱きついた。
「美紗」
「は、は、はいっ!?」
真っ赤になった美紗の耳元で雪乃はささやいた。
「ありがとう・・・」
どうやら上手くいったようで月乃はほっと胸を撫で下ろした。
「ホント・・・恋なんてくだらないですわ」
夕焼けの窓をバックに抱きしめ合う二人の幸せそうな姿を恥ずかしくて見ていられなくなった月乃は、そう捨て台詞をつぶやいて図書館を去ることにした。
恋なんかに協力してしまったというのに、なぜか月乃の胸の中は夕焼けみたいに温かくなっていた。